日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

思い起こすと一年前は平成だ

 

大阪を生涯、離れなかったという。作家・司馬遼太郎さんである。そこでは一極集中の東京とちがい、事象を相対化して眺められる。

イデアや集めた素材を発酵させる適度な湿り気も、大阪の街と人にあるらしい。そして、幾重もの歴史の層により作品の史料も手に入りやすい・・・とも。

楽天家たちは・・・前をのみ見つめながらあるく。坂の上の青い天にもし一朶の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう>。

明治文明の勃興期の群像を描いた『坂の上の雲』で、司馬遼太郎さんが書かれた“あとがき”の名文である。

 

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思えばまだ一年前の4月末は平成の時代であった。新元号を目の前にして人々は浮かれていたかもしれない。

人口増と工業化が経済成長の両輪となり、日本の1人当たりGDPが世界2位になったのが平成12(2000)年だった。

そして、日本列島の人口がピークを越えたのが平成20(2008)年の1億2808万人。江戸時代の終わりからの人口成長期の到達点となった。

30年余りの間、19世紀から上り続けてきた文明の峠を越えたようでもある。また、2度の大震災があり、原発事故も忘れられることはない。

 

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平成末には、1人当たりGDPは世界26位に下がり、生産年齢人口は6割を下回ったとのこと。文明の引き潮にビクビクしながらも「良い時代だった」と世論調査では7割以上の人が答えたらしい。

2019年4月27日から10日間も暦の上で休みがつらなった。それは1948年に祝日法が施行されて以来、最長だったそうな。

「外出自粛をやめて元の生活に戻ると、その15日後に感染者数が増加に転じる可能性がある」との試算も出ている。

あれから一年後であるこのGWの風景を、いったい誰が想像できたであろうか。あの「平成」が遠い昔のように感じ始めている。

 

見えぬものに囲まれて暮らす

 

民放の開局に合わせて、駅前や商店街などに受像機が据えられたのが1953年だという。街頭テレビである。東京・新橋駅前に(プロレス中継で)力道山の雄姿を観るため2万人が集まったそうな。その黎明期にテレビは高根の花であった。

今はスマホでどこでも動画がかんたんに見られる時代。さかんに宣伝されている“5G”だと、通信速度が現行の4Gから約100倍で、2時間の映画が3秒程度で取り込めるとか。

もはや通信環境が仕事の成否及び暮らしの快不快を分ける世の中になっている。平成の時代、10年周期で通信方式の技術が革新を重ねてきたといわれた。声だけでやりとりした1Gは遠い昔になり、次は5Gを制する者が“次の10年を制す”ことになるという。

ちなみに、10の9乗を表すG(ギガ)は情報量の単位となるギガバイトのことで、ギリシャ語の「巨人」に由来するらしい。そして、10の12乗のT(テラ)は「怪物」になるとか。

 

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ややこしいのだが、5Gの“G”は「世代(Generation)」の頭文字で、高速大容量の「第5世代(5G)移動通信システム」の略だという。それは、自動運転や高精細映像を通じた遠隔医療などにも使われるし、どこでも動画鑑賞ができてしまう。

1946年に電子計算機は軍事目的で開発された。その開発目的は弾道計算であり、終戦後は水爆の研究にも使われた。

思えば、インターネットも軍事目的の産物であり、拠点を攻撃されて情報が遮断されることのないようにと“ホストコンピュータを持たないネット”が誕生した。

インターネット以前のパソコン通信では、パソコンとホスト局のサーバとの間による通信回線によりデータ通信を行うものだった。その全盛期は1980年代後半から1990年代で、インターネットが一般ユーザーに開放されることで一気に衰退していった。

 

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パソコン通信の初体験は感動モノであった。日本電気株式会社が運営していた「PC-VAN」や日商岩井富士通による「NIFTY-Serve」。各地域や個人で立ち上げた“草の根ネット”も楽しくてワクワクした。それは、今のインターネットよりもアマチュア無線みたいな感覚だったのかもしれない。

