日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

人格を持たせてのリアリティ

 

昔の人はよく擬人名を使っていた。スリムな人は骨皮筋右衛門(ほねかわすじえもん)、怒りん坊な人は小言幸兵衛という感じに・・である。

人の特徴や性質を人の名前のように表現する方法であった。今、ほとんど使われていないのは、“なんとかハラスメント”になってしまうからなのだろうか。

最近、高知新聞のコラム記事でおもしろい話を知った。完璧主義者であった黒澤明監督のエピソードである。映画『七人の侍』で黒澤さんは野武士の略奪に苦しむ村の人たち全員の戸籍を作ったという。

七人の侍については、それぞれの生い立ちを7冊の大学ノートにびっしり書き込んだという話を知っていたが、村の戸籍の件は初耳であった。

戸籍には各戸の家族構成と名前、年齢が書き込まれ、人口は計101人。村の戸数は23で子どもは28人だという。また、ロケでは家族単位で行動を共にさせたとのこと。

その他大勢を“一緒くた”に扱わず、“それぞれに人格を持たせた”からこそ一段と作品にリアリティーが備わった。

 

 

テレビアニメ『サザエさん』の視聴率は、景気と関係があるとの説があったらしい。視聴率が高ければ、日曜の夕方に家でテレビを見ている人が多い。家族で食事に出たりする機会が減れば、個人消費が低迷し景気を押し下げる。

また、景気が悪いから節約のため外出を控え、家族そろってテレビの前に・・ともいえるようだ。

サザエさんの登場人物たちのキャラもはっきりしてとてもわかりやすい。それも人気の秘訣であったと思うが。

身ぶりや表情だけで表現するパントマイムは、(見る側からは)ないものがあるかのように錯覚することもある。

数々の映画作品でパントマイムを披露し、社会を風刺したのは喜劇王チャプリンである。1940年に制作された代表作の『独裁者』では、ドイツ政権を掌握したヒトラーを風刺。
映画のラストの方では「独裁者はうそをつく」と言い放った。チャプリンが今のロシアを見ていたら、どういうパントマイムでどんなメッセージを送ってくれるのだろうか。

 

 

ボブ・ディランの『風に吹かれて』が書かれたのは1962年。60年も前である。

自由を許されるまでに何年、あの人たちはあのままなのか。永久に武器がなくなるまでに何度砲弾が飛び交わなければならないのか。

21歳の時に書いたボブ・ディランの歌詞では、人間の抱える問題はいつ解決するのかと問い、“友よ、答えは風の中だ”と結ぶ。風の中の答えを探し続けるしかない・・と。

この60年、人間は進化どころか後ずさりばかりしているような気がしてならない。