日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

映画・ドラマ創りの今昔物語

 

<映画は芝居ではない。ドキュメンタリーである>。高倉健さんの言葉である。こころを揺さぶられる映画は意外に淡々としている演出なのではないか。『フィールド・オブ・ドリームス』や『マディソン郡の橋』等はそのような印象である。

監督としても多くの名作を演出しているクリント・イーストウッドさん。ご自身の出演作を含め(奇をてらうことなく)物語がわかりやすく進行していく。その映像表現は、ブラックボックスをクリアボックスにするように、具体的でわかりやすい。

<俳優とは、迷っている時、悩んでいるときがいい>と言ったのは山田洋次監督である。東映のヤクザ映画から転身する時期に、高倉健さんは『幸せの黄色いハンカチ』の出演依頼を受けた。映画初出演で共演を果たした武田鉄矢さんは、フォーク活動に行き詰まり、田舎に帰ろうかと思っていたところだ。

 

2037

 

昔のスターは貫禄があったのか、年齢のわりに老けて見えた。1953年に公開された小津安二郎監督の『東京物語』に主演された笠 智衆さんは49歳であった。2013年、そのリメイクとして山田洋次監督が『東京家族』という作品のメガホンをとった。

主演された橋爪功さんの公開当時の年齢は72歳であった。新旧作品を観比べても橋爪さんの方が笠さんよりはるかに若く感じる。

仁義なき戦い』と『アウトレイジ』でキャストの比較をしても、そのことがよくわかる。
“仁義なき”では40代、50代ですごい存在感の役者さんが多数出演。“アウト”は60代の役者さんが中心だがとても若く見える。

最近のドラマでは、さわやかな二枚目が悪役を演じて凄みを出している。放映中の『きみが心に棲みついた』では、向井 理さんが怖い。昨年同期の『奪い愛、冬』では、三浦翔平さんが狂気の演技を披露していた。おふたりとも、身長180cm台の二枚目だけに、そのギャップがとてもおもしろい。

 

2038

 

「起承転結」で“承”がボディブローのように効いてくるドラマが大好きだ。私が恋愛ドラマに期待するのは“お笑い”。絶妙な口げんかや痴話げんかにわくわくする。

最高の離婚』の瑛太さんと尾野真千子さん。そして、綾野剛さんと真木よう子さんのカップルが絡み、痴話げんかが繰り広げられる。落語ではないが、オチがわかっていても、何度も観たくなるドラマだ。

最後から二番目の恋』で、小泉今日子さんと中井貴一さんの台詞バトルも楽しかった。古都・鎌倉を舞台とした45歳独身女性と50歳独身男性の恋愛青春劇で、共演者たちもすばらしい。

痴話げんかにおいて、シナリオの上手さをフルに感じたのは『結婚できない男』である。阿部寛さんと夏川結衣さんのラストのセリフで、ふたりは<キャッチボールではなくドッヂボール>をしていたことに気がつく。

「キャッチボールをしてみたい」と阿部さん。「ボールは投げましたよ」と夏川さん。

 

わかっているけどヨッパライ

 

作家のサマセット・モームさんは、“生涯最高の感激は何だったか”と晩年に問われ、「あなたの小説を一度も辞書の世話にならずに読んだ」との手紙を、戦場の兵士からもらった時だ、と応えた。

毎回、駄文を連ねる私にもその意味がよくわかる。読む人が“むずかしい”と投げ出すようでは、読んでもらえず書く意味もなくなる。

まだ新進の作曲家で、当時29歳だった船村徹さんはある実験をした。将棋の駒を並べて、息を吹きかけてみたのだ。<吹けば飛ぶよな・・・>と、もらったばかりの歌詞にあった。「ほんとに飛ぶのか、疑いましてね」と船村さん。将棋の駒は飛んだ。

詩壇の大御所・西條八十さんによる作詞の『王将』であったが、いい加減な表現ならば納得できなかった。言葉を何よりも大切にし、詞に惚れて曲を書いた人である。きっと、辞書に頼るような歌詞の場合であっても承服できないはずだ。

 

2035

 