パソコン通信は「クローズドネットワーク」で、特定のサーバ(ホスト)とその参加者(会員)の間だけをつなぐ閉じたネットワークだった。今のSNSとは真逆で、拡散しない情報がとてもおもしろくて貴重だった。

今や大気中には電波を始めあらゆる物質?や情報が飛び交い、見えぬものに囲まれて生きる時代になった。伝書鳩の帰巣率の低下も、1990年代後半から携帯電話の電磁波影響説が出ている。

インターネットは、単位ごとに作られた1つ1つのネットワークが、外のネットワークともつながるようにした仕組みでとてもオープンなネットである。ただ、ホストコンピュータを持たぬため使用機器に及ぼすウイルスの感染も速いし収集もつかない。

動物やヒトを介して拡散するあのウイルスとよく似ている気がしてならない。

 

システムの部品に徹すること

 

かつて、セールスの講習を何度も受けた。落とし所(クロージング)、セールストーク、押しと引きのタイミング等・・・いくつものノウハウを聞いたが、飛び込み営業は実戦あるのみ。

英語でいうと「フット・イン・ザ・ドア」らしい。ドアに足をはさめれば、セールスは半ば成功とか。その昔は(引きのない)押し売りが横行していたらしい。

心理学者によると、玄関に招いた側は入れた自分と商品を買う気のない自分の矛盾を感じて不快になるとか。自分の一貫性を保つには、品がどうあれ買うのが一番容易な解決策だとの心理が働くらしい。

怪しい訪問販売をドアホンで閉め出せる今でも、詐欺師がつけこむのはこの心理だとのこと。肉親のピンチを信じ込まされた高齢者が後を絶たないのも、心のドアに足を踏み込まれたからなのか。

 

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振り込ませ詐欺の手口もますます巧妙になり、私だって“騙されないぞ”との自信がない。詐欺師も詐欺などやめてまともな職につけば、セールスでかなりの成績が得られそうなのに。

<3年間だけは黙って働け!>。1980年、サントリーのシリーズ広告で作家・山口瞳さんが書いていた。その年の新入社員へのメッセージであった。

「世の中には一宿一飯の恩義というものがある。やり直しがきくという若さの権利を行使するのは、義理を返してからにしてもらいたい」とも。

終身雇用制が当たり前で、昭和の良き時代であった。今の時代に果たして理解されるかどうか。会社に“一宿一飯”の恩義を感じる必要もないし、無理して体や心を壊すこともない。そう考える方が妥当かもしれない。

 

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村田沙耶香さんの小説『コンビニ人間』の一節にあった。<私は人間である以上にコンビニ店員なんです>と。コンビニでのバイト歴が18年、36歳の独身女性である主人公の言葉である。

今のコンビニの仕事は複雑でものすごく大変だと思っている。なのに、こんなに言えてしまうのが素敵なのである。コンビニというシステムの“部品”に徹することで、彼女は世界とつながろうとしているのだ。

2018年10月に100万部を突破したこの作品は、各国で翻訳もされている。多くの読者をひきつけるところは、主人公の心の叫びなのだろうか。

生きづらさ、同調圧力を感じるのは、なまじ(人間に)個性が備わっているから。それなら厄介な自我を消去し、<システムに調和して生きたほうが楽だ>・・・と。

 

最後最後を連発したあの春は

 

戦国武将や歌人も温泉を好んだそうな。武田信玄湯村温泉に、藤原定家有馬温泉徳川家康も熱海温泉へと湯治に訪れた記録があるという。

この3月も忙しく、やっととれた連休で熱海に一泊して温泉を楽しんできた。このご時世でさぞかし閑散かと思いきや、平日も多くの若者や家族連れで混み合っていて驚いた。

花の下では、仲間たちでむしろを敷き、連歌俳諧を連ね、歌をうたったり詩を吟じて宴を楽しんだとのこと。江戸時代前期の上野の花見の様子だという。当時の上野では歌っても三味線は禁止されて、日暮れに花見客は追い出されたらしい。

