日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

聞く百文より見た一文の印象

 

大家と店子(たなこ)とくれば,「親も同然、子も同然」。思わず落語の世界が脳裏に浮かぶ。今ならアパートや貸家の所有者が大家さんなのだろう。江戸時代の大家さんは、管理を所有者から託された人で、店子は長屋の一室を借りる人・・という関係だったという。

雇われ人の大家さんだが、その仕事は家賃の徴収だけでなく、長屋内で生活難の店子を助けたり、住人たちのもめ事を解決をしたりと世話を焼いた。

また、店子と奉行所の間に入り、住民登録や出産、婚姻等の手続きも担うなど、役所の住民サービスのようなことも行ったらしい。古き日本の人情も捨てたものではない。

さて、645年の「大化」から現在の「令和」まで、日本で使われてきた元号の数は248だとか。その中で最も長かった元号といえば昭和で。その期間は62年と14日にも渡る。一口に昭和といっても、どの時期に生まれたかで人々の思い出は大きく違ってくるはず。

 

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<百人までは命令で動くかもしれないが、千人になれば頼みます、一万人にもなれば、拝まなければ人は動かない>。昭和の“経営の神様”松下幸之助さんの言葉である。

いつの時代も、リーダーたちにとって人を動かす難しさは最大の悩みだ。

<何としても2階に上がりたい、どうしても上がろう、この熱意が梯子を思いつかせ、階段を作り上げる。上がっても上がらなくても、と考えている人の頭からは梯子が生まれない>とも語っている。

「聞いた百文より見た一文」ということわざもある。百文の値打ちがあると言葉で聞かされるよりも、一文といえども実際に見た方が価値がある、とのこと。どんなに話を聞くよりも自分で見た方が確実で値打ちがある。やはり、自分の経験を思い浮かべると、納得できることが多いはずだ。

昭和の時代、子どもの頃の自分も遠足などで初めて目にする見学先の光景や非日常の体験など、年月は過ぎても当時の記憶がよみがえる。

 

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一昨年( 2019年)の4月30日は「平成最後の日」で、その翌日に元号が令和になった。その前日と翌日で、何かがいきなり変わるわけではないが、遠い後年から見れば、時代と時代に境界線が引かれ、全く違っているのかもしれない。

思えば、あの新型コロナウイルス感染症が発生したのも令和の元年(2019年)であった。日本でも2020年の1月から今も、かつての“普段の暮らし”が一変した。本年の夏にはオリンピックを開催中だった東京で6千人ちかくの感染者数にも増え、コロナウイルスが猛威をふるった。

秋を迎えてやっとおとなしくなってはいるが、昨年の冬を迎える頃を思えばどうなるのか不明である。

季節性要因ということであれば、この先の第6波の感染数はものすごい数になるとの予測もされている。3度目のワクチン摂取を早めるという案もあるようだが、病室や医療体制の確保などはとても大事である。オリンピックで浮かれている中で、多くの感染者たちが自宅放置された・・この夏を忘れてはならない。

この令和の時代はまだ3年。とはいえ、今の子どもたちにはどのような景色に映り、将来への記憶としてどのように保存されていくのだろうか。