日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

ユーモアやシャレの妙味とは

 

作家井上ひさしさんの小説『青葉繁れる』は1974年(昭和49年)の作品だという。当時の私は本を読み漁っていた時代である。ただ、この作品は映画で観たのが先で、本をそのあとに読んで夢中になった。それ以来、井上ひさしさんに興味を強く持った。

後で知ったことだが、井上さんの作品はもっと幼い頃から夢中になっていたことが判明。1964年4月から5年間放映される国民的人気番組『ひょっこりひょうたん島』(NHK総合テレビ)を手がけていたからだ。

井上ひさしさんは、エッセイ『一盗一窃のひけめ』で窃盗癖があったと告白。とはいえ、ユーモアの達人のおっしゃることで、小さな悪事だったそうな。

盗品は喫茶店のマッチ、レストランの爪楊枝、旅の宿のタオル等。現行犯で見つかっても許してもらえそうとの計算で、“人間としては小物”との分析済みであった。

 

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イラストレーター・山藤章二さんと井上ひさしさんの対談では、日本の政治家の“同時通訳は大変”だとの話もあった。

井上さん「ここらでひとつ褌(ふんどし)を締めて、とかを連発する」。
山藤さん「それで有名なのは、日本の大臣がアメリカに行って挨拶した時、“貴国とわが  国の因縁は浅からぬものがある。なぜなら、貴国のことを日本では米国と書くし、日 本の主食は米である”・・・。いったいどう訳せっていうんだ」。

かつて、首相だった吉田茂さんは応援演説の途中で聴衆からやじられたという。
「オーバーを脱げ」。
「何を」とやじの主をにらんだ吉田さん。
「外套(がいとう)を着たままやるから街頭演説なのであります」と。

ワンマン宰相のさえをものがたる、エピソードである。場は爆笑に包まれた。

 

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やじや不規則発言は時に、政治家の言葉に関する能力だけでなく、気性や人間性の一端も浮かびあがらせる。

現代の宰相等のやじといえば、議会を軽くみていると言われてもしかたない。昨年は、前首相の安倍さんが、衆院予算委で野党議員に「意味のない質問だよ」という不規則発言を謝罪した。罵詈雑言の連続で・・・と釈明したが、のらりくらりと嘘をごまかす自身の態度の反省の気持ちはいっさい見られなかった。

罵詈雑言といえばどうしてもこの人の顔が浮かぶ。麻生財務大臣である。女性や高齢者を蔑視した問題発言もあった。国民を見下した態度も感じられる。昨年に続くコロナ禍でも再度の給付金などは出す気持ちもまったくないようで、国民からの税金なのにまるで自分のカネのような言い草である。

吉田茂元首相の孫なのに、(上述のような)ユーモア精神はまったく引き継がれてないようで情けなくなってくる。

 

 

今週のお題「やる気が出ない」

イライラでも気楽な生き方を

 

毎日、うなぎ屋の店先で匂いをかぎながら通り過ぎる男がいたという。その店の主人は、大みそかに男を呼び止めて言い渡した。「毎日の匂い代、締めて6百文になります」と。

男は懐から代金の銭を放り出し、店主に言い返した。「音だけで十分だろう」。江戸時代の有名な小話の『かば焼き』だという。

(こういう話が受ける)古き良き時代が、思わず脳裏に浮かぶ。

旅の歌人といわれた若山牧水さんは、鉄道の旅を愛した。物思いにふけりながら窓際に寄り掛かり、腰が痛くなれば鉄道案内の冊子に目を通し、適当な駅で途中下車をした。旅の時間がとてもゆっくりと流れていくようだ。

 

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<せまい日本そんなに急いでどこへ行く>は、昭和48年(1973年)に流行した全国交通安全運動の標語である。高度成長期の中で人々は忙しく動き回っていた。

全世界で日本の国土面積はわずか0.28%。しかし、全世界で起きたマグニチュード6以上の地震の20.5%が日本で発生している。

自分の思い通りにいかないのも人生か。漫画家・水木しげるさんは雑誌にその理由を書いていた。

<この世には「目に見えないもの」と「目に見えるもの」がいて、見えないものが見えるものに干渉するためだ>。だから人は神や祖霊を祭ってきた・・・とも。

<あなたの生涯は過去にあるんですか、未来にあるんですか。君はこれから花が咲く身ですよ>。夏目漱石さんは、“花”を用いて人を励ます言葉を小説『野分』に書いた。

 

