まだまだ眠っている可能性が
作家・沢木耕太郎さんは、大学卒業後に富士銀行(当時)へ入行したが初出社の日に退社したという。退社を決めたのはその出社途中で信号待ちをしているときだったそうな。
その沢木さんは高校1年の春休みに東北一周の旅へ出た。北上駅の待合室で夜を明かそうとしたとき、ホームレス風の男性と2人になった。
ベンチへ横になり うとうとすると背後に足音を感じた。所持品を盗まれるのではないかと思わず身構えたが、床に落ちた毛布を男性が拾って掛けてくれたのだ。
沢木さんは男性を疑ったことを恥じたという。そして、その旅では多くの人から親切を受けた。
私も若き頃に各駅電車の長旅をしたことを思い出す。いくつもの地方の駅に降りて駅前の商店街をゆっくりと歩くのが楽しかった。今はもうほとんどがシャッター街になっているかも知れないが。
その後、年を重ねると新幹線での旅が当たり前になり、たまに飛行機を使ったりもした。新幹線では目的地への時間短縮を感じ、飛行機だと日本が狭くなったような気がした。
飛行機は離着陸時がスリリングでおもしろい。滑走路にトンと降りた時はホッとしながら機長の技術の高さに感動する。とくに雨雲に覆われる時期は拍手したくなる。さすがにプロである・・・と。
話変わるが、歌人・俵万智さんの創作裏話を知ったときにもプロ意識みたいなものを感じた記憶がある。
代表作である『「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日』にて、実際に褒められたのはサラダではなく鶏の唐揚げだったという。また7月というのも創作らしい。音の響きで選んだようだ。
私など、短歌や俳句はリアルの世界から言葉を切り取るもの・・などと勝手に解釈していたので、裏話で“目からウロコ”の気分になった。
「プロに天才はいない」と語ったのは将棋の大山康晴15世名人だという。天才揃いの棋界に対しての皮肉ではなく、“努力なしにはプロの世界では勝てない”という現実の厳しさを説いたようだ。
「昔に流行した形であっても、まだまだ眠っている可能性があることを呼び起こしてくれた」。羽生善治九段は藤井聡太竜王が初タイトルを手にした棋聖戦を振り返り、新聞への寄稿で書いていた。
出だしはかつての中原誠と米長邦雄戦をほうふつさせ“昭和の香り”が漂ったとのこと。第2局の序盤である。
しかし、そこで藤井竜王が新工夫の手を打った。羽生九段は「令和時代の味に変化した」という。これぞ温故知新であり、研究熱心で謙虚な姿勢が盤上に表れていた・・・と。
現在、藤井聡太竜王と渡辺明名人の王将戦は第3局の時点で藤井竜王の3勝である。両者の対局はこれまで13局あり、藤井竜王の11勝2敗と渡辺名人の分が悪いようであるが、この先の巻き返しが楽しみである。とにかくレベルの高いプロの戦いはとても興味深い。