日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

記憶の根源はいつ頃なのか

 

魔法のように会話がスムーズになったり、自分の思う方向に結論を導きやすくなったりする言い回しをマジックワードというらしい。たとえば、「ありがとう」と言われてイヤな気分になる人はいないだろう。人間関係の潤滑油にはうってつけの言葉である。

かたや、「一人一人ができることをする」、「意識改革すべきだ」、「断固たる決意で臨む」などでは、主張のトーンが上がり、高揚感が漂うものの、具体的に何がしたいのかはわからない。

「仕事をしながら口笛なんて吹いちゃいかん」と職場の上司が部下をしかった。

部下は答えた。「仕事をしながら口笛なんて吹いていません。ぼくは口笛を吹いているだけです」からと。放送作家織田正吉さんの『ジョークとトリック』にあった。

 

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1985年に「缶入り煎茶」という商品名の飲料が売り出された。その反応は少々、味気ないものだったという。

数年後にテレビCMの中で俳優が口にしたセリフを手がかりに商品名を変えた。それがきっかけで、売り上げが2倍になった。大ヒット飲料の「おーい お茶」(伊藤園)である。

商品名の覚えやすさや好ましさは売り上げを大きく左右する。ヒットの要因は、(話し言葉を使った)独特の名が消費者の印象に残りやすく、親しみやすかったことなのだろう。

全国のラーメン店は毎年3千軒が新規開業するが、8割が3年以内に廃業へと追い込まれるとのこと。コロナ禍の今ならもっと増えそうだ。

庶民に親しまれる食べ物も、提供する側からは厳しい状況をいくつも経ている。

江戸時代、白飯に挟んで食べられたという「鰻飯(うなぎめし)」も、(上にのせる)うな丼となるのが明治への移行期とみられ、それから、天丼、親子丼、牛丼、かつ丼の順で誕生し、世の中に広まった。

おいしかった記憶は、40年近くたっても鮮明に残っている。幼い頃に食べたものの味が味覚をつくるようだ。

 

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おいしいものを食べ。酒で興じる宴にも歴史がありそうだ。花見は本来、田の神に対する供応であり、迎える人々も神と共に大いに飲み食いするものだとか。

民俗学者・桜井満さんも<一人静かな花見は、少なくとも桜の花見ではない>と『花の民俗学』で書いている。

また、坂口安吾さんの幻想的な短編『桜の森の満開の下』では、<桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり団子をたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です>とある。

満開の桜の下は、“人の心を迷わせる不気味な場所”として描かれている。

安倍晋三前首相も、桜の妖気や毒気にあたり、勘違いしていたのだろうか。公費で開かれる「桜を見る会」に首相の後援会関係者が多数参加し「私物化」と批判された問題が、どんどん明るみに出ている。

本人はマジックワードを駆使してきたようだが、はたから見ればツジツマの合わぬことばかりである。それでも本人は嘘を重ね続ける。潔くなれない哀れな姿は、あのトランプ氏とよく似ている。

 

災い転じて失敗も偶然に成す

 

あのコカ・コーラは、痛み止めシロップを作ろうとして失敗したことで生まれたらしい。バルトロメウ・ディアスはインドを目指した嵐に巻き込まれた。しかたなく引き返す途中に、アフリカ大陸の喜望峰を発見したという。

偶然によって失敗が思わぬ大発見や成功につながるということがある。まさに結果オーライで、“災い転じて福となす”。

反対に“好事魔多し”ということもある。売れに売れた昭和の初め、谷崎潤一郎さんは豪邸を建てたが、税の滞納のためにわずか3年で手放した。印税に税金がかかることまで考えていなかったようだ。

遠藤周作さんは、テレビなどへの出演料をへそくりにしていた。そこへ想定外の事態が起こる。自宅へそれらの申告漏れの通知が届き、奥様にバレて一巻の終わり。

以降、遠藤さんはお仲間へ税務署をかたっていたずら電話をして、憂さを晴らしたそうな。

 

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ホワイトハウスに入居する米国の新大統領には、引っ越し代と模様替えのために(国から)10万ドルの予算が用意されるとか。前大統領のオバマ氏は、これを使わずに自費でまかなうと言い出した。

