日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

魅力のある著名人たちの逸話


「食べ物の恨みは怖い」という。それは、人の記憶に強く残るものだからなのか。美しく盛りつけられた日本の弁当は、海外でも注目されている。

かつて、脚本家・向田邦子さんは(小学生だった)戦前の“弁当の時間”について、エッセイに記した。向田さんが書いたドラマにも食の風景は多かった。

向田さんの同級生に、弁当の時間になると「おなかが痛い」、「忘れた」と言って教室を出て行く子がいたそうな。そして、ボールを蹴ったり砂場で遊んでいた。

先生も周りの子も、自分の弁当を分けてあげようとはしない。「薄情のようだが、今にして思えば、やはり正しかったような気がする」と向田さん。

自分に置き換えても、人に同情されて肩身が狭い気持ちになるよりはいいのだと思えたらしい。どこか切なさがつきまとう子供のころの弁当。その思いも含めて、生きることを学ぶのも食育なのか。

 

f:id:tomii23:20200322140048j:plain

 

歳を重ねてもミーハー気分のままである。とくに、子どもの頃や若き日の時代にいた著名人たちの逸話が大好きだ。

戦後間もなく、松竹大船撮影所の駐車場には色とりどりの乗用車が並んだという。俳優たちが競って乗り始めていたからだ。名監督の小津安二郎さんはそれを見て嘆いた。
「いつから撮影所はやっちゃ場になったんだい」と。

こちらは東映映画の話だ。「最初と最後に(高倉)健さんの歌があって、立ち回りがあれば、途中はどうでもいい」。映画監督・降旗康男さんは、『網走番外地』シリーズを担当するにあたり、映画会社の幹部からそう言われた。

当然のことながら監督は憤慨した。途中がどうでもいいなら映画は成立しない。しかし、映画館で健さんの映画を見て、おえらいさんの言葉は真実だと悟った。

映画の冒頭では大拍手。しかし、途中で客の何人かが居眠り。かと思えば、ラスト近くに健さんの立ち回りの場面で起きだして、<待ってました!>と声をかける。たしかに・・・こんな魅力ある俳優はどこにもいない。

 

f:id:tomii23:20200523100359j:plain

 

お笑い芸人の世界にある「出落ち」とは、ネット検索によると<演者が登場した瞬間、すでに観客から笑いが起こる状態>という意味らしい。

それは、ほめことばではない。舞台に顔を出した瞬間がクライマックスになってしまえば、その後は痛々しい雰囲気に陥ることだろう。

芸人には悪夢のような展開だが、どこがクライマックスだったかを知るのは、すべてが終わった“あとの祭り”である。

昭和40年代、『天才バカボン』などを描いた赤塚不二夫さんは、スタッフと編集者による合議制でアイデアを出し合い数々の作品を制作した。漫画界に新風を・・・との結束は固かった。

赤塚さんは締め切りを守る人だったが、なぜか入稿は締め切りギリギリになった。遅らせたのは担当の編集者だ。

もし、斬新な内容で編集長に見せたら描き直しを求められるかもしれない。そのためにわざと、直したら間に合わない時間まで原稿を手元に置いておいたという。粋で機転の効く編集者もいた時代だ。