喜びを分かち合いたい春らんまんの季節であるが、今年の春は桜の下での宴も許されない状況である。そういえば、一年前の4月には新たな元号が「令和」に決まり、いつもの春よりウキウキ感が高まっていた気がする。

 

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<平成を最後最後とこき使い>。あの時、こんな時事川柳を新聞で見た。「平成最後の」という言い方も、あの4月限りで姿を消すことになる。それを思えば、去りゆく時代への愛惜が増すのも人情か。

一年前の調査では、日本人の7割が平成は良い時代だったと考えていたという。去りゆく平成から良い思い出ばかりを拾い集めているようなところもあったのか。

<いつのことだか思いだしてごらん あんなことこんなことあったでしょ>。『おもいでのアルバム』という歌である。時の移ろいと思い出の歌にも、いやな思い出は一切出てこない。

<ノスタルジーとは過去のいいとこ取り>と書いたのは、脚本家・山田太一さんである。とはいえ、ふとした時によみがえる苦い記憶もあるかもしれない。<思い出というものは音もなく心をかじっていく>と言ったのはロシアの詩人・プーシキン

 

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昨朝、一仕事を終えて自転車でドラッグストアの前を通り過ぎたら、大行列ができていてビックリした。テレビで見たり話では聞いていたが、開店の何時間も前から文字通りの長蛇の列であった。目的はマスクだったのだろうか。

1973年のオイルショックで思い浮かべるのは、やはりトイレットペーパー騒ぎか。モノ不足の情報が駆けめぐり、トイレットペーパー争奪戦が起きた。“紙がない!”との騒動は助長して印刷用紙不足も招いた。

当時、分厚さを競っていた漫画雑誌のページ数も減らされて、短く仕上げるために漫画家たちは非常に苦労したという。

令和初の4月のこの景色を、一年前に想像できた人はどれだけいるのだろうか。

 

型のある人こそが破る表現術

 

<常識って? 凡人が仲良く生きるためのルールのことさ>。アップルのスティーブ・ジョブズさんは生前に語った。十八代目中村勘三郎さんいわく<型がある人が破るから、『型破り』。型がないのに破れば『かたなし』>とも。

<地球の裏側にはベースボールに似たゲームがあった>。昭和の終わりに、ヤクルトでプレーしたホーナー選手がファンをしらけさせた言葉だ。ベースボールと野球とは似て非なるものなり。平成に入って、イチロー選手がオリックスに入団したときもそんな時代だった。

オープン戦では流し打ちしかしない。「君は引っ張る方法を知らないのか?」と、いら立った監督が尋ねた。<いつだってできます。簡単です>。次の試合ではライト方向に鋭いライナーを3本放ち周囲の雑音を封じた。

多くの一振りが、脳裏に浮かぶ。<中前打ならいつでも打ちます>。決して大口でも冗談でもなかった。

 

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バットの一振りで表現してきた人でもある。大リーグ移籍では(日米で)“あの体格で通用するわけがない”とも言われた。アメリカでは小柄でやせっぽちの日本人野手が成功するとは、誰も信じていなかったのだ。

もう一年...いや、まだ一年なのか。メジャー19年目のシーズンは45歳であった。衰えぬレーザービームを見せてくれたが24打席連続ノーヒット。日本での試合を花道に引退した。こんな選手はもう、一生見ることができないだろう。長嶋茂雄選手もそうだった。あの長嶋流を継ぐ選手は未だに現れていない。

<小さなことを積み重ねることが、とんでもないところに行く唯一の道だということ>。イチロー語録のひとつである。日本を世界一に導いたあの意地の適時打。メジャーのシーズン最多安打や3000安打。伝説的なピート・ローズ氏の通算安打記録を抜いたころの打席。