1970年代に自切俳人(ジキルハイド)という名で、ラジオの深夜放送にてディスクジョッキー(DJ)を務めたのは(作詞で数々の名作を生んだ)きたやまおさむさんである。深夜放送は思いを率直に歌うフォークソングのブームを支え、斬新な表現も受け入れた。

フォーク・クルセダーズの大ヒット曲『帰って来たヨッパライ』を初めて聴いたときは、ビックリしながら大笑いをした。<おらは死んじまっただ>を繰り返すコミカルな歌詞でありながら、珍しく“死”をテーマに据えた不思議な歌でもあった。しかし、わかりやすくて映像がすぐに頭の中へ浮かぶ。

学生運動などの時代背景も相まって、タブーを犯しても間口が広がるような感覚であった。深夜放送は、現実に対するもうひとつの時間や空間の発見であり、DJもリスナーも、みんなが同時間帯に起きて、聴いているという連帯意識みたいなものがあったようだ。

 

2036

 

昭和の映画にあったセリフである。「おかげさまで、月月火水木金金の忙しさです」。
商売のあいさつなどで使われていた。土日が永遠にこない1週間の言い方は、戦中での厳しい訓練の日々が軍歌にうたわれ、映画などで後の高度成長時代を映す。

<わかっちゃいるけどやめられねぇ>は植木等さんのヒット曲の一節である。健康や仕事など、生きる上で大切なことは何なのか、わかっているはずがそれを実行することができない。あげくに開き直る。なんでもいいじゃないか、と。

植木さんは映画の『無責任シリーズ』でモーレツに働くサラリーマンを演じて、それがカッコよく輝いて見えた。その価値観は後々もしぶとく残っていたようだ。今ならあのペースでよく体がもつものだと感心するが、無責任に生きる植木等さんが、とても自由で健康に見えて、自分たちもその真似事をしていた。

あの時代とこの数年では、生活の景色がどんどん変わってきている。辞書をまったく使わない分、ネットやAIに頼る時間がどんどん増えている。それも要因のひとつなのだろうか。

 

働き過ぎをやめられない人達

 

「魚が売れたからって魚屋が、ほかの魚屋を集めてお祝いをしますか?」
直木賞をはじめ、あらゆる文学賞を固辞した山本周五郎さんの言葉だ。

『樅ノ木は残った』を新聞に連載していた頃、読者が周五郎さんに手紙を送った。
<私は貧乏書生で新聞を定期購読できません。毎朝、新聞社の支局前に張り出される紙面で立ち読みしています>。

「恵まれた境遇にいる読者も大切だけれど、僕には彼のような読者のほうが、もっと大事に思えるんだ」。周五郎さんは文芸評論家・木村久邇典(くにのり)さんに語った。周五郎さんには、不遇の人に読まれることが、受賞にまさる誇りだった。

青べか物語』で、主人公の“私"が劇作家ストリンドベリの一節をつぶやく。<苦しみつつ、なおはたらけ、安住を求めるな、この世は巡礼である>。この話でなぜかサラリーマンの心境を想い浮かべてしまった。

 

2033

 

パソコンで文章を入力した言葉が意外な1行となる誤変換がある。

<それは会社の方針とのことで、正しいようです>と入力したつもりが、<それは会社の方針とのことで、但し異様です>と。

もうひとつ誤変換から、<常識力検定を導入し…>と入力したはずが、画面には<上司気力検定を導入し…>。

7勝7敗で千秋楽を迎えた力士はなぜか勝つことが多い。長い相撲ファンならそう感じる人は多いだろう。

かつて、米国の経済学者スティーヴン・レヴィットさんらが、そのことを数字で示した。2000年までの約10年間にわたる3万2千の取組を調査結果、勝ち越しか負け越しか(瀬戸際の)力士が8勝6敗の相手と対戦した場合、約80%は前者が勝っていた。

星の貸し借りがあるのとの推測もあるが、大事な一番で必死になった結果かも知れない。今の力士はあまりにもケガが多い。ガチンコ勝負の結果なのだろう。過酷な今のサラリーマンにとっても瀬戸際の勝ち越しを続けることが・・・やはり大事だろう。

 

2034

 

毎年恒例のサラリーマン川柳が大好きである。今年でもう31回目になるらしい。<休暇とれ5時には帰れ仕事せよ>。働き過ぎをやめられない会社員たちの嘆きで、1993年の作になる。

