日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

あまのじゃくは脳のどこから

 

あの二葉亭四迷さんは坪内逍遥さんを訪ねて教えを請うたという。<初めての小説をどう書くか>。坪内さんいわく“円朝の落語通りに書いて見たらどうか”・・・と。

四迷さんは言われたとおりに、三遊亭円朝さんの口演を参考にして、話し言葉に近い口語体を用いた文章で書いた。当時、文語の社会にあって型破りともみえた作品『浮雲』が生まれた。そして、現代につながる言文一致体が近代小説の始まりを告げた。

口語体といえば夏目漱石さんも思い浮かぶ。漱石さんが文芸誌に発表した『坊っちゃん』の原稿料は148円だったそうな。現在の価値にすると約50万円。

大正末からは1冊1円をうたう全集“円本ブーム”が起きた。1927年に永井荷風さんは、『現代日本文学全集』の自分の巻で契約手付金1万5000円(約2250万円)を受け取り、江戸川乱歩さんは『現代大衆文学全集』で1万6000円以上の印税を得たらしい。

 

 

それにしても、近代小説のルーツが伝統芸の落語だったというのは微笑ましい。<歌舞伎は98%が伝統で、97%になると歌舞伎ではなくなる>。かつて、十二代目市川団十郎さんは文芸誌の対談で語っていた。

われわれが様々に模索しているのも、先祖たちがつくった98%の残り、2%の中なのです・・・とも。ほんのわずかな数値の意味に重みを感じる。

5年ほど前の統計だが、日本のニワトリは毎秒1056個の卵を産んでいる。そして、日本の国民が廃棄する食品は、おにぎり換算で毎秒1441個だった。1秒などと小さい数値に目をつける逆発想で大きなものが見えてくる。

わざと人に逆らう言動をする人は、つむじまがりやひねくれ者ともいわれる。こういう人たちを「あまのじゃく(天の邪鬼)」という。その語源は民間説話に出てくる悪い鬼で、「物まねがうまく他人の心を探るのに長じるあまんじゃく」なのだとか。

 

 

相手の期待を裏切る際には多少の「罪悪感」も感じそうだ。そのときは“脳のどの部位が働いているのか特定した”という記事を読んだことがある。

情報通信研究機構の研究チームが41人を対象に実験したという。相手と自分でお金を分配するゲームをやり脳活動を計測する。その結果、自分の取り分を多くして相手の取り分を少なくして「罪悪感」を感じる場合に、右脳の前頭前野がよく働いていたとか。

つまり、脳の前頭前野と呼ばれる部位で罪悪感をキャッチするようだ。この部位を電流で刺激すると、罪悪感が高まり、相手に協力的な行動を起こすことも確かめられた。

また、相手の取り分を多くして自分は少ない「不平等感」を感じる場合には、扁桃体と呼ばれる脳の奥にある部位がよく働いていたとのこと。

あまのじゃくは、人が右に行くといえば左に行く。孤独ではあるが、人とは違った目でものを見て、異なる判断を下すことができる。ある意味、社会にとってなくてはならない貴重な存在でもあるようだ。