 

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<今の僕は日本の野球なしには作れなかったと思ってます>と、かつて語った。子どもの頃から地元のバッティングセンターなどで磨いた技術が、驚異的な打撃術に昇華した。

走・攻・守のクロスプレーが織りなす野球の醍醐味も目が離せなかった。日本では7年連続の首位打者アメリカに渡り10年連続200安打を達成。2004年にはシーズン最多の262安打を放った。外野から内野への矢のごとき返球の「レーザービーム」。足の速さや身の軽やかさも光り、本場のスタンドも大いにわかせた。

それでも、イチローさんが野球を楽しんだのは、1994年に日本プロ野球初の200安打を達成した頃までだったとか。

<どの雲にも銀の裏地が付いている>。イチローさんの引退時、新聞のコラムに載った英語のことわざである。

暗雲に見えても、反対側は太陽で輝いている。雲を貫き、光の中で舞った人。美しい線を描く打球以上に、選手生活のかくれた場所にある裏地だろう・・・と。

 

叱らないでつながるやさしさ

 

春夏秋冬の順なのか、一年の計は元旦というより春4月のイメージが強い。春の田植えで実るのは秋。春から秋へのリレーも楽しみだ。

稲穂と水、穴の周囲には歯車。それぞれ農業と水産業、工業のシンボルなのらしい。 5円玉に描かれたデザインである。“ご縁”に掛けてさい銭などで人気だった5円玉は、戦後日本を支える産業としての期待が込められ1949年に作られたという。

増税5%の時代にも5円玉が重宝がられた。今は10%というキリの良さなのか小銭の存在感が薄いらしい。最近、1円玉も流通用に製造されていないとか。

クレジットカードや電子マネーの登場で出番も減ったことだろう。かつてのように貨幣を通じて生活や産業をがどのように模様替えをしたのか、そのデザインで知ることが減っていくような気もする。

 

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文字もある意味でデザインなのか。たとえば「叱る」という字のつくりで、“七”は鋭い刃で切ることを意味するという。口舌の刃で相手に傷をつけること・・とか。

一太刀でたたき切ればお相手の面目をつぶす。多言を駆使して切り刻めば恨みだけが残される。まさに、口は災いの元となる。

漢字だけでなく数字の組み合わせも興味深い。たまに目にする3つの数字<1・29・300>。「ハインリッヒの法則」だという。

1つの重大事故の中には29の軽微な事故があり、300件の異常も隠れる。この29と300を捉えて分析することで、事故を未然に防ぐ「予防安全」につながるのだという。

100年近く前、アメリカの保険会社のハインリッヒさんが提唱した経験則である。

 

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作家・姫野カオルコさんにはすてきなエピソードがある。ノートへ小学生の時から物語を書いていたカオルコさん。国語の授業で抜き打ちテストがあった。

12歳の時だった。カオルコさんは動揺したのか、うっかりと国語のノートではなく物語用のノートに解答を書いてしまったそうな。

試験後すぐに先生は、採点チェックのためにノートを回収して職員室へ持っていってしまった。自分の小説が読まれてしまう。カオルコさんはあせった。それも、物語のジャンルは“恋愛もの”だった。

やがて、戻ってきたノートを見てカオルコさんはもっとおどろいた。先生がその小説に校正を入れてくれていたからである。なんの冷やかしもなく、直しがきちんと入っていた。

きっと一つの作品として見てくれた、ということだろう。そこには“口舌の刃”などまったく介在しない。なんてすてきな先生なのか。

 

流れの先に待つのは何なのか

 

何気ない新聞記事を思い出すことがある。2019年3月、佐賀県警武雄署は住所不定、無職の男(当時44)を窃盗容疑で逮捕。男は8日午後10時45分頃、町内の女性方敷地にて無施錠の軽乗用車から約760円を盗んだ疑いだという。