昨年発表された入選作では、<ノー残業居なくなるのは上司だけ>、<残業はするなこれだけやっておけ>、<ノー残業お持ち帰りでフル残業>などがあった。

本年の作品では、<AIよ 俺の上司の 指示わかる?>、<「言っただろ!」 聞いてないけど 「すみません」>、<相談は 上司先輩 よりネット>、<週始め やる気を消し去る メール数>、<AIが 俺の引退 早めそう>、<都合よく 「若手」「中堅」 使われて>、<出したパス 誰も取らない 会議室>、<業績は いいと聞くのに 感じない>、<効率化 提案するたび 人が減る>、<改善を 提案すると 業務増え>・・・などなど。

矛盾だらけの世の中で、文才溢れるサラリーマンがなんと多いのだろうか。頼もしくもあり、感謝する。<(_ _)>"ハハーッ

 

ライフスタイルによる動向は

 

最近、深夜の徘徊をしていないが、ファミレスなど外食チェーンの24時間営業中止が広がっているそうだ。ライフスタイルの変化による客の減少や、働き手の確保の難しさが背景にある。

全国に約220店舗の「ロイヤルホスト」は昨年2月から24時間営業の店がなくなった。それまで24時間営業だった店は午前2時閉店、午前2時閉店だった店も午前0時閉店になった。

「ガスト」、「バーミヤン」などのすかいらーくも深夜営業の見直しで、24時間営業など、午前2時以降も営業していた約1000店のうち、約650店を午前2時閉店にした。現在うちの近所のガストでは、3店中2店が午前2時閉店で1店が24時間営業である。

24時間営業の店舗は1980年代頃から、深夜の来客を見込んだ都市部などで展開されたが、2011年から見直しが進められ(深夜帯にも配置していた)店の責任者をランチタイムなどに配置させるようになった。

 

2031

 

一昨年の調査では、午前2~7時にファミレスへ来店した客の割合は、全時間帯の1%にも満たなかった。深夜帯の客の減少が大きく影響している。

かつて、深夜帯は若い人がグループで利用する場合が多かった。少子化で若者の数が減ったこともあるが、今はスマホやSNSの普及で顔を合わさずに交流できてしまう。
夜中にわざわざ出かける必要がないのである。

話は変わるが、“「全録」ビデオレコーダー”が出始めた頃、売れ行きが芳しくなく<なぜ流行らない?>とのネット記事をよく見かけた。

元々、“Blu-rayドライブ”を備えた機種が多く、“BDレコーダー”と呼ばたが、地上波/BS/CSデジタル放送をハードディスクに録画する機能は共通であった。

ハードディスクの大容量化で、録りためる使い方が一般的になり、気になる番組はとりあえず予約して、再生して見終わったら消すという使い方が主。

 

2032

 

その流れで登場したのが、特定のチャンネルを終日録画する“まる録り”と呼ばれる機能。指定チャンネルでの番組すべてを予約不要で録り逃しがない。まる録りの進化版にあたる機能が「全録」である。東京でいえば地上デジタル放送6局すべてを放送開始から終了まで録り続ける機能。

当初の「全録」は台数ベースで約5%程度と、話題になっていなかった。わが家の機種には、“新ドラマの丸録り”機能が付いているが、季節の変わり目のドラマスタート時は、必要以外に録画させない削除作業がたいへんだ。

私にとって「全録」も必要がない。地デジ化以降のテレビ番組がどんどんつまらなくなっているのに、必要のない番組すべてを録画しても無意味である。

今はネット配信の番組をテレビで観るのがおもしろくてたまらない。録画がたまったり、レンタル期限を気にするノルマ感もなく、自由気ままでお気楽に楽しめる。

夜中にファミレスへ出かける必要がないように、無駄を省くライフスタイルの変化が、テレビ視聴にも訪れているようだ。

 

インターネットが近づく瞬間

 

『七つの子』や『赤い靴』を作曲した本居長世さんは、「道を歩いていると、電線が五線紙に見える」と語った。電線に関連した技術畑のアイデアとは異質なアイデアが浮かぶからおもしろい。

iモード編集者と称された松永真理さんも、本居さんと同タイプの方なのか。1977年に明治大学文学部仏文科卒でリクルート入社。雑誌の編集長を経て、97年7月にNTTドコモへ転職した。

