日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

モノだけでなくヒトづくりへ

 

作家・池波正太郎さんの時代小説には、あくの強い登場人物の魅力とともに、いかにもおいしそうな料理や酒が出てきて楽しめる。坂や水路が多かったという江戸の町並みも細かく描かれている。

また、映画にもなった“南極料理人”で元越冬隊員の西村淳さんは、極寒の地でジンギスカン鍋をやったらどうなるか・・・と、実際に試したことがあるらしい。

氷点下40度における野外での焼き肉は相当あわただしい。通常の食べ方は不可能で、焼けたら速攻で口に投入しないと、肉はカチカチに凍ってしまう。

缶ビールも開缶して1分以内に飲み干さないと一瞬で苦い氷になってしまう。江戸時代の粋な飲食風景とはかなり異なるようだ。

現代も大好物な人が多い握り寿司の誕生は、江戸時代の東京にて、庶民が気軽に立ち食いできる屋台としてのスタートだったという。

 

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食べ物には歴史のつながりみたいなものが感じられる。反面、明治時代以降の日本で重宝されたモノを思うと、とくにこの近年での変貌を強く感じてしまう。

フィルム写真で貴重品だったカメラも、デジタル化で新しいカメラに切り替わる。今はデジカメを持ち歩かなくても、スマホで写真や動画もきれいに撮れてしまう。

音楽鑑賞の主流も1980年代の後半にアナログレコードからCDに移行。家庭での録音方法もカセットテープからMDへとデジタル化した。そして、インターネットによる音楽配信の普及で、こちらもスマホで音楽を持ち歩く時代となった。

一方、レコード生産は2017年に16年ぶりで100万枚を超え、V字回復傾向だとか。モノの価値でデジタル世代が注目したらしく、一昨年に全米レコード協会でレコードの売り上げが33年ぶりでCDを上回りそうだと発表した。

とはいえ、小室哲哉さんが売れに売れたあの時代など、CDのアルバムなどがミリオンやダブルミリオンという単位で出荷されていた。今のCDの衰退がこれほどまでには・・・と感慨深い。

家にテレビを持たない人が増えてきたという。私の息子夫婦もテレビをまったく観ずに、「YouTube」で動画を楽しんでいるという。“テレビが命”の私からは信じられない。

 

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一家に1台から一人1台になり、テレビは家族団らんの中心ではなくなったが、人気番組を見ておかなければ仲間と話が合わなくなる・・などの、意識醸成の役割もネットサービスにその座を譲ってしまったようだ。

<数十年後には、従来型のテレビ放送は固定電話のように主流ではなくなる>との見立てもあるという。その切り替わりも案外早いのかもしれない。たしかに私も放送番組よりも、有料の配信動画やYouTubeを観る割合が上昇している。

<夢に到達できなくても悲しいことではない。悲しいことは夢を持てないことだ>。そんな言葉が思い浮かぶ。

ソニーやシャープなどモノづくり大国を体現する企業が日本に多く生まれた。それを支えてきたのが夢やロマンでもあったのか。どれだけ今は語られているのだろう。

<やってみもせんで、何を言っとるか>。ホンダの創業者本田宗一郎さんは社員の可能性を引き出し、成長を促したという。

“モノだけでなくヒトづくりへの情熱”が言葉にあふれている。それがなにより、働き方改革が叫ばれる中で(企業の)大事な役割なのではないだろうか。