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そういえば、平成時代の日本で最も売れた歌にも“花”がある。<そうさ僕らは 世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい>。『世界に一つだけの花』を書かれた槇原敬之さんはお元気だろうか。

さて、名脚本家といわれる向田邦子さんは、自分のことをせっかちな性格と書いた。気がせくときに前を歩く人がのそのそしていると、非常に腹を立てる癖があるそうな。

イライラしないために、向田さんは気がせく場合は(遠回りでも)混まない道を歩くようにしていたという。

<明日にのばせることを今日するな>。こちらは、漫画家・藤子不二雄(A)さんの好きな言葉だという。

「いい方をかえれば“気楽な生き方をしろ”ということで、もし何かで悩んだら呪文のように唱えてください」と、著書『Aの人生』に書いている。

 

メモを始めたきっかけは明快

 

もう何年も(高校野球のテレビ観戦はしているが)プロ野球をまったく見ていない。ところが、“YouTube”ではプロ野球の面白さにドップリと浸かっている。

長嶋さんや王さんが現役もしくは監督時代にプレイした若手(だった)選手たちが、すばらしいエピソードを余すことなく語っているからだ。

あの時代...個性あるスター選手の宝庫だったプロ野球。多くの選手に興味が尽きない。その中でも私のお気に入りだったのは野村克也さん。

テスト生からスタートした南海時代には「不器用なので変化球にはある程度、球種を絞らないと対応できない」と感じ、捕手の配球の傾向や投手の癖を徹底的に分析し始めた。

南海では戦後初の3冠王も獲得。捕手で4番バッター、監督もつとめた。それでもスター気取りはいっさいなく、「キャッチャーは“捕手”と書くが、私は、投手を助け、足りないところを補う“補手”だと思っている」と<生涯一捕手>を何度も口にしていた。

 

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どんな巧みな打者も7割の確率で打ち損じ、どんな豪腕の投手も失投から逃れられない。ならば失敗する確率を減らすしかない。そのためにデータを集め練習を重ねるのだ、とも。人生の大部分の時間を使い、野球の奥の深さと面白さを世に広めた人である。

「野球は気力1分、体力1分、残り8分は頭ですよ」。精神論が幅をきかせたプロ野球に知の魅力を吹きこんだのも野村さんで、“ID野球”のルーツだ。

監督時代には、選手へ“プレイの根拠”を求め続けた。攻略法を考えれば漫然とプレイはできない・・・と。伸び悩む選手たちをコンバートや起用法などで再生させる手腕は“再生工場”と話題になった。

そして、データ分析はあくまで野村野球の戦略の一つであり、人間を生かすも殺すも言葉次第と、選手の特性を見極めて“勝つ言葉”を与え続けた。

適性を見抜く能力に加え、人心掌握術にも長けている。“野村流再生工場”の先駆けは(先発完投が主流だった南海時代に)阪神から移籍した江夏豊さんを「球界に革命を起こそう」と口説き、救援に配置転換したことだろう。

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 「不思議なもので、一晩たつと細かいことのほとんどは忘れてしまう」。メモを始めたきっかけは明快だ。

ある日、練習後のミーティングで野村さんは語ったという。「目立たない脇役でも、適材適所で仕事ができれば貴重な存在になる」と。

ミーティング内容も、打者心理をどう読むかといった戦略的なことだけでなく、いかに生きるべきかなど人生哲学に触れる内容も多かったとのこと。

根底には、選手として能力を向上させるだけでなく、人としても大きく成長してほしいとの願いがあった。

野村さんの“ぼやき”は“愚痴”ではなく、理想主義の表れだともいわれる。「もうダメだ」と、思うようにならない時に言うのは愚痴。「まだダメだ」なら、ぼやきで突破するための方策を考え、希望というその先に向かうことができる。