97年1月にドコモ社内では、携帯電話でインターネットに接続する新事業をやるよう社長から指示があり、松永さんも参加することになった。この年は、携帯で短いメールをやり取りするサービスも始まった。

あの頃は携帯が伸び盛りで、儲かってしょうがなかったという。このまま無限に売れ続ける、とほとんどの社員が思っていた。しかし、社長は違った。いずれ誰もが携帯を持ち、マーケットは飽和する・・・と。

 

2029

 

余裕があるうちに次の新事業を探そうと、ドコモの社長は携帯電話からインターネットにつなぐ新ビジネスを始めようとしていた。それを聞いた松永さん。これはあたるな、と感じたそうだ。

しかし、ネットにつないでどんなサービスを提供するのか。技術分野の人間たちにはその先のアイデアがなかなか浮かばなかった。

1995年、宇都宮市内のポケベルが“話し中"でつながらなくなった。時間帯は決まって午前7時頃、お昼、午後4時過ぎから深夜、に限られた。そして、交換機がダウンしそうなほどの通信量になった。

宇都宮市の女子高校生はポケベル好きで、支店売り上げが全国一になったこともある。いわゆる「ベル友」なのである。

当時、駅前に緑色の公衆電話が10台ぐらいあり、朝は女子高生が並び、ずっと張り付いてテレホンカードを入れ、「0840(おはよう)」などと語呂合わせの数字を入れるたびに、友達のポケベルを呼び出した。いったん切り、また別の友達のポケベルを呼び出す繰り返しであった。

 

2030

 

会社員と違い、1日に数十回、あいさつ代わりにメッセージをやり取りする。それが「話し中」の原因だった。彼女たちが教室にいて電話ができない時は、普通につながった。
緊急連絡用に使っている大人たちからは、「つながらないポケベルを売るのか」と栃木支店に抗議が殺到した。

その女子高生のポケベルも、携帯電話の発達で止まることになる。松永真理さんは気が付いた。ポケベルにしろ携帯にしろ、業務での利用を考えていたが、一般の消費者、特に若い世代のコミュニケーション手段として、有力な新市場があることを。

1999年2月、携帯電話でインターネットに接続する「iモード」がスタートして、スマートフォンブームの先駆けとなった。この日を境に「もしもし」の携帯電話は、インターネットをつなぐ道具に変わった。親指でメールを打ったり、電車の時刻を調べたり、銀行の手続きもできる。パソコンやPDA(携帯端末)がなくても手軽にインターネットを使えるのである。

 

会話を楽しむことは同じでも

 

ついこの間のことだと思っていたが、若者を中心によく使われた“KY式日本語”も10年前の話らしい。代表的な「KY」(空気読めない)などと今 口走ったら、若者たちから口をきいてもらえなくなるだろう。

当時は“縮めに縮めた略語”を収めたミニ辞典も登場したようで、「3M」(マジでもう無理)、「ND」(人間として、どうよ)、「CB」(超微妙)などが網羅されている。

電車の中で若い女性のグループから、「DOね」とささやく声が聞こえれば、「ダサいオヤジ」なのか、「ダンディーなおじさま」なのかわかりにくいと、ミニ辞典で調べた年輩者がいたかもしれない。私の場合は、調べずとも答えはすぐにわかるのだが。

その対極で、昔の人はしばしば長文の“無駄口ことば”を用いたらしい。長所が見つからないときは「貧乏稲荷で取りえ(鳥居)がない」とか、簡素な祝い事は「座敷のちり取りで内輪(団扇(うちわ))で済ます」などと。

 

2027

 

<饅頭の真価は美味にあり。その化学的成分のごときは饅頭を味わうものの問うを要せざるところなり>。夏目漱石さんは著書『文学論』で俳句を饅頭に例えた。俳句を味わうのに成分論議(難解な解釈)は無用、うまければいいのだ、と。

