日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

わかっているけどヨッパライ

 

作家のサマセット・モームさんは、“生涯最高の感激は何だったか”と晩年に問われ、「あなたの小説を一度も辞書の世話にならずに読んだ」との手紙を、戦場の兵士からもらった時だ、と応えた。

毎回、駄文を連ねる私にもその意味がよくわかる。読む人が“むずかしい”と投げ出すようでは、読んでもらえず書く意味もなくなる。

まだ新進の作曲家で、当時29歳だった船村徹さんはある実験をした。将棋の駒を並べて、息を吹きかけてみたのだ。<吹けば飛ぶよな・・・>と、もらったばかりの歌詞にあった。「ほんとに飛ぶのか、疑いましてね」と船村さん。将棋の駒は飛んだ。

詩壇の大御所・西條八十さんによる作詞の『王将』であったが、いい加減な表現ならば納得できなかった。言葉を何よりも大切にし、詞に惚れて曲を書いた人である。きっと、辞書に頼るような歌詞の場合であっても承服できないはずだ。

 

2035

 

1970年代に自切俳人(ジキルハイド)という名で、ラジオの深夜放送にてディスクジョッキー(DJ)を務めたのは(作詞で数々の名作を生んだ)きたやまおさむさんである。深夜放送は思いを率直に歌うフォークソングのブームを支え、斬新な表現も受け入れた。

フォーク・クルセダーズの大ヒット曲『帰って来たヨッパライ』を初めて聴いたときは、ビックリしながら大笑いをした。<おらは死んじまっただ>を繰り返すコミカルな歌詞でありながら、珍しく“死”をテーマに据えた不思議な歌でもあった。しかし、わかりやすくて映像がすぐに頭の中へ浮かぶ。

学生運動などの時代背景も相まって、タブーを犯しても間口が広がるような感覚であった。深夜放送は、現実に対するもうひとつの時間や空間の発見であり、DJもリスナーも、みんなが同時間帯に起きて、聴いているという連帯意識みたいなものがあったようだ。

 

2036

 

昭和の映画にあったセリフである。「おかげさまで、月月火水木金金の忙しさです」。
商売のあいさつなどで使われていた。土日が永遠にこない1週間の言い方は、戦中での厳しい訓練の日々が軍歌にうたわれ、映画などで後の高度成長時代を映す。

<わかっちゃいるけどやめられねぇ>は植木等さんのヒット曲の一節である。健康や仕事など、生きる上で大切なことは何なのか、わかっているはずがそれを実行することができない。あげくに開き直る。なんでもいいじゃないか、と。

植木さんは映画の『無責任シリーズ』でモーレツに働くサラリーマンを演じて、それがカッコよく輝いて見えた。その価値観は後々もしぶとく残っていたようだ。今ならあのペースでよく体がもつものだと感心するが、無責任に生きる植木等さんが、とても自由で健康に見えて、自分たちもその真似事をしていた。

あの時代とこの数年では、生活の景色がどんどん変わってきている。辞書をまったく使わない分、ネットやAIに頼る時間がどんどん増えている。それも要因のひとつなのだろうか。