女性が車に乗ろうとしたところ、男は逃走。車上荒らしの疑いを持たれたが、車内には男のものとみられる運転免許証や2000円の入った財布が残されて、あえなく逮捕となった。窃盗はよくないことだが、この犯人をなぜか憎めない。

また、大きな箱に隠れて2019年12月に日本から密出国によりレバノンに逃亡した保釈中のカルロス・ゴーン被告も、子供っぽさを感じて思わず笑ってしまった。

“日産の救世主”ともてはやされたゴーン被告の功績は、業績のV字回復のみならずファンが待望していた名車の復活もあった。スポーツカーの「フェアレディZ」である。

  

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1970年にアメリカで「ダットサン240Z」の名で発売されたフェアレディZは、米国日産の社長だった片山豊さんが開発を指揮して大ヒットを飛ばした。ブームの先駆者である片山さんは、「Zの父」と自動車ファンからも慕われた。

経営不振に陥った日産は、1995年にZの製造中止を発表。ゴーン被告がルノーから送り込まれると、すでに会社を離れていた片山さんが直談判をした。そして、名車の復活と相成った。ゴーン被告もZのファンだったのである。

さて、ゴーン被告の如く箱に隠れることなく、覆面をかぶったまま空港の入国審査を堂々と通ったことがあるという人がいた。アメリカの覆面レスラー・デストロイヤーである。母国のアメリカでは事件になってもおかしくないが、この人ならば日本で許されたとか。

力道山が空手チョップで、外国の猛者たちをなで切りにしていた時代、外国人プロレスラーは悪役だった。

 

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力道山 VS ザ・デストロイヤー」では伝説の熱戦がある。1963年5月の対決は視聴率64%にも達した。戦後の日本人の心持ちを、このヒールは見事に受け止めていたのだ。私もリアルタイムのテレビで視聴していた。この試合でデストロイヤーは空手チョップにより歯を四本折られていたとか。

<激痛手当を出せ、数日後は父親参観なんだ!>。かつての人気番組『金曜10時 うわさのチャンネル』の名シーンである。日本テレビのアナウンサーだった徳光和夫さんはデストロイヤーに4の字固めをかけられて、あおむけに倒れたまま痛くともマイクを離さなかった。

覆面からのぞく つぶらな目と団子っ鼻、愛嬌のある笑顔。あの悪役のデストロイヤーは日本のお茶の間の人気者へと変身していた。

<人生は後ろ向きにしか理解できないが、前を向いてしか生きられない>。デンマークの哲学者・キルケゴールの言葉である。時間は、ただ一つの方角へと流れている。あの時・・・と振り返ることはできても、流れの先に何が待つのかは、誰にも分からない。

 

閉じるようにできていない耳

 

人とは<眼前の獲物に夢中で、頭上から狙われていることに気づかない小鳥のようなもの>なのかもしれない。江ノ島や鎌倉のトンビを連想してしまう。いともかんたんに人の食物を盗み去り、人は空を飛んで取り返せない。

先日、住宅街を歩いていたら、帽子をかぶる私の後頭部を誰かがコツンとした。知り合いのイタズラかと思いきやカラスであった。私の住む市では昨秋からゴミ廃棄の有料化が始まり、戸建て住宅では生ゴミも各玄関前に置くようにされた。

そのゴミを漁るカラスが増え、方々で汚い状態になっている。カラスにしても狙う家の縄張りがあって、人への威嚇もあるのだろう。

カラスは賢く、人間の顔を識別したり、ボール遊びもする。道路にクルミを置いて車に割らせ、中身を食べることも・・・。以前テレビで見たが、カラスは公園で水道の栓をくちばし回し、蛇口から水を飲んだり、水を噴き上げさせて水浴びもする。

 

 

アフリカに生息する(カラスみたいな)クロオウチュウは信用を逆手に取るという。他の鳥や動物が獲物に群がるのを見張り、敵が近づくと高声で鳴いて危険を知らせてあげるのだ。