金持ちといわれた例の現大統領には、思いもつかぬエピソードだ。

「お金があるのだから、街灯をつけた方が安全」。「番犬を飼いなさい」。「この家は戸締まりが悪すぎる」。家から金品を奪うだけでなく、礼儀正しい言葉で忍び込んだ家人に防犯の心得を説き、もっぱら富豪や名士の家を狙った。

昭和初期に東京を震撼させたという“説教強盗”は、100件近い盗みを重ねた犯罪者の立場なのに、相手の不用心を懇々と諭した。罪人ではあるがなぜか嫌いになれない。

さて、脚本家にも俳優の好みはあるらしい。テレビドラマで局側から嫌いな人の起用を求められた際に、倉本聡さんは断固拒否するという。また、山田太一さんはその人を好きになろうと努めて書くとのこと。対照的な大御所2人も、好きな女優にまず挙げるのは八千草薫さんだった。

 

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時代とともに、意味合いが変わってくる言葉は多い。「ありがとう」の語源は「有り難い」で“めったにない”、“貴重な”という意味から、感謝の意を示す言葉となった。

「大丈夫」も、もともとは立派な男性を指す言葉だったが、“危なげないこと”や“安心していられる”ことを示すようになった。

文化庁が毎年行う“国語に関する世論調査”の語意や表記にて、2003年に「姑息な」の意味を尋ねたとき、「一時しのぎ」と正しく答えたのは13%で、70%が「ひきょうな」と勘違いしていた。

06年に「混乱したさま」を表す慣用句を「上を下への大騒ぎ」と正解した人は21%で「上や下への大騒ぎ」と間違えた人が59%もいたという。

常に、上を下への大騒ぎを巻き起こす(上述の)現アメリカ大統領。その姑息な言動は、果たして一時しのぎなのか、ひきょうなのかよくわからない。ぜひとも“潔(いさぎよ)き引き際”を見せてもらいたい。無理だとは思うが・・・。

 

総中流はすでに過去のことか

 

40億年以上前に地球の海は存在していた。その水がどこから来たのかは謎だという。そして、水から生命が誕生して、人体も6割が水でできている。

万物の霊長なるヒトも、動物の中では身体能力が低い。パワー、スピードともに勝る獣たちに捕食される側だった原始時代に、秀でていた能力は長く走り続けることだったようだ。

人類発祥であるアフリカの原人は集団で、(強烈な日差しを受ける面積が狭い)二足歩行で動物を追った。そして、暑さで動けなくなった動物を狩ったとか。

現代は地球に暮らす(9人に1人相当の)8億2千万人以上が飢えに苦しみ、5歳未満の子ども1億5千万人近くが栄養不足による発育阻害に直面。

世界で、すべての人々が十分に食べられるだけの食料は生産されているが、食料が偏って分配されたり無駄にされ、必要な人の口に届かない。

 

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食料の3分の1にあたる13億トンが毎年捨てられているという。試算では、その4分の1が有効に使われれば、飢餓人口のすべてが救われるともいわれる。

日本でも年に643万トンが“食品ロス”になっているとのこと。食料の約6割を海外から輸入する日本で、国連の食料援助の1.7倍にあたる量のロスらしい。ただ、一般家庭では食品を捨てない努力をしているはずなので、その数字にはピンとこないだろう。

近年では、スーパーマーケットなどで販売されている調理済み食品が重宝される。時間や手間を掛けず、食卓や弁当をバラエティー豊かにできるからだ。自分で食べられる量だけ購入すれば、食品のロスもほとんどないはずだ。

それは、外食でも家食でもなく中食と呼ばれて、日ごろの生活で偏りがちな栄養素をバランスよく摂取できる。

 

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大化に始まる日本の元号は、令和まで248を数えるそうな。最短は鎌倉時代の暦仁(りゃくにん)でわずか2カ月である。そして、歴代の最長は62年間も続いた昭和だという。

1950年代後半に登場した白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫が初代で、60年代には、カラーテレビやクーラー、そして自動車も購入されるようになった。“三種の神器”と呼ばれた家電製品は、高度経済成長を告げる象徴である。

