日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

記憶の根源はいつ頃なのか

 

魔法のように会話がスムーズになったり、自分の思う方向に結論を導きやすくなったりする言い回しをマジックワードというらしい。たとえば、「ありがとう」と言われてイヤな気分になる人はいないだろう。人間関係の潤滑油にはうってつけの言葉である。

かたや、「一人一人ができることをする」、「意識改革すべきだ」、「断固たる決意で臨む」などでは、主張のトーンが上がり、高揚感が漂うものの、具体的に何がしたいのかはわからない。

「仕事をしながら口笛なんて吹いちゃいかん」と職場の上司が部下をしかった。

部下は答えた。「仕事をしながら口笛なんて吹いていません。ぼくは口笛を吹いているだけです」からと。放送作家織田正吉さんの『ジョークとトリック』にあった。

 

f:id:tomii23:20201020103439j:plain

 

1985年に「缶入り煎茶」という商品名の飲料が売り出された。その反応は少々、味気ないものだったという。

数年後にテレビCMの中で俳優が口にしたセリフを手がかりに商品名を変えた。それがきっかけで、売り上げが2倍になった。大ヒット飲料の「おーい お茶」(伊藤園)である。

商品名の覚えやすさや好ましさは売り上げを大きく左右する。ヒットの要因は、(話し言葉を使った)独特の名が消費者の印象に残りやすく、親しみやすかったことなのだろう。

全国のラーメン店は毎年3千軒が新規開業するが、8割が3年以内に廃業へと追い込まれるとのこと。コロナ禍の今ならもっと増えそうだ。

庶民に親しまれる食べ物も、提供する側からは厳しい状況をいくつも経ている。

江戸時代、白飯に挟んで食べられたという「鰻飯(うなぎめし)」も、(上にのせる)うな丼となるのが明治への移行期とみられ、それから、天丼、親子丼、牛丼、かつ丼の順で誕生し、世の中に広まった。

おいしかった記憶は、40年近くたっても鮮明に残っている。幼い頃に食べたものの味が味覚をつくるようだ。

 

f:id:tomii23:20201022150413j:plain

 

おいしいものを食べ。酒で興じる宴にも歴史がありそうだ。花見は本来、田の神に対する供応であり、迎える人々も神と共に大いに飲み食いするものだとか。

民俗学者・桜井満さんも<一人静かな花見は、少なくとも桜の花見ではない>と『花の民俗学』で書いている。

また、坂口安吾さんの幻想的な短編『桜の森の満開の下』では、<桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり団子をたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です>とある。

満開の桜の下は、“人の心を迷わせる不気味な場所”として描かれている。

安倍晋三前首相も、桜の妖気や毒気にあたり、勘違いしていたのだろうか。公費で開かれる「桜を見る会」に首相の後援会関係者が多数参加し「私物化」と批判された問題が、どんどん明るみに出ている。

本人はマジックワードを駆使してきたようだが、はたから見ればツジツマの合わぬことばかりである。それでも本人は嘘を重ね続ける。潔くなれない哀れな姿は、あのトランプ氏とよく似ている。