野村克也さんのぼやきは、実績に裏打ちされた説得力あふれる野球理論だったようだ。

テスト生として入団し、陽の当たることが少なかったリーグで数々の記録を打ち立てた。そして、幾多の人材を野球界に残した人。いつまでも語り継がれてほしい「月見草」である。
監督として1565勝1563敗。最初は負けても時間をかけて勝ち星を増やしていけばいい。最後は五分五分で、いくらか勝って終わる。そんな人生の妙味もすばらしい。

 

モノだけでなくヒトづくりへ

 

作家・池波正太郎さんの時代小説には、あくの強い登場人物の魅力とともに、いかにもおいしそうな料理や酒が出てきて楽しめる。坂や水路が多かったという江戸の町並みも細かく描かれている。

また、映画にもなった“南極料理人”で元越冬隊員の西村淳さんは、極寒の地でジンギスカン鍋をやったらどうなるか・・・と、実際に試したことがあるらしい。

氷点下40度における野外での焼き肉は相当あわただしい。通常の食べ方は不可能で、焼けたら速攻で口に投入しないと、肉はカチカチに凍ってしまう。

缶ビールも開缶して1分以内に飲み干さないと一瞬で苦い氷になってしまう。江戸時代の粋な飲食風景とはかなり異なるようだ。

現代も大好物な人が多い握り寿司の誕生は、江戸時代の東京にて、庶民が気軽に立ち食いできる屋台としてのスタートだったという。

 

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食べ物には歴史のつながりみたいなものが感じられる。反面、明治時代以降の日本で重宝されたモノを思うと、とくにこの近年での変貌を強く感じてしまう。

フィルム写真で貴重品だったカメラも、デジタル化で新しいカメラに切り替わる。今はデジカメを持ち歩かなくても、スマホで写真や動画もきれいに撮れてしまう。

音楽鑑賞の主流も1980年代の後半にアナログレコードからCDに移行。家庭での録音方法もカセットテープからMDへとデジタル化した。そして、インターネットによる音楽配信の普及で、こちらもスマホで音楽を持ち歩く時代となった。

一方、レコード生産は2017年に16年ぶりで100万枚を超え、V字回復傾向だとか。モノの価値でデジタル世代が注目したらしく、一昨年に全米レコード協会でレコードの売り上げが33年ぶりでCDを上回りそうだと発表した。

とはいえ、小室哲哉さんが売れに売れたあの時代など、CDのアルバムなどがミリオンやダブルミリオンという単位で出荷されていた。今のCDの衰退がこれほどまでには・・・と感慨深い。

家にテレビを持たない人が増えてきたという。私の息子夫婦もテレビをまったく観ずに、「YouTube」で動画を楽しんでいるという。“テレビが命”の私からは信じられない。

 

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一家に1台から一人1台になり、テレビは家族団らんの中心ではなくなったが、人気番組を見ておかなければ仲間と話が合わなくなる・・などの、意識醸成の役割もネットサービスにその座を譲ってしまったようだ。

<数十年後には、従来型のテレビ放送は固定電話のように主流ではなくなる>との見立てもあるという。その切り替わりも案外早いのかもしれない。たしかに私も放送番組よりも、有料の配信動画やYouTubeを観る割合が上昇している。

<夢に到達できなくても悲しいことではない。悲しいことは夢を持てないことだ>。そんな言葉が思い浮かぶ。

ソニーやシャープなどモノづくり大国を体現する企業が日本に多く生まれた。それを支えてきたのが夢やロマンでもあったのか。どれだけ今は語られているのだろう。

<やってみもせんで、何を言っとるか>。ホンダの創業者本田宗一郎さんは社員の可能性を引き出し、成長を促したという。

“モノだけでなくヒトづくりへの情熱”が言葉にあふれている。それがなにより、働き方改革が叫ばれる中で(企業の)大事な役割なのではないだろうか。

 

滅茶苦茶でごじゃりまする

 

コロナのせいか、この1年はとても早く感じる。普段でも大人になると、子どものころより時間がたつのは早いのであるが。

そもそも人の感じる時間の長さは年齢と反比例的な関係にあるようで、同じ1年でも年を取るほど短く感じるということらしい。

さて、令和2(2020)年の出生数は、前年より2万5917人減の87万2683人で過去最少を更新。

かの東京オリンピックを翌年にひかえた昭和38(1963)年との比較では、高度成長真っ盛りの日本は元気いっぱいだった。第1次ベビーブームは終わっていても、166万人の赤ちゃんが生まれている。