70年代に入り、人口が1億人を突破すると、“一億総中流”ともてはやされた。右肩上がり経済が当たり前。なお、バブルに酔いしれて景気も一転崩壊。低成長期で就職氷河期などを経て、若者の非正規雇用化などがすすむことになる。総中流はもう過去形の話になったのか。

1947~49年生まれの団塊世代は“逃げ切り世代”と呼ばれることがあるらしい。退職金や年金の不安無く60歳定年を迎えられた最後の世代とされる・・・から。というが、現実はどうだったのか。

団塊世代とその前後の若者たちは、物の少ない時代に勤勉に働き、経済成長を支えた。当時おさめた税金や年金も、ものすごい額になったろう。なのに、後に続く世代の老後には年金や医療、介護の不安が拭えない。

50年前に今の少子高齢化は予測されていた。それでも手を打たなかったこの国のツケは大きすぎる。

 

どこかで訊いた気になるお話

 

ドイツ人の定年後の暮らしぶりは優雅だと、何かで読んだ記憶がある。

ドイツでは食料品など以外の消費税率は19%で、現役世代は給与の半分が税金や保険料などで差し引かれるとか。

ネットで検索してみると、現在は半年間の限定措置として、日本の消費税にあたる“付加価値税”の税率が19%から16%に引き下げられ、食料品などに適用の軽減税率は7%から5%に引き下げられているらしいが。

とにかく、定年後は政府による手厚い保障があり老後の生活が安心なため、現役時代の高負担にも国民の多くは納得しているのだという。

いいことばかりではないかもしれぬが、少ない年金と長い老後で、定年後も働き続けなくてはならないわが国と思わず比べてしまう。

 

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コピーライター・野澤幸司さんの著書『妄想国語辞典』によれば、日本人は直接的な言及を避ける傾向にあるようだ。

「なるほどですね」=なんの関心もないこと。「行けたら行きます」=絶対に果たされない約束。「優しそうな人だね」=当たり障りのない無難な答え。

こんな感じで、曖昧(あいまい)に相槌を打ち、完全には否定しない。日本人っぽいことの皮肉も探ってみると案外楽しめる。

<歩くことはたいへんな冒険を試みているわけで、歩行中の一瞬は片足立ちをしていることになり、まさに一輪車をこいでいるに等しい>。さて、こちらは真っ当なお話らしい。人は、生まれてから歩くのを覚えるより先に、走ることを覚える場合があるという。

 

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“歩くほうが難易度は高い”との理由はとてもおもしろい。ニーチェいわく、<ひとがすでにおのれの道を歩んでいるか否かは、その歩きぶりでわかる>と。歩行とは、個性が表れるものなのか。

 さまざま事業を手掛けた阪急電鉄の創業者である小林一三さん。その語録では<下足番を命じられたら日本一の下足番になってみろ。そうしたら誰も君を下足番にしておかぬ>とあった。

今はほとんど見ない下足番だが、どんな仕事でも打ち込んで、誰にも負けないくらいになれば周囲が評価し、一目を置く存在になっていく・・・のだと。

小林一三さんの歩きっぷりも実にお見事である。

 

ややこしさが付きまとう光景

 

雨がよく降る。わが地域では8月を除き雨の日がとても多い。

その昔に気象庁は面白い調査をやっていたそうな。1960年代は、人々がいつ夏服冬服に着替えて、やめるのはいつなのか。

また、こたつの使い始めと終わりはいつなのかを各地で調べた。当時は蚊帳や火鉢も対象だったとか。まさにそれは、“生活季節観測”の原理だったのだろう。

未開社会の経済原理では、人類学者マルセル・モースが“贈与と返礼”にあると説いたという。

仲違いしそうな部族の間では、食料や財産が贈られ、受けた側はそれに見合う礼を尽くす。それが、略奪的な振る舞いを慎む慣習として社会に定着したとのこと。逆にみれば返礼を怠れば平和の均衡は崩れそうだが。

20世紀の戦後は、大量生産・大量消費の歯車を回し続けてヘトヘトなのか、今では「そもそも買いたい品が思い当たらない」といった声もある。これが“成熟社会”というものらしい。

