日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

言葉に触れる時間を足せば?

 

「ホンマでっか!?」とくれば明石家さんまさんを連想してしまうが、この関西弁を漢字にすれば「本真」なのだという。意味は、“本当である”ことや“真実である”ことで、文字通りだ。ただ、漢字を頭に浮かべて口に出してみると、響きが重くなるような気がしてくる。

大阪の市井を描く織田作之助さんの短編小説『螢』には奇妙な詐欺の手口が登場する。

「中身は絶対に見るな」。旅館などで風呂敷包みを預ける男が言い放つ。数日後、受け取りに来た男は「中を見たな」と騒ぐ。

包みを解くと中にあった人形が「見たな」と口を開いた。男いわく、とある大名に贈る品であったが、不徳な目で見られてはそれもできない。どうしてくれる、と金を要求。

「見た人形」というやり口らしく、人形がしゃべるのはからくり仕掛けと腹話術だ。時代によって詐欺の手口も変化していくものらしい。

 

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さて、人がしゃべる過程では、家族の会話やラジオを聞いたりと、いろいろな情報が耳を通して心や脳に入っていくことになる。言葉に触れている時間を足すと、1日で何時間ぐらいになるのだろうか。

英語圏の調査結果では、5歳くらいまでで約1万7千時間になるという。言語のシャワーをそれくらい浴びると、会話が一通りできるようになるらしい。

聞いたものをそのまま覚える子どもは“無意識の学習”であり、大人では意識的に学ぶことができる。その目的意識があれば身につくのも早いとのこと。

やる気さえあれば、外国語の習得時間大幅短縮も可能になってくるようだ。

 

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人がしゃべる言葉から得られることはとても多い。

<勝ち続けるためにどうすればいい? ちょっと手を伸ばせば届くぐらいの目標を立てる。それを達成したら次の目標をつくり、それを繰り返すとより強くなれるのだ>。箱根駅伝で何度も優勝した青山学院大の原晋監督が著書で述べていた。

<勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし>。負けには必ず理由があり、失敗から学ぶことが大事といった趣旨だ。あの野村克也さんの名言の一つであるが、江戸時代の剣術の達人・松浦静山の剣術書からの引用だという。

こちらは縫い物から生まれた言葉だという。“つじ”は縫い目が十文字になる所、“つま”は着物の裾の両端で、「つじつま」が合わなければ形を成さず、無理があるということ。
まるでコロナ禍の政府のようだ。“ナントカ宣言”だけは出して延長。その具体策はまったく示せない。多くの店や国民に我慢を強いていながら、国民が反対多数のオリンピックを開催、などと目論んでいる。そのことになんの意味があるのかもハッキリ言わない。