 

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昭和のあの頃の活気はすごかったが、今よりのどかな部分も多かった。漫才師で喜劇俳優花菱アチャコさんの得意ネタ「滅茶苦茶(めちゃくちゃ)でごじゃりまするがな」が思わず浮かんでくる。

戦前、横山エンタツさんとのコンビで(今に続く)“しゃべくり漫才”の原型をつくったといわれる。

早慶戦を見て分からんことがある。早慶の相手はどこでした?」。早稲田と慶応の試合を観戦したというボケ役がつぶやく。ふたりの十八番である東京六大学野球のネタである。

「事務所が参加者を幅広く募っていると聞いていて、募集という認識ではなかった」。こちらは、「桜を見る会」の参加者が急増した理由を問われたときのギャグ...もとい、安倍晋三前首相の言葉であった。

 

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前首相の答弁は以前から“ご飯論法”と批判されてきたという。「朝ご飯は食べていないが、パンは食べた」とはぐらかすように・・・。

ネット上では、「危ないが危険という認識ではない」や「馬から落ちたが落馬したという認識ではない」などの粋な返しのギャグが次々と続いたらしい。

会社員の犬飼淳さんが国会答弁を交通信号に見立てて分析したという。

質問にきちんと答えたら「青」、背景や経緯の説明は「黄」、質問と無関係な答弁や論点のすり替えは「赤」といったようにである。答弁内容を直感的に視覚化するとともに、「信号無視話法」という呼び名も生まれた。

さて、菅義偉現首相も負けていない。「(長男は)今もう40(歳)ぐらいですよ。私は普段ほとんど会ってないですよ。私の長男と結びつけるちゅうのは、いくらなんでもおかしいんじゃないでしょうか。私、完全に別人格ですからね、もう」。

週刊文春」の記事に端を発したあの「菅首相長男 高級官僚を違法接待」における答弁であった。

上述のアチャコさんではないが、思わず口ずさんでしまいそうだ。<まさに滅茶苦茶でごじゃりまするがな>と。

 

決してのぞいてはいけません

 

村上春樹さんの『アフターダーク』にある。<眠れないのかもしれない。眠りたくないのかもしれない。ファミリー・レストランは、そのような人々にとっての深夜の身の置き所なのだ>と。深夜の“ファミレス”が重要な舞台になる長編作品だ。

戦後大きな反響を呼んだ日本研究の『菊と刀』の中では、アメリカの人類学者がおもしろい指摘をしていた。日本人は“容赦なく眠りを犠牲にする”のだと。

もともと睡眠好きで、眠っていい時には喜んで眠りにつく半面、必要とあらば軍人も受験生も夜通しでがんばる。

批判もあった著書だが、寝る間を惜しんで復興を成し遂げた日本の働き手の戦後の足跡を思うと、ふに落ちる。

“人と人を結ぶ絆にはさまざまな形がある”とは、作家・五木寛之さんの言葉。仲間との団結を深める明日への“夢”と同じくらいに“思い出”が重要な役割を果たしているとのこと。

 

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世の中、接する人が気の合う人ばかりというわけにはなかなかいかない。必ず、どうも苦手だなと思う人がいるもの。新幹線の車内販売員だった茂木久美子さんの著書に対処法がある。

乗客が自分の態度や物言いを嫌う場合、自分も相手に苦手意識を持ち、乗客に伝わってしまうもの。それでは商売にならないため、想像力を働かせたという。乗客にもいろいろ事情があるはず・・・と、好意を持てるように努力をした。

さて、こちらは心理学で知られた実験だという。たとえば7人が一室に入り簡単な質問を順に答えるとする。実のところ6人がサクラでわざと誤答するのだ。そこで、7人目の被験者はどう答えるのか。

研究によれば、周囲に引きずられて誤答する人は少なくないらしい。そんな人間の同調行動を調べる実験の中で、自分が思う本当の答えを口にする時には勇気がいるものだろう。

 

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悲しき人の性(さが)なのか。「決してのぞいてはいけませんよ」と言われれば、ますます見たくなってしまう。それは人の物に限らず自分の手の中にあるスマホにも当てはまる。とにかく見始めたらキリがなくなる。