俳句に限らず、日常の敬語も“美味”という(耳にした時の)心地よさにあるのかもしれない。

痛勤電車に疲労宴などと、誤字や誤植にはときになるほどと思わせるものがある。“失敗は成功の墓”もそうだろう。わが家のリビングのテレビには画面の縁に「世界の亀山ブランド」のラベルが貼られている。シャープの名を世界に轟かせた三重県・亀山工場製である。

美味であったはずのラベルを見るたびに、身売りをするハメになったシャープの成功が墓に入るような気分になってしかたがない。それも、製品の寿命がまだまだ尽きないうちに・・・なのである。

 

2028

 

評論家・大宅壮一さんは虚業家、恐妻、一億総白痴化などと、独特の言語感覚で世相を斬り、多くの造語を遺した。「口コミ」もその一つである。

その口コミという言葉の語意は随分変わってきているようだ。今風に記すならLINEやツイッターなどSNSを使った情報の拡散なのであろうか。

観光、映画からコンビニの新製品まで、あちらこちらで<ヒットの鍵は口コミ>という文言が飛び交う。かつて「時代を映す鏡」と称された雑誌の売り上げ減も著しい。

一億総評論家が情報交換や検索に明け暮れる現代を、大宅さんなら、どんな言葉を用いて喝破するのだろうか。

 

横浜ホンキートンクブルース

 

昨日、宇崎竜童さんの“弾き語りライブ”に行った。『港のヨーコ・・・』で始まり、アンコール曲『さよならの向う側』まで、ご自身のヒット作で大いに盛り上がった。

自作以外の歌を2曲披露してくれた。ひばりさんの『リンゴ追分』であり、もう1曲がこの名曲『横浜ホンキートンクブルース』であった。

1970年代終わり、俳優・藤竜也さんはトム・ウェイツの曲にインスピレーションを受けて一編の歌詞を綴った。歌詞を渡されたのは高校の後輩でゴールデン・カップスのエディ藩さん。野毛の立ち呑み屋で競馬中継を見ながら曲をつけた。

藤さんは人生のすべてといっていいくらい、長い時間を横浜で過ごす。白塗りのメリーさんとも伊勢佐木町、関内や馬車道横浜駅西口で会ったそうなので、私と同じだ。

不思議な空間で、彼女とまわりの空気には、ある種の威厳みたいなものがあり、すうっと舞台を移動する能役者のように動いたという。

 

2025

 

あの曲の作詞をすることになったきっかけとして、藤さんにはエディ潘さんと別の記憶がある。

藤さんは一時期、エディ潘さんやデイブ平尾さん、柳ジョージさんなどと、チャイナタウンあたりでよく飲んでいて、「ちょっとしたレストランで仲間とライブやるから」とエディ潘さんに連れて行かれた。

奥のほうにちょっとした演奏ができるようなスペースがあって、バー・カウンターがいちばん手前にある店だったという。そのカウンターで藤さんはライブを聴きながら酒を飲んでいたが、「お、これいいじゃん」と思う曲があった。それが『横浜ホンキートンクブルース』だったのだ。ただし、曲はいいけど歌詞があまり面白くなかった。

藤さんは酔いながら、コースターの裏か何かに“こんなのどう?”みたいな感じでワーッと書いてエディ潘さんに渡したのだという。曲のタイトルは最初からあった。エディさんは<面白いじゃないすか>と応えた。そして、その話はその場だけのことだった。

 

2026

 

音楽業界のことをまったく知らず、人とのつながりもない藤さんへ、レコード会社から「歌をうたってくれ、シングル出したい」との連絡が入った。返事をして出かけたら、見せられた曲が『横浜ホンキートンクブルース』であった。

歌わない方がよかった、と謙遜する藤さんであるが、ぜひ藤さんの原曲を聴いてみたい。
藤さんが吹き込んでしばらくすると、エディ潘さんが自分で歌った。そのうちに原田芳雄さん、松田優作さん、石橋凌さんなどが歌った。

原田さんと藤さんは歳も同じで、20代の頃によく仕事していたそうだ。<バンドホテルでライブやってるから>と原田さんから誘いの電話がかかり、最上階にあったナイトクラブ「シェルルーム」で藤さんは聴いた。

トム・ウェイツは日本でポピュラーじゃないが格好いいと思った。特にあの嗄れ声が。その箇所の歌詞をそれぞれ変えて、原田さんは「ブルース」などと歌ってるみたいだけど、その自由さがまた楽しい・・・のだと藤さんは言う。