そこで得た信用を利用して何回かに一度は嘘の警告で鳥たちを追い払い、自分だけでゆっくりと獲物を失敬するのがお得意らしい。

ヨシキリの巣などで育ててもらうカッコウは、鳴き声で親を欺くのが上手だとか。“シッ”と一声出すヨシキリのひなを意識してか、カッコウのひなは“シシシシ”と(親鳥に)ねだり続けて給餌を優先させる。

なかなかの知能犯だと思えるが、生物たちもそれぞれのだましのテクニックを駆使して生きぬけているらしい。耳に訴えるその技術は「音響擬態」といわれる。

さて、私たちには耳が二つあるのに、口はたった一つしかないのはなぜか。古代ギリシャの哲学者キプロスのゼノンは説いたそうな。<それは、より多く聞き、話すのはより少なくするためだ>と。

 

 

物理学者・寺田寅彦さんは問い掛けた。<眼は、いつでも思った時にすぐ閉じることができるようにできている。しかし、耳のほうは、自分では自分を閉じることができないようにできている。なぜだろう>。

私たちの耳の進化の歩みとは、なかなか味わい深いものらしい。耳は元々、体の平衡を保つための感覚器として生まれたという。生物の進化の歴史の中で、重力を感じ、体の傾きを感知する平衡覚器であったのだ。

そこに水の流れや振動を感じる感覚細胞が加わり、やがて陸に上がった脊椎動物には、空気の振動を伝えるための“中耳”が生まれた。その中耳をつくるために使われたのがエラだという。

考えてみると、最古の感覚器の一つでもある私たちの耳の中では“エラのかけら”が今も働き続けているということなのか。

さて、閉じて見て見ぬ振りをする眼に対抗するには、(閉じられなくとも)都合の悪いことは聞こえないフリをする「体現技術」の習得が必要になってきそうである。(ふむ)

 

あまのじゃくは脳のどこから

 

あの二葉亭四迷さんは坪内逍遥さんを訪ねて教えを請うたという。<初めての小説をどう書くか>。坪内さんいわく“円朝の落語通りに書いて見たらどうか”・・・と。

四迷さんは言われたとおりに、三遊亭円朝さんの口演を参考にして、話し言葉に近い口語体を用いた文章で書いた。当時、文語の社会にあって型破りともみえた作品『浮雲』が生まれた。そして、現代につながる言文一致体が近代小説の始まりを告げた。

口語体といえば夏目漱石さんも思い浮かぶ。漱石さんが文芸誌に発表した『坊っちゃん』の原稿料は148円だったそうな。現在の価値にすると約50万円。

大正末からは1冊1円をうたう全集“円本ブーム”が起きた。1927年に永井荷風さんは、『現代日本文学全集』の自分の巻で契約手付金1万5000円(約2250万円)を受け取り、江戸川乱歩さんは『現代大衆文学全集』で1万6000円以上の印税を得たらしい。

 

 

それにしても、近代小説のルーツが伝統芸の落語だったというのは微笑ましい。<歌舞伎は98%が伝統で、97%になると歌舞伎ではなくなる>。かつて、十二代目市川団十郎さんは文芸誌の対談で語っていた。

われわれが様々に模索しているのも、先祖たちがつくった98%の残り、2%の中なのです・・・とも。ほんのわずかな数値の意味に重みを感じる。

5年ほど前の統計だが、日本のニワトリは毎秒1056個の卵を産んでいる。そして、日本の国民が廃棄する食品は、おにぎり換算で毎秒1441個だった。1秒などと小さい数値に目をつける逆発想で大きなものが見えてくる。

わざと人に逆らう言動をする人は、つむじまがりやひねくれ者ともいわれる。こういう人たちを「あまのじゃく(天の邪鬼)」という。その語源は民間説話に出てくる悪い鬼で、「物まねがうまく他人の心を探るのに長じるあまんじゃく」なのだとか。

