システムの部品に徹すること
かつて、セールスの講習を何度も受けた。落とし所(クロージング)、セールストーク、押しと引きのタイミング等・・・いくつものノウハウを聞いたが、飛び込み営業は実戦あるのみ。
英語でいうと「フット・イン・ザ・ドア」らしい。ドアに足をはさめれば、セールスは半ば成功とか。その昔は(引きのない)押し売りが横行していたらしい。
心理学者によると、玄関に招いた側は入れた自分と商品を買う気のない自分の矛盾を感じて不快になるとか。自分の一貫性を保つには、品がどうあれ買うのが一番容易な解決策だとの心理が働くらしい。
怪しい訪問販売をドアホンで閉め出せる今でも、詐欺師がつけこむのはこの心理だとのこと。肉親のピンチを信じ込まされた高齢者が後を絶たないのも、心のドアに足を踏み込まれたからなのか。
振り込ませ詐欺の手口もますます巧妙になり、私だって“騙されないぞ”との自信がない。詐欺師も詐欺などやめてまともな職につけば、セールスでかなりの成績が得られそうなのに。
<3年間だけは黙って働け!>。1980年、サントリーのシリーズ広告で作家・山口瞳さんが書いていた。その年の新入社員へのメッセージであった。
「世の中には一宿一飯の恩義というものがある。やり直しがきくという若さの権利を行使するのは、義理を返してからにしてもらいたい」とも。
終身雇用制が当たり前で、昭和の良き時代であった。今の時代に果たして理解されるかどうか。会社に“一宿一飯”の恩義を感じる必要もないし、無理して体や心を壊すこともない。そう考える方が妥当かもしれない。
村田沙耶香さんの小説『コンビニ人間』の一節にあった。<私は人間である以上にコンビニ店員なんです>と。コンビニでのバイト歴が18年、36歳の独身女性である主人公の言葉である。
今のコンビニの仕事は複雑でものすごく大変だと思っている。なのに、こんなに言えてしまうのが素敵なのである。コンビニというシステムの“部品”に徹することで、彼女は世界とつながろうとしているのだ。
2018年10月に100万部を突破したこの作品は、各国で翻訳もされている。多くの読者をひきつけるところは、主人公の心の叫びなのだろうか。
生きづらさ、同調圧力を感じるのは、なまじ(人間に)個性が備わっているから。それなら厄介な自我を消去し、<システムに調和して生きたほうが楽だ>・・・と。