 

一生では足らない二生ほしい

 

<戸一枚向こうにだれかが息をころして立っている、そんな感じで・・・>。劇評家・戸板康二さんは随筆に記した。子供時代の雪の朝を回想している。今朝のわが家でも窓外に雪が舞っていた。

雪の降る明け方の静けさは、誰かが息をころして立っている気配に感じるが如く、その“雪と沈黙”が科学的に説明できるものらしい。

交通の途絶により戸外の音が消えるだけでなく、落下する雪片や地上の積雪が音波を吸収して静けさをもたらすからだ。

女子スキージャンプ高梨沙羅選手は、14歳にして札幌・大倉山で141メートルを飛んだ。その瞬間、会場にいただれもが息をころして立っている。そんなイメージが脳裏に浮かぶ。

 

2023

 

野球で球場のバックスクリーン直撃のホームランは、推定飛距離が130メートルとも、140メートルともいわれる。雪山の競技場では、それと逆の美しい放物線が見られるのだ。

さて、豪快なホームランも魅力あるが、強打者をきりきり舞いさせる剛速球も迫力満点である。片手の5本はまだしも、両手の10本とは想像がつかない。

尋常高等小、京都商業を通じて5年間、捕手として沢村栄治さんの球を受けた山口千万石さんは、指を10本すべて脱臼したという。受ける左手だけではなく、ミットの裏に添えた右手まで無事で済まなかった。

その剛速球に加えて、肩口から膝元に落ちる(懸河と称された)変化球のドロップがあるので、打たれなかったのもよくわかる。

 

2024

 

17歳のとき沢村さんは、ベーブ・ルースのいる大リーグ選抜をなで切りにしている。プロ野球創設とともに巨人で活躍するも、現役引退後の1944年10月に2度目の応召(現役兵時代を含め3度目の軍隊生活)でフィリピンに向かう途中、台湾沖で戦死した。

享年27。実働は通算5年にすぎない。日中戦争(支那事変)に従軍した際は、抜きん出た遠投力を請われ、野球のボールよりはるかに重い手榴弾をさんざん投げさせられたことから、生命線である右肩を痛めた。そして、あの豪速球は影を潜めた。

<修業は一生では足らん、二生ほしい>。文楽人間国宝、七世・竹本住大夫さんの兄弟子の言葉だという。生前に、“三生ほしい”とおっしゃったのは黒澤明監督であった。

何かを極めようとして「一生」を懸命に生きると、人生の時間が短すぎるのであろう。ことにアスリートの場合、肉体の限界が早々に訪れる。

この2月で沢村栄治さんは生誕101年になる。

 

相撲で学ぶ判断力の勘どころ

 

相変わらずの相撲人気である。大相撲初場所14日目・NHK総合の生中継で、前頭3枚目・栃ノ心が初優勝を飾った27日放送分は、平均視聴率が20.2%。翌日の千秋楽の生中継でも、平均視聴率が19.0%の高数字なのである。

相撲通の作家であった宮本徳蔵さんは、著書『力士漂泊』(1985年)で“強さ”の極致にふれた。69連勝の双葉山はどんな敵に対しても「泰然自若として些少の動揺をも示さず」に勝った。まるで相手が自滅していくような印象すら受けた。

白鵬双葉山のDVDを見て研究したという。デビュー直後の序ノ口時代には負け越しを経験し泣いた。後に横綱に昇進するような力士なら、本来すんなり行くところで自分はつまずいた、と振り返る。

宮本さんいわく、“チカラビト”である力士は、本来モンゴルで生まれたとする。「国技」の背後にユーラシアの広大な時空を見るべし、と。

 

2021

 

横綱大鵬が平幕戸田に敗れ、連勝が「45」で途切れた一番は、物言いのつくきわどい瞬間であった。ビデオ判定の導入以前である1969年(昭和44年)の大阪場所。

テレビ中継のビデオでは、大鵬の足が土俵に残っている。大鵬は勝っていた。「大変だ、誤審だァ」と支度部屋に押しかけた報道陣に、大鵬は語ったという。<負けは仕方ない。横綱が物言いのつく相撲を取ってはいけない>。勝負審判ではなく、あんな相撲を取った自分が悪いのだ、と。

