型のある人こそが破る表現術
<常識って? 凡人が仲良く生きるためのルールのことさ>。アップルのスティーブ・ジョブズさんは生前に語った。十八代目中村勘三郎さんいわく<型がある人が破るから、『型破り』。型がないのに破れば『かたなし』>とも。
<地球の裏側にはベースボールに似たゲームがあった>。昭和の終わりに、ヤクルトでプレーしたホーナー選手がファンをしらけさせた言葉だ。ベースボールと野球とは似て非なるものなり。平成に入って、イチロー選手がオリックスに入団したときもそんな時代だった。
オープン戦では流し打ちしかしない。「君は引っ張る方法を知らないのか?」と、いら立った監督が尋ねた。<いつだってできます。簡単です>。次の試合ではライト方向に鋭いライナーを3本放ち周囲の雑音を封じた。
多くの一振りが、脳裏に浮かぶ。<中前打ならいつでも打ちます>。決して大口でも冗談でもなかった。
バットの一振りで表現してきた人でもある。大リーグ移籍では(日米で)“あの体格で通用するわけがない”とも言われた。アメリカでは小柄でやせっぽちの日本人野手が成功するとは、誰も信じていなかったのだ。
もう一年...いや、まだ一年なのか。メジャー19年目のシーズンは45歳であった。衰えぬレーザービームを見せてくれたが24打席連続ノーヒット。日本での試合を花道に引退した。こんな選手はもう、一生見ることができないだろう。長嶋茂雄選手もそうだった。あの長嶋流を継ぐ選手は未だに現れていない。
<小さなことを積み重ねることが、とんでもないところに行く唯一の道だということ>。イチロー語録のひとつである。日本を世界一に導いたあの意地の適時打。メジャーのシーズン最多安打や3000安打。伝説的なピート・ローズ氏の通算安打記録を抜いたころの打席。
<今の僕は日本の野球なしには作れなかったと思ってます>と、かつて語った。子どもの頃から地元のバッティングセンターなどで磨いた技術が、驚異的な打撃術に昇華した。
走・攻・守のクロスプレーが織りなす野球の醍醐味も目が離せなかった。日本では7年連続の首位打者。アメリカに渡り10年連続200安打を達成。2004年にはシーズン最多の262安打を放った。外野から内野への矢のごとき返球の「レーザービーム」。足の速さや身の軽やかさも光り、本場のスタンドも大いにわかせた。
それでも、イチローさんが野球を楽しんだのは、1994年に日本プロ野球初の200安打を達成した頃までだったとか。
<どの雲にも銀の裏地が付いている>。イチローさんの引退時、新聞のコラムに載った英語のことわざである。
暗雲に見えても、反対側は太陽で輝いている。雲を貫き、光の中で舞った人。美しい線を描く打球以上に、選手生活のかくれた場所にある裏地だろう・・・と。