日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

1時間は50万年に相当する

 

10進法は人間の心理を縛るものらしい。元陸上選手の為末大さんは著書『限界の正体』にて述べた。たとえば100メートル走で目標を10秒に設定した場合など、キリのいい数字を意識することでプレッシャーや力みが生じ、本来の能力を発揮できなくなる恐れがある・・・のだと。

地球誕生から現在までの歴史を、1年365日に換算したお馴染みの地球カレンダーによれば、1日は1300万年、1時間は50万年に相当する。人間や動物の一生なんて、1秒もたたないうちに終わってしまう。反面、100メートル走では百分の1秒短縮を人類の歴史の中で競っている。

地球カレンダーにおいて、ホモ・エレクトスの一部がアフリカで進化した現生人類(新人=ホモ・サピエンス)の誕生は12月31日の午後11時37分だという。最後発の生物である人間とは、なんと態度のデカイ動物なのか。

 

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文芸評論家・ドナルド・キーンさんが、奈良の吉野山にて日本で初めて花見をしたのは1950年代後半だという。そして、その光景には大いに幻滅を感じたらしい。

酔っぱらいが多く、弁当の重箱がうずたかく積まれていた。桜の幹に拡声器を付けて音楽まで流している。騒々しい花見が気に召さなかったという。「人がいなかったらどんなによいだろうに」と。

それから70年近く経た今も、同様な光景をテレビで見る。コロナ禍のナントカ宣言による東京の公園での飲酒風景もさることながら、京都の鴨川の河原でも驚いた。

散々飲み食いしたあとのゴミの山。時折、注意にくる巡回の人を意識したのか、飲食後のゴミを川に流す(酔った)若者たち。

どんなに時が移ろいでも人間の本性は変わらないのだろう。

 

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浜田省吾さんの『愛の世代の前に』という楽曲は、30年くらい前に(私が)初の生ステージで聴いたオープニング曲だった。横浜アリーナでこの曲のイントロが流れると、思わず踊りながら場内で大合唱をしていた。

昨年、YouTubeでこの曲を歌う浜田さんを観ておどろいた。どこかのステージのライブシーンであった。そのバックの大スクリーンに流れる、戦争兵器の数々。命を失う人々もさることながら、巨大な建物や地球という星も様変わりするような衝撃力を感じた。当然、今の兵器はプロペラ戦闘機で戦った太平洋戦争とは比較にもならない。

向田邦子さんの小文らしい。<戦争中だからといって笑い声がなかったかといえば、決してそんなことはなかった。校長先生が渡り廊下の“すのこ”につまずいて転んだというだけで、明日の命もしれないときに心から笑った>と。

今もどこかで続いている戦争では、笑うことも(自分が)なぜ死んだのかもわからず、“姿かたち”が消滅してしまうのか。

人間は太陽系の惑星のごく表層に生きる小さな小さな存在だ。直径10センチのりんごを地球にたとえれば、地球上で人が到達できる範囲を(最も高い所で)エベレストと考え9千メートルとする。それをりんごの皮の厚さにしてみれば、わずか0.07ミリメートルだという。薄すぎて、皮をむくどころではない。それなのにそれなのに人間って・・・。