昨今の「サラリーマン川柳」の入選作にもスマホやデジタル機器に関するものが増えている。裏を返せば、世間についていけない中年男性の哀感が漂うからネタには事欠かない。

<おじさんはスマホ使えずキャッシュです>。この居直り感がたまらなくうれしい。<アレクサは何科の草か孫に聞き>。この句をみて慌てて調べたおじさんもいるような。

AIスピーカーなど音声で、家電などを操作することで「アレクサ、何か音楽かけて」などと話しかけると曲が流れる。とても便利なAI(人工知能)の身近な機能のひとつであるが、この便利さにとまどうところがなによりも楽しい。しみじみ思うが、つねにバタバタしているのが人生の本質なのかもしれない・・・と。

 

豊かになっても人々は忙しい

 

“タフガイ”が石原裕次郎さん、“マイトガイ”は小林旭さん、そして“トニー”こと赤木圭一郎さん。もうワクワクしてくる。そこへ“キッド”の和田浩治さんを加えて「日活ダイヤモンドライン」と名乗った。日活は1960年代にこの4人の主演作品をローテーションにして大入りを取った。

無国籍な世界とアクションを求め、熱狂した時代があった。今は配信のアマゾンプライムで当時の作品をたくさんテレビで観られて楽しい。画面に映る各地の風景は(東京も含め)とてものどかで懐かしい。

あの当時を遡り、1950年の第1回お年玉付き年賀はがきの特等賞品はミシンだったという。ミシンの価格は約1万8千円で、会社員の初任給3千~4千円と比べても高級品であったそうな。その時の1等は純毛洋服地で2等が学童用グローブ。

 

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敗戦の混乱が残る1949年に、この制度を考えたのは京都に住む民間人だったという。家族や親類、知人の間でも消息がわからない人たちが多くいた。戦前の年賀状が復活すれば差出人、受取人ともに消息をわかり合える。

さらにお年玉を付ければ多くの人が利用するし、寄付金を付けると社会福祉にも役立つ。その思いから、旧郵政省にアイデアを持ち込んだのだ。

最高賞品の推移でも世相を反映しているらしい。1956年に電気洗濯機、74年にはラジオ付きカセットテープレコーダー。そして84年には電子レンジも登場。

今は物に溢れる時代なのか、定額を払い一定期間のサービスを受ける仕組みのサブスクリプションなるものが、インターネットでの音楽聴き放題や映画・ドラマなど動画の観放題なども主流になりつつある。現物ではなく利用権を買う方式なのだ。

さて、作家・山口瞳さんは大の左党であり、行きつけの店を学校に例えていたらしい。味だけでなく、働く人の仕事ぶりも知ろうとした。多くを学び取り、珠玉の文章のヒントにしたという。

 

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山口さんいわく<従業員の気ばたらきのいい店の料理は、これはもう間違いなく美味なのである>とのこと。そして、とくに好物でないものを出す店でも、人が気に入ればとことん通った。店主の人柄が気に入る人もいれば、店の雰囲気に引かれる人もいる。

そうなれば週1回が3日に1回、1日おきとなり、気が付けば毎日と。そんなパターンが多いらしい。

現在はとくに、サービスの充実が労働時間を増やし、忙しくなった人たちはよりきめ細かなサービスを求められるようになる。すると労働時間がどんどん増えていく。

便利な社会になった裏で、コンビニエンスストアファミリーレストランの24時間営業や商品の即日配送などが、そんな循環で取引先企業を巻き込んで根付いていったのだろう。

日本流サービスの心地よさは海外にも響き渡り、米コンサルティング会社がまとめた2019年版「世界で評判の良い国」では日本が11位だった。

1~10位は福祉政策の充実した欧州勢が中心で、日本より経済規模の大きな国はないという。

“豊かな国”の日本も、サービス充実に行き過ぎたところもあり、払った犠牲は小さくない。たしかに家族連れのいない真夜中のファミレスもどこか不思議だ。最近始まったサービス見直しの動きも、なにかチグハグなような気もする。

 

口先がうまくても真心のない

 

私の好きな俳優のジャック・ニコルソンさんは、米映画『アバウト・シュミット』(2002年)にて、妻に先立たれ一人娘も慌ただしく嫁いでしまった父親の孤独をすばらしく演じていた。