 

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食卓がありテレビもある。そこに家族が集まり、和気あいあいとご飯を食べる。かつての“お茶の間”の定番イメージであろうか。わが家では、そんなだんらんの場は失われているが。

某研究所の調査では、スマホを持っている人が7割を超え、ネットの利用時間も10年前の倍以上になっている。家族がそろっても、それぞれスマホと向き合って過ごす。

お茶の間の主役だったテレビもネット配信の視聴が増えて、変化を求められているようだ。会話にしても、テレビ画面かスマホ画面を見ながらで、お互いの顔を見ることも少ない。ある意味、コロナ対策にはいいのかもしれないが。

経済のお話では、いつの時代も増税は歓迎されない。激動の「昭和」が終わり、「平成」となった1989年に、初の大型間接税として3%の消費税が導入。当時の新聞の投稿欄にも<近ごろは数字の3が嫌になり>などの川柳が連なり、国民の反発は強かった。

1年前の10月は、2度も先送りされていた10%への引き上げが、実施。“3が嫌に”も、5%、8%と増率され、「令和」の幕開けはついに2桁だ。

 

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3円で壺を買った客が、欲しかったのは6円の方だった、と番頭に交渉。買ったばかりの品を客は3円で売り、先に払った3円と足して6円になると言いくるめ、値段が倍の品物を持ち帰る。この矛盾を見破るのはちょっと難しい。(古典落語『壺算“つぼざん”』より)

税率は10%と8%の二通りで、同じ食品でも飲食店で食べるか、持ち帰るかで異なるややこしさが付きまとうが、“損している感”は拭えない。

買い物も食品は8%、酒類が10%と異なる。酒呑みの私は不満でいっぱい・・・かと思いきや、酒類企業さんの頑張りで増税前より安かったりと。フルーティな酎ハイなどは自販機のジュースより安くて、本当に助かる。

国からも10万円の給付金をすごく早くいただけ、8月納車の新車のサポカー補助金も9月に入金された。マイナポイントの5千円もしっかりもらった。と、ウカれてはいるのだが、どこかになにかの矛盾が・・・あるような気もしてくる。

追い打ちをかける感性の季節

 

かつてアメリカで、ある実験が行われたという。メッセージに<あなたのために選びました>と書かれた飴と、<適当に選んでみました>というメッセージでの比較反応である。

どちらが甘くておいしいと感じたか。結果では“あなたのために”との飴をなめたほうが、甘くおいしく感じる傾向が強かった。

実験を行った心理学者によれば、メモにて“人の善意を感じた”ことが味に影響したとの分析であった。

気象庁では、“雨量がどれくらいだと人はどう感じるのか”を説明していた。

1時間の雨量の比較で20~30ミリは「どしゃ降り」。30~50ミリなら「バケツをひっくり返したように降る」。50~80ミリになると「滝のように降る」だ。そして、80ミリ以上だと「息苦しくなるような圧迫感がある。恐怖を感ずる」とのこと。

 

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1977年頃の話だという。少し前に自分が指揮したオーケストラの練習を録音したものを、指揮者・カラヤンはその機器から聴いた。タクトで自分が台をたたく音まで鮮明に入っている。誰が盗み録りしたのか・・・不機嫌になった。

それでも、迫力あるその音に聴き入り表情を変えた。<これは、まったく新しい音。将来を拓く音だ>と。

カラヤンに聴かせたのはソニーが試作したデジタル録音機の音であった。この技術が世界初の快挙に繋がっていくことになる。1982年には世界で初めてコンパクトディスクプレーヤー“ソニーのCDP-101”が誕生して市販された。

この新製品の技術において、カラヤンの感性の裏打ちも“大いに役立った”ことだと思われる。

 

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<少しの易さを願ってとどのつまりは大きな面倒の素となる>。美人画の大家・鏑木清方さんのエッセイにあった。

