日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

今だからこそ響くもの

 

毎年、暮れになると頭に浮かぶことがある。地球が誕生して46億年。その時間を1年に凝縮すると、1月1日午前0時に生まれた地球に人類が姿を現すのは、大みそか(12月31日)の午後11時59分だという。思えば人の一生もホンの瞬間だ。

「瞬く間」というごく短い時間で、人は1分間に15~20回ほど“まばたき”をするらしい。まばたきの時間もたしかに短い。視界が暗くなるのを意識しないくらいだが、わずかな涙を出して目を潤す働きもあるそうな。冬などは特にドライアイが気になる私も、確実に人よりも瞬きの数が多くなっているはず。

「そろそろ」という言葉は瞬きとは反する意味に使われ、ゆっくりと行うときに用いられている。私も酔いが回ると手すりにつかまり、そろそろ歩くことがある。また、「ある状態、時期になりかかった様子」という意味にも使われる。「そろそろ、その時が来た」などと言うように・・・。

 

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今年は秋からコロナウイルスの感染者が激減したが、緊急事態宣言が解かれた街中では心底浮かれることもなく「そろそろ」の警戒心が人々の根底にあるかのようにも感じる。ゆっくり、そろそろと・・その動きは注意深い。

昨年の秋からは、菅前首相がGoToキャンペーンを国民に散々煽り、年明けから感染者が拡大。それからはずっと後手後手で知らん顔。その不信感が今の国民にも根付いたのか、かなり慎重そうにそろそろと様子をうかがっている。

“そろそろ”ばかりでも安心はできない。「さばを読む」などの慣用句もある。魚のサバは傷みが早いから、急いで数えてごまかす・・ことが、その由来だとか。

多くの魚食文化を育んできた日本で生まれた言葉の数々には、生活感があるようだ。

小さなカタクチイワシに例えた「ごまめの歯ぎしり」では、力のない者がいくら悔しがっても役に立たなくて「逃がした魚が大きい」こともある。うまく「エビでタイを釣る」ことができればしめたもの・・だが。

 

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「魚心あれば水心」とは一方が好意を示せば、相手も好意を持つようになるたとえだとか。惚れ合う男女の心理にも通じて、思わずラブコメディのドラマを連想してしまう。

作家・池波正太郎さんは食通として知られた。池波さんの著書『男の作法』は、私も愛読している。

<親の敵にでも会ったように揚げるそばから、かぶりつくようにして食べていかなきゃ>。天ぷら屋に行くときについて、こう語っている。

天ぷらでは、材料の新鮮さと油の加減が大事。それに心を砕く店のおやじさんをがっかりさせるのは・・揚がっているのを前に置き、話し込んでいる客だという。

また、寿司屋では<金さえ払えばよかろうというのでトロばっかり食べているやつも駄目なんだよ>と。もとが高いトロはそんなに儲からないので、店が困るかららしい。

やはり、店の立場というのも考えることが大事なのだろう。今年もコロナ禍で多くの店があえいだ。お店の方たちも“そろりそろり”の気持ちのまま、なかなか落ち着けない。そんな状況の今だから、池波正太郎さんの思いやりがこころに響いてくる。