日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

雨でしかたなく入った映画館

 

かつては電気料金が心配になる家電の代表であったクーラー(エアコン)も、燃費がだいぶ改善されているとか。

節約のためや電力不足で使用を控えるように、とのお達しのあった時代が懐かしい。今は熱中症への備えとしてぜいたく品から必需品へと変貌している。これほど使用意義が上がった製品もめずらしい。

オランダの研究者いわく、快適と感じる部屋の温度は男性の摂氏22度に対し、女性は25度だという。代謝の差らしいが、真夏に膝掛けを使用ている女性がいる職場もあった。当時は男性が室温の設定権を握っていたのか。

その昔、某所で或るオーディションがあった。開始時間になっても審査員席らしき正面の席は空席のままだった。会場でエアコンが稼働していたかは定かでないが、受けるメンバーは少年たちだけなので男女間ほどの体感差はなかったのかもしれない。

 

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<きょうのオーディションは、終わり>。書類選考を通った数十人の少年に突然と言い放ったのは、「飲み物は要らないか」と先ほどからカップを配っていた中年男だった。

その男はジャニー喜多川さんだった。声かけを無視する者やむだ話をやめない者、黙ったまま受け取る者もいた。その時点で失格となったのは、「開始時間が話と違う」と文句をいう者だった。

公に姿を見せず写真撮影も嫌うジャニーさんの素顔をどの少年も知らなかった。「ぼくは素(す)を見て判断する」とジャニーさんは語った。オーディションの合否は飲み物を受け渡す時のやりとりの印象で決まったのだ。

若い世代の方はご存知ないだろうが、日本の男性アイドルグループの元祖の誕生は1960年代であった。まずは、若い女性から「身近な男の子」として人気を集めていたのが“スリーファンキーズ”。そして、ジャニーさんが自らの少年野球チームから選抜した4人で結成したグループが“ジャニーズ”なのである。

 

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雨で野球の練習ができない日があった。東京・代々木公園の少年野球に参集した4人を連れたジャニーさんは、しかたなく映画館に入った。そこで観たのが『ウエスト・サイド物語』で、ジャニーさんとメンバーたちは興奮した。少年野球チームが芸能の世界を目指すようになるきっかけであった。

元祖ジャニーズから始まった男性アイドルのプロデュース。まさにその雨の日が、日本のエンターテインメントで一つのジャンルを確立するまでになるのだ。有名な<ユー、やっちゃいなよ>は、時代の波動と共振したアイドルの育成術になった。

もともとジャニーさんは、(アメリカで過ごした高校時代に)バイト先の劇場で、歌って踊る男性グループのショーをよく観ていた。そこでは50歳代のグループの人気が高かったが、ショービジネスの未開拓な日本では、少年が一生懸命に歌って踊る姿が“良い”との直感だった。

放送作家高田文夫さんは野球少年だった。渋谷の少年チームと対戦して2試合とも負けたという。1年後、テレビをつけるとあの渋谷の野球チームの面々が映って、歌って踊っている。高田さんいわく、「もうあの頃から何をやってもジャニーズには負けていた」と。