なぜひと手間を惜しんだのか・・・。自分にも思い当たる経験がある。悔い改めたつもりでも同じような過ちをまた犯す。

四季を1日の時間になぞらえると、秋は夕暮れどきに相当するのか。<季節も季節 これは秋>。詩人・山之口貘さんは『再会』という一編に綴った。

多くの人に共通するのだろうか。(同じような意味で)人生の秋であり、人生のたそがれ・・・ともいう。それにしてもこの7月と同様に、雨がよく降る9月である。

なにはともあれ、秋が一番感性豊かになれる季節のようだ。

 

お得感の裏には当然訳があり

 

或るレストランの料理メニューで、コースが2つあるとする。リーズナブルなコースが4千円で満足コースは5千円也。これだとお客さんの選ぶ決め手がないそうな。

もし、2つのメニューに豪華プラン1万円コースを加えたらどうなるのか。3つのコースを設定することにより、中間の満足コースを選ぶ人が増えるという。値の高いコースとの比較で安く感じる効果もあるからだ。営業マンがよく使うコントラスト(対比)効果である。

その昔、新幹線ひかり号が超特急を名乗ったのにも同様のわけがあるとか。開業から約10年、特急扱いだったこだまを超える超特急料金を設定して、最速と定刻順守にこだわりつつ利用者へ時間を売る。

駅の停車や通過は15秒刻みで指定され、乗車前の運転士は時計の時刻を秒単位で照合していた。

 

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その道の達人と呼ばれる人もいるらしい。「穴出るよ、穴出るよ」等の口上で数字を記した紙を売る。地方競馬予想屋は、出走馬の状態、騎手との相性、いくつかのデータをもとに、レースの行方を占う商売だ。

近年では、なかなか読めない人間の心も占うとか。人工知能(AI)で分析した「内定辞退率予測」も出現した。

情報サイトを運営するリクルートキャリアが、個々の就活生の振るまいを推測し、商品化していたらしい。AIによる「人の格付け」なのか、本人たちに無断で辞退率を割り出し、5段階に分けていたという。

そのデータを求めた企業は38社にのぼったというから、おいしい商売になったのかもしれないが、勝手な判断で社会からはじき出される人も多く出てしまうのは間違いがない。

 

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アメリカはいい国だった。どうなっちまったんだ>。(今の話ではなく)半世紀前のアメリカ映画『イージー・ライダー』でのセリフだ。アウトロー2人が自由気ままに大型バイクを駆って、アメリカを横断するロードムービーは、我々にとってとても懐かしい作品だ。

ピーター・フォンダさんとデニス・ホッパーさんは惜しくも他界されたが、爽快な映像とラストシーンのショックは今も忘れられない。

今は大統領選で賑やかなアメリカである。大事なのは、こちら側の必死の思いを察知されないこと。さらに相手も得になると思わせること。はったりも重要・・・なのらしい。1980年代に書かれた『トランプ自伝』にある氏の自論だという。

トランプさんにとって、でかい不動産取引を成功させるための極意と政治はまったく同じものらしい。

<私にとっては取引が芸術だ。それも大きければ大きいほどいい。スリルと喜びを感じる>。己の取引の能力と“天賦の才”を大いに自画自賛されてもいるようだ。選ぶも選ばぬも米国民しだいである。

そういえばこの国も9月に○○選があるらしいが、こちらは国民無視のようだ。

 

雨でしかたなく入った映画館

 

かつては電気料金が心配になる家電の代表であったクーラー(エアコン)も、燃費がだいぶ改善されているとか。

節約のためや電力不足で使用を控えるように、とのお達しのあった時代が懐かしい。今は熱中症への備えとしてぜいたく品から必需品へと変貌している。これほど使用意義が上がった製品もめずらしい。

オランダの研究者いわく、快適と感じる部屋の温度は男性の摂氏22度に対し、女性は25度だという。代謝の差らしいが、真夏に膝掛けを使用ている女性がいる職場もあった。当時は男性が室温の設定権を握っていたのか。

その昔、某所で或るオーディションがあった。開始時間になっても審査員席らしき正面の席は空席のままだった。会場でエアコンが稼働していたかは定かでないが、受けるメンバーは少年たちだけなので男女間ほどの体感差はなかったのかもしれない。

 

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<きょうのオーディションは、終わり>。書類選考を通った数十人の少年に突然と言い放ったのは、「飲み物は要らないか」と先ほどからカップを配っていた中年男だった。