<歴史の中でわれわれはとても小さな存在だ。それでもせめて何かの役に立てたらと願う。だが私は一体何の役に立てるだろうか>。定年退職した男の悲哀を描いた名作にはすてきなセリフもある。

今日という日は再びなく、会った人と再び会えるとも限らない。一期一会。茶会は毎回、一生に一度と考え、客に尽くすべしとの茶道の心得だという。それは、出会いの大切さを説く言葉である

 

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当人は正しいことをしているつもりでも、周りでは不格好で滑稽に見えることがある。かつての正月遊びである福笑い。随筆家・白洲正子さんは、それを実社会にもたとえていた。

<丸い卵も切りようで四角、物は言いようで角が立つ>。口先がうまくても真心のない“巧言令色鮮し仁”は「論語」の一節だという。

「巧言令色」とは言葉を巧みに飾り、顔つきや態度をもの和らげて美しく見せること。続く「鮮(すくな)し仁」は、人間の根本の道である仁の心に欠けるの意だ。

現代語では「美しい演説はいらない」ということか。『国連気候行動サミット2019』で言ったのはグテレス事務総長である。温暖化への強い危機感からだった。

 

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開催に先立ちグテレス氏は各国首脳に、地球温暖化に対処するための“美しい演説”ではなく“具体的な計画”を用意するよう求めたそうな。

これに応えるべく日本政府も安倍晋三首相(当時)が演説し、取り組みを報告したい意向を伝えた。しかし協議の結果、国連側から断られたという。

あの嘘つきトークが事前に察知されたのかもしれないが、安倍さんの演説はグテレス氏の嫌いな“美しい演説”だったらしい。

演説は美しければいいというものではなく、問題はその中身。そして、温暖化防止への“具体的行動”が必要だ。

世界的潮流の“脱石炭”に後ろ向きで、石炭火力発電を推進している日本の首相が演壇に立って報告すれば、大ブーイングに包まれたかもしれない。

社会全体にまき散らされるフェイクニュースやフェイク情報も厄介きわまる。アメリカの前大統領も然り、自分の都合のいいことだけを強調して、反対意見や情報をフェイク扱いや不正だとわめき続けた。

反対にメモの棒読みだけで、自分の意見を主張できない日本の現首相も情けない。なにを言っても心がまったく感じられないのである。わが家にある数台のAIスピーカーの方が、よっぽど人間的で温かい会話を提供してくれる。

 

聞く力と聞かない力の違いは

 

エッセイスト・阿川佐和子さんは、インタビューで相手から「話したら、自分の頭の中の整理がついた」と言われることがよくあるという。

考えをまとめるように意識して質問することはない。「ちゃんと聞いていますよ」という合図を相手の話の間にを入れ、「もっと聞きたいです」とのサインを出すことを心掛け、ひたすら聞くのだという。

そうすると、自然に相手が内に秘めた思いを話してくれるそうな。

さて、あの寅さんが東京の葛飾区役所とおぼしき役所に、佐藤蛾次郎さん演じる源公を連れ立って現れた。

玄関の脇に小さな箱を見つけると、交互に口を近づけて「あーあっ」・・・と。「みなさんの声をお聞かせ下さい」と箱には大書されていた。

「なんにもねえな」とふしぎそうな寅さんの姿が笑いを誘う。『男はつらいよ』シリーズには落語のようなシーンが多々ある。

 

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映画監督のほかに、多くのシナリオも手掛けてきた山田洋次さんは、脚本と建物の設計図の違いを述べている。

設計の完成で建物は、最終的な形がほぼ想像できる。そうでなければ人が安心して住めない。映画だと脚本が骨格でも、俳優らとの話し合いで筋が固まるとのこと。

<大勢のスタッフや俳優が顔をつき合わせて、共通したイメージを探り合っていく仕事>とするのが山田監督の映画づくりらしい。

そして監督は、スタッフらを見ながら「それは違う」と、ときたま言っていればいい・・・のだとも。

千と千尋の神隠し』に抜かれるまで、ある映画が36年間も観客動員1位だったという。1964(昭和39)年の五輪を描いた、市川崑さんが総監督の『東京オリンピック』である。

 

