タイムマシンで行きたい映画館
映画の人気が強かった頃は、邦画の新作を“封切り”といい2本立て上映だった。洋画はロードショーといって1本のみの上映だった記憶がある。
「封切り」の語源は、新しい映画のフィルムが封の付いた箱に入っていたからだという。そのフィルムのお下がりは、数週遅れで3本立てや4本立てに組み替えて、封切り館より安い料金にて2流館で上映された。
また、場末の3流館では数年遅れの作品がもっと安く上映されて、リアルタイムで観られなかった名作をたくさん鑑賞できたのである。
当時は地元の新聞紙面で多くの映画館のプログラムを閲覧できて、好きなジャンルの作品を上映する映画館に訪れて鑑賞した。
たとえば、マカロニ・ウエスタンに夢中になったときも、(年代的にリアルタイムで観られなかったので)多くの3流館で作品を観ることができた。
クリント・イーストウッド、ジュリアーノ・ジェンマ、フランコ・ネロたちの勇姿にワクワクしたのを今でも思い出す。それぞれの作品のテーマ曲もすばらしかった。また、黒澤明監督のほとんどの作品も場末の映画館で楽しんだ。
日本で2本立て興行を本格的に始めたのは東映だという。1本分の料金で2本の映画を見せる映画館はその前にもあったが、他社どうしの作品で2本立てになると、映画館の興行収入から発生する配給会社の収入が半分の額になる。
1954年の正月映画から、東映は自社製作の新作2本立て興行を全国の直営館や系列館で実施。“2本立てによるお得感と組み合わせの巧み”は多くの観客の支持を得て、「東映時代劇ブーム」を巻き起こした。
2000年代に新作の2本立て興行が減り始めたという。シネコンの拡充でスクリーン数に余裕が出来たからだともいわれるが、映画人気の落ち込みもあったのだろう。
複合映画館とも呼ばれるシネコンは、従来のロードショー館を置き換える形で繁華街に作られることも多くなってきた。
いくつもの新作映画が一箇所で観られる便利さで、落ち込んでいた映画観客を増やしはしたが、最近ではどのシネコンを見ても上映作品は同じで、編成のオリジナリティーが感じられない。
シネコンといえば黒澤作品のリアルタイムでの封切り作品を観られたのは、横浜・馬車道の東宝シネマだった。作品名は『影武者』。それ以前の作品は、生まれる前か子どもだった頃がほとんどであった。とにかく“できたてホヤホヤ”の黒澤作品を観られるのは感動的であった。その映画館も数年前に訪れたらホテルに変わっていた。
ある時、自分が通った多くの映画館のその後をインターネット検索してみたら、全てが廃館になっていたり、幻の映画館みたいな感じで名前だけは残っているところもあったが、過去の遺物と化していた。
今あるシネコンもそういう運命をたどるようになるかもしれない。反面、名画座が旧作を2本立てを上映し、絶妙なカップリングで観客を集めているところもあるという。かつて、場末の映画館で観た3本立てや4本立てのワクワク感が想い浮かぶ。
現在の私は、アマゾンプライムやネットフリックスで映画を楽しんでいる。名作の数も多いのだが、途中まで観たままで放置状態がとても多い。“つまみ食い”のような観方になっているのが情けない。
家にいるとつい“ながら族”になり、いつでも続きが観られるからという安心感がいけないのだろう。それを思えば、昔のあの映画館の空間がとても懐かしく思えてくるのだ。