その男はジャニー喜多川さんだった。声かけを無視する者やむだ話をやめない者、黙ったまま受け取る者もいた。その時点で失格となったのは、「開始時間が話と違う」と文句をいう者だった。

公に姿を見せず写真撮影も嫌うジャニーさんの素顔をどの少年も知らなかった。「ぼくは素(す)を見て判断する」とジャニーさんは語った。オーディションの合否は飲み物を受け渡す時のやりとりの印象で決まったのだ。

若い世代の方はご存知ないだろうが、日本の男性アイドルグループの元祖の誕生は1960年代であった。まずは、若い女性から「身近な男の子」として人気を集めていたのが“スリーファンキーズ”。そして、ジャニーさんが自らの少年野球チームから選抜した4人で結成したグループが“ジャニーズ”なのである。

 

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雨で野球の練習ができない日があった。東京・代々木公園の少年野球に参集した4人を連れたジャニーさんは、しかたなく映画館に入った。そこで観たのが『ウエスト・サイド物語』で、ジャニーさんとメンバーたちは興奮した。少年野球チームが芸能の世界を目指すようになるきっかけであった。

元祖ジャニーズから始まった男性アイドルのプロデュース。まさにその雨の日が、日本のエンターテインメントで一つのジャンルを確立するまでになるのだ。有名な<ユー、やっちゃいなよ>は、時代の波動と共振したアイドルの育成術になった。

もともとジャニーさんは、(アメリカで過ごした高校時代に)バイト先の劇場で、歌って踊る男性グループのショーをよく観ていた。そこでは50歳代のグループの人気が高かったが、ショービジネスの未開拓な日本では、少年が一生懸命に歌って踊る姿が“良い”との直感だった。

放送作家高田文夫さんは野球少年だった。渋谷の少年チームと対戦して2試合とも負けたという。1年後、テレビをつけるとあの渋谷の野球チームの面々が映って、歌って踊っている。高田さんいわく、「もうあの頃から何をやってもジャニーズには負けていた」と。

 

師匠を選ぶのも芸のうちとか

 

アメリカの人気スポーツはフットボール、野球、バスケットボール等の印象だが、世論調査ではアメフットが約4割の人気を保つという。そして、かつてトップだった野球は1割未満だとか。

人気急上昇なのはサッカーで、国民の半数が楽しみにするまでに成長しているらしい。そのけん引役は女子代表チームで、ワールドカップで4回の優勝、オリンピックでも金メダルを4回獲得。いずれも史上最多だ。

さて、日本のプロ野球を大人気にしたけん引役といえば、やはり長嶋茂雄選手であろう。1959年6月25日に行われたプロ野球初の天覧試合は、巨人と阪神の戦いであった。

不振が続いた長嶋選手は買い込んだスポーツ紙の見出しに<長嶋サヨナラ本塁打>と書き換え、自らを奮い立たせた。その効果なのか、長嶋さんは村山実投手からサヨナラ本塁打を放ち、巨人を勝利に導いた。

 

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立教大学で同期の長嶋茂雄さん・杉浦忠さん・本屋敷錦吾さんは「立教三羽ガラス」と呼ばれ、東京六大学野球リーグでの長嶋人気はものすごく、常に観客は満員であった。かたや、当時のプロ野球の球場はガラガラだったと聞いたことがある。

卒業後、長嶋さんと杉浦さんはともに南海ホークスへ入団する予定だったが、長嶋さんは直前に巨人へ行くことになった。そして、プロでも長嶋人気が沸騰してスーパースターへとなる。私も幼い頃、長嶋ファンになってから野球のファンになった記憶がある。

どの世界でも、人気者のヒーロー、ヒロインがいるとジャンル自体が活気づく。

1974年、(風刺の利いた新作落語で人気を博していた)落語家・笑福亭松之助さんの元へ、ひとりの高校生が訪ねて弟子入りを志願。

何でワシのとこなんかに来たんや? と尋ねる師匠に、若者は遠慮をせずにはっきりと答えた。「センスよろしいから」と。

師匠は腹を立てるどころか、「おおきに」と弟子入りを認めた。<師匠選びも芸のうち>。落語界の格言だという。その弟子が後の明石家さんまさんである。

 