「孤掌、鳴らしがたし」という。片方の手のひらだけで手を打ち鳴らすことはできない。人の営みはどれも、相手があって成り立っている。勝負の世界も“競い合う”という形の共同作業にほかならない。

大鵬が現役の頃、北海道の実家に自分の写真と並べて、ライバルである横綱柏戸の写真を飾っていたことは有名だ。大相撲の人気は自分ひとりでつくったのではない。柏戸関がいてこそだから・・・と。

 

2022

 

相撲のわざに、相手の攻勢を軽くかわす“いなし”がある。サラリーマンの土俵でも、突っ張りやがっぷり四つよりも“いなし”のお世話になることが多いのではないか。会社に抱く不平不満と、いつも正面からぶつかっていては身がもたない。不満を右にいなし、左にいなし、かろうじて日々の土俵を務めている

将棋の大山康晴十五世名人は生前、よく語ったという。<得意の手があるようじゃ、素人です。玄人にはありません>。大駒の飛車角から小駒の歩兵までを自在に使いこなせないで、プロ棋士は名乗れないのだと。

どんな仕事に就いても、その分野のプロであることにはまちがいない。そのときには、いかなる手やわざでも、繰り出せることが必要になるはずだ。

 

身軽になるには持たないこと

 

ナルシシズムなる言葉の生みの親は心理学の祖・フロイトらしい。陶酔、自己愛がすぎて周りが見えなくなる精神状態のことだ。

一昨年、無料アプリ「NHKプロフェッショナル 私の流儀」が流行り、公開から約1か月で100万ダウンロードを突破したという。サイトには“2017年12月31日24時をもって配信を終了”とあったので、残念ながら今は落とせないらしい。

NHKの番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』の主人公になりきった動画を、簡単に作成できるというこのアプリも、ナルシシズムのこころをくすぐるものなのだろうか。

作成した動画は、自分のスマホなどに保存するだけではなく、NHKの番組特設サイト「みんなの流儀図鑑」に投稿できるそうな。

 

2019

 

ソニーを“モルモット企業”と呼んだのは評論家・大宅壮一さんであった。業界に先駆けて新しいことに手をつけても、それはほかの大企業が乗り出す前の実験のようなもので、
しょせんはモルモットにすぎないと斬り捨てた。

しかし、ソニーの創業者・井深大さんは一枚上手で、これを聞いて喜んだ。モルモットはひとマネをしない“ソニー・スピリット”の象徴なのだから・・・と。ポジティブ思考への架け橋となるナルシシズムは大したものである。消費者たちはソニーの新しい商品を待ちわびて、ヒット商品が連発した。

<精神の疲労はアルコールを求め、肉体の疲労は甘味を求める>。作家・開高健さんはエッセイに記した。何の業種であれ、仕事に疲労はつきものである。

水に物質が溶ける性質である“水溶性”にならえば、人それぞれ、疲労にも“酒溶性”や“糖溶性”の種類があるようだ。そして、かつては“新製品溶性”のシェアも大きかった。

 

2020

 

今はモノの“所有”から“使用”へ転換との時代だといわれる。モノを手に入れても、使う時間や場所を確保する方が難しい。自分の子どもたちをみても、それぞれ車を持っていたが今は手放して、必要なときはカーシェアを利用している。

私も、動画や音楽のディスク(モノ)の購入やレンタルをまったくしていない。インターネットの配信ですべてがまかなえているため、所有感というものが失せているのである。

“使用”に価値を見いだす人が増えている、ということはよくわかる。モノを持たずにお気に入りの映画や番組を観たり、タブレットスマホで好きなだけ本も読める。そのことが新鮮なのである。

それを突き詰めていくとライブに行くとか、習い事をするなどと、体験して満足を得る消費は増えると思われる。現に、この先 数週間でライブに行く予定が2件入っている。

ふだんの会話でも、新製品の◯◯を買ったなどの話より、穴場のレストランや温泉地に行ってきた、との話の方が盛り上がっている。今はあふれる情報の中で、自分に合ったことを探し出す賢さが求められ時代でもあるのだ。