 

 

相手の期待を裏切る際には多少の「罪悪感」も感じそうだ。そのときは“脳のどの部位が働いているのか特定した”という記事を読んだことがある。

情報通信研究機構の研究チームが41人を対象に実験したという。相手と自分でお金を分配するゲームをやり脳活動を計測する。その結果、自分の取り分を多くして相手の取り分を少なくして「罪悪感」を感じる場合に、右脳の前頭前野がよく働いていたとか。

つまり、脳の前頭前野と呼ばれる部位で罪悪感をキャッチするようだ。この部位を電流で刺激すると、罪悪感が高まり、相手に協力的な行動を起こすことも確かめられた。

また、相手の取り分を多くして自分は少ない「不平等感」を感じる場合には、扁桃体と呼ばれる脳の奥にある部位がよく働いていたとのこと。

あまのじゃくは、人が右に行くといえば左に行く。孤独ではあるが、人とは違った目でものを見て、異なる判断を下すことができる。ある意味、社会にとってなくてはならない貴重な存在でもあるようだ。

 

世界の見え方が異なる名人達

 

本塁打王王貞治さんは、打席で“ボールの縫い目まで見える"といった。打撃の神様川上哲治さんも好調のときには“ボールが止まって見える"と発言している。

「動物的」と称された長嶋茂雄3塁手は打撃のみならず、華麗な守備で多くのファンを魅了した。長嶋さんが打球に反応してショートゴロまでキャッチをする姿をテレビで見た記憶がある。

かつて、テレビでご本人は“セカンドゴロも(3塁から突進して)捕ったことがある"とも言っていた。

また、人間離れした技を空中で繰り出す体操の内村航平選手は、体育館の天井や壁の景色を絵に描いて、記憶に刻みつけたとのこと。体がどんなに回っても、今どの位置に自分の体があるのかわかるのだ、という。

その道の名人たちは、世界の見え方がふつうの者とはまるで異なるらしい。

 

 

日本の映画界にも、ハラハラ・ドキドキと観客を興奮させ、サスペンスで息をするのも忘れさせるような監督がいた。

日米合作の真珠湾攻撃を描いた超大作映画『トラ・トラ・トラ!』(1970年公開)で、当初の日本側監督は、黒澤明さんだった。しかし、黒澤監督の撮影は進まず、米映画会社が黒澤さんを降板させることになった。

別の日本人監督に打診するが、<こんなもので世界的な監督になんかなりたくない>と断った人がいる。映画監督・佐藤純彌さんである。<世界的な監督になる機会を棒に振るのか>という米側の説得にそう言い返したらしい。

惜しくも2019年2月9日に86歳で亡くなられた佐藤さんは、斜陽期の1970年代の映画界にて『新幹線大爆破』、『君よ憤怒の河を渉れ』、『人間の証明』などと多くのヒット作を残した。

 

 

佐藤純彌監督は映画本来の娯楽性を大切にした監督である。とくに『新幹線大爆破』では小説を先に読み、これほどの作品がうまく映像化できるのか・・と心配であった。

撮影に関しても、当時の国鉄が題名に驚いて一切の協力を拒否したという。どうしても運転指令室の内部を知りたい佐藤監督は、視察と称して(雇った)外国人を潜入させた。

新幹線の速度が80km/hを下回ると爆発するというサスペンスの内容は、アメリカ映画『スピード』にも使われている。

高倉健さん演じる犯人は、北海道の貨物列車にも爆弾を仕掛けて、時速15キロ以下に減速して爆発をさせてみせた。その伏線がリアル感を増し、減速ができず延々と走り続ける新幹線のシーンだけで、観客を飽きさせることなく緊迫感がどんどん深まる。

作品を盛り上げる“枷(かせ)”の使い方も上手で、佐藤純彌監督の目には“驚愕する観客の顔が見えているのではないか”と思えてしまうほどの作品だといえよう。