日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

一生では足らない二生ほしい

 

<戸一枚向こうにだれかが息をころして立っている、そんな感じで・・・>。劇評家・戸板康二さんは随筆に記した。子供時代の雪の朝を回想している。今朝のわが家でも窓外に雪が舞っていた。

雪の降る明け方の静けさは、誰かが息をころして立っている気配に感じるが如く、その“雪と沈黙”が科学的に説明できるものらしい。

交通の途絶により戸外の音が消えるだけでなく、落下する雪片や地上の積雪が音波を吸収して静けさをもたらすからだ。

女子スキージャンプ高梨沙羅選手は、14歳にして札幌・大倉山で141メートルを飛んだ。その瞬間、会場にいただれもが息をころして立っている。そんなイメージが脳裏に浮かぶ。

 

2023

 

野球で球場のバックスクリーン直撃のホームランは、推定飛距離が130メートルとも、140メートルともいわれる。雪山の競技場では、それと逆の美しい放物線が見られるのだ。

さて、豪快なホームランも魅力あるが、強打者をきりきり舞いさせる剛速球も迫力満点である。片手の5本はまだしも、両手の10本とは想像がつかない。

尋常高等小、京都商業を通じて5年間、捕手として沢村栄治さんの球を受けた山口千万石さんは、指を10本すべて脱臼したという。受ける左手だけではなく、ミットの裏に添えた右手まで無事で済まなかった。

その剛速球に加えて、肩口から膝元に落ちる(懸河と称された)変化球のドロップがあるので、打たれなかったのもよくわかる。

 

2024

 

17歳のとき沢村さんは、ベーブ・ルースのいる大リーグ選抜をなで切りにしている。プロ野球創設とともに巨人で活躍するも、現役引退後の1944年10月に2度目の応召(現役兵時代を含め3度目の軍隊生活)でフィリピンに向かう途中、台湾沖で戦死した。

享年27。実働は通算5年にすぎない。日中戦争(支那事変)に従軍した際は、抜きん出た遠投力を請われ、野球のボールよりはるかに重い手榴弾をさんざん投げさせられたことから、生命線である右肩を痛めた。そして、あの豪速球は影を潜めた。

<修業は一生では足らん、二生ほしい>。文楽人間国宝、七世・竹本住大夫さんの兄弟子の言葉だという。生前に、“三生ほしい”とおっしゃったのは黒澤明監督であった。

何かを極めようとして「一生」を懸命に生きると、人生の時間が短すぎるのであろう。ことにアスリートの場合、肉体の限界が早々に訪れる。

この2月で沢村栄治さんは生誕101年になる。