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初めて見たときの感動は、今も胸の奥にある。鍛えられた選手の素顔にカメラが肉薄していて、古関裕而さん作曲の行進曲にも熱くなる。

そういう作品でも公開に至るまでに横槍はあった。

従来の“記録映画”とは全く性質の異なる極めて芸術性の高い作品に仕上げたことで、「芸術か記録か」という大論争を引き起こすことになったのだ。

完成披露試写の2日前におこなわれた関係者のみの試写会では、オリンピック担当大臣の河野一郎氏が「俺にはちっともわからん」、「記録性をまったく無視したひどい映画」とのコメントで、「記録性を重視した映画をもう一本作る」とまで述べた。

コロナ禍の今も政府の感覚はこんなもので、国民によくわかることが見たり聞いたりできないようだ。そもそも“聞こう”という意識など皆無なのかもしれないが。

 

バブルに沸いた30年前と今

 

“興味深い”や“楽しい”ときの「面白い」は、奈良時代以前から使われていたという。もとの意味は、目の前が明るくなった状態とか目に見える景色の美しさを表す言葉だとか。

かつての日本では夜に家族が炉端に集まった。誰かが“男女の密会の目撃談”などを始めると、全員が一斉に顔を上げ「えっ、ホント!?」と盛り上がる。

うつむいていた人たちも、囲炉裏の火に照らされて(みんなの)顔面が白く光って浮かび上がる。思わず興味を引かれる話題のことで“面が白く”なるから「面白い」・・・と。もちろん俗説らしいが。

「自分の額にEという字を“相手が読めるように”書いてみてください」。米ノースウエスタン大学での実験である。(他の人に比べて)ある種類の人は3倍ほど正確に書けなかった。

それは自分に権力があると考えている人たちで、人から見てカタカナの「ヨ」のような裏返しの「E」を書いた。権力を持つ人間は他者との共感力が弱く、人からどう見えているかが理解できないため・・・だとか。

 

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日本がバブルに沸いた約30年前、映画大手コロンビアをソニーが買収し、激震がアメリカ国内に走った。音楽大手CBSレコードもソニーの傘下に収められていた。

アメリカが誇る映画と音楽というソフト産業の名門を、日本企業が簡単に札束で手にした。アメリカの魂を買ったといわれ、不評だったその要因はよくわかる。

しかしその後、日本の製造業は長い冬に入り、アメリカのソフト産業に磨きがかかることになる。インターネットの普及でIT大手が成長し、今は「GAFA」と呼ばれて世界のデジタル市場を席巻する。

「亭主元気で留守がいい」という、CMキャッチコピーが流行語大賞に選ばれたのも30年以上前である。日本の景気は絶好調で亭主たちも元気に仕事をして、お遊びも盛んだったのか。

とはいえ、あのキャッチコピーの意味には科学的根拠もあるらしい。ある心療内科医が60~84歳の高齢者3100人の老後を5年間追跡調査したという。

その報告では、老後も夫と暮らす妻の死亡率は夫がいない人と比べて2倍。一方で妻と一緒の夫の死亡率は、妻に先立たれた人などの半分以下だったようだ。

 

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定年退職などで夫が家にいるようになると、妻が体調を崩す「亭主在宅症候群」というのがあるそうな。その中で「昼食うつ」が多く、自分だけなら簡単に済ますのに、わざわざ夫のために昼食を用意するのが強いストレスとなるらしい。

リタイア後に悠々自適を楽しみにしていた夫の夢も、奥さんにとっては「白昼の悪夢」と化すのだ。

「眼鏡、眼鏡・・・」と部屋中を探し回り、鏡を見ると頭に眼鏡が載っているエピソードがよくある。私もたまにやる。

誰でも年齢と共に脳の機能が衰える。たとえば、何を食べたのか忘れるのは“加齢による物忘れ”であり、食事の経験そのものを忘れるのが“認知症”なのだという。

日本がバブルに沸いたあの時代の企業戦士とその妻たちも、今は老境の域に達している。とはいえ、気持ちはあっという間の30年で、人からの見た目と本人の年齢差(意識)のギャップは大きいかもしれない。

権力者の立場ではないが、自分の額にEという字を“相手が読めるように”書いてみる努力が必要になるような気がする。

 

今週のお題「自分にご褒美」