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若者の達者な話術はテレビ向きだと見抜いた松之助師匠は、お笑いタレントへの転身を勧めもした。今のさんまさんを見るたび、あの師匠の慧眼が思い起こされる。

師弟の関係は芸の道にかぎらない。ある野球少年のあこがれはイチロー選手だった。進学した中学校でも当然に野球部・・・と思いきや、なじみのないバスケットボール部に誘われた。

その顧問の熱い口調に、少年の心が揺らされることになる。君はNBAに行ける! 最高峰のプロバスケットボールで活躍できる大器なのだから・・・と。

とはいえ、初めはお手玉続きで滅入っていた少年だったが、10年足らずで指折りの選手に成長した。少年は日本人初の(NBAドラフトで)1巡目指名を受けた八村塁選手である。

よくぞ原石を磨いてくれたことと、師の見る目にも頭が下がる。師匠選びの巧みなのか、弟子選びの巧みなのかはわからぬが、とても痛快な話である。

 

魅力のある著名人たちの逸話


「食べ物の恨みは怖い」という。それは、人の記憶に強く残るものだからなのか。美しく盛りつけられた日本の弁当は、海外でも注目されている。

かつて、脚本家・向田邦子さんは(小学生だった)戦前の“弁当の時間”について、エッセイに記した。向田さんが書いたドラマにも食の風景は多かった。

向田さんの同級生に、弁当の時間になると「おなかが痛い」、「忘れた」と言って教室を出て行く子がいたそうな。そして、ボールを蹴ったり砂場で遊んでいた。

先生も周りの子も、自分の弁当を分けてあげようとはしない。「薄情のようだが、今にして思えば、やはり正しかったような気がする」と向田さん。

自分に置き換えても、人に同情されて肩身が狭い気持ちになるよりはいいのだと思えたらしい。どこか切なさがつきまとう子供のころの弁当。その思いも含めて、生きることを学ぶのも食育なのか。

 

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歳を重ねてもミーハー気分のままである。とくに、子どもの頃や若き日の時代にいた著名人たちの逸話が大好きだ。

戦後間もなく、松竹大船撮影所の駐車場には色とりどりの乗用車が並んだという。俳優たちが競って乗り始めていたからだ。名監督の小津安二郎さんはそれを見て嘆いた。
「いつから撮影所はやっちゃ場になったんだい」と。

こちらは東映映画の話だ。「最初と最後に(高倉)健さんの歌があって、立ち回りがあれば、途中はどうでもいい」。映画監督・降旗康男さんは、『網走番外地』シリーズを担当するにあたり、映画会社の幹部からそう言われた。

当然のことながら監督は憤慨した。途中がどうでもいいなら映画は成立しない。しかし、映画館で健さんの映画を見て、おえらいさんの言葉は真実だと悟った。

映画の冒頭では大拍手。しかし、途中で客の何人かが居眠り。かと思えば、ラスト近くに健さんの立ち回りの場面で起きだして、<待ってました!>と声をかける。たしかに・・・こんな魅力ある俳優はどこにもいない。

 

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お笑い芸人の世界にある「出落ち」とは、ネット検索によると<演者が登場した瞬間、すでに観客から笑いが起こる状態>という意味らしい。

それは、ほめことばではない。舞台に顔を出した瞬間がクライマックスになってしまえば、その後は痛々しい雰囲気に陥ることだろう。

芸人には悪夢のような展開だが、どこがクライマックスだったかを知るのは、すべてが終わった“あとの祭り”である。

昭和40年代、『天才バカボン』などを描いた赤塚不二夫さんは、スタッフと編集者による合議制でアイデアを出し合い数々の作品を制作した。漫画界に新風を・・・との結束は固かった。

赤塚さんは締め切りを守る人だったが、なぜか入稿は締め切りギリギリになった。遅らせたのは担当の編集者だ。

もし、斬新な内容で編集長に見せたら描き直しを求められるかもしれない。そのためにわざと、直したら間に合わない時間まで原稿を手元に置いておいたという。粋で機転の効く編集者もいた時代だ。