見えぬものに囲まれて暮らす
民放の開局に合わせて、駅前や商店街などに受像機が据えられたのが1953年だという。街頭テレビである。東京・新橋駅前に(プロレス中継で)力道山の雄姿を観るため2万人が集まったそうな。その黎明期にテレビは高根の花であった。
今はスマホでどこでも動画がかんたんに見られる時代。さかんに宣伝されている“5G”だと、通信速度が現行の4Gから約100倍で、2時間の映画が3秒程度で取り込めるとか。
もはや通信環境が仕事の成否及び暮らしの快不快を分ける世の中になっている。平成の時代、10年周期で通信方式の技術が革新を重ねてきたといわれた。声だけでやりとりした1Gは遠い昔になり、次は5Gを制する者が“次の10年を制す”ことになるという。
ちなみに、10の9乗を表すG(ギガ)は情報量の単位となるギガバイトのことで、ギリシャ語の「巨人」に由来するらしい。そして、10の12乗のT(テラ)は「怪物」になるとか。
ややこしいのだが、5Gの“G”は「世代(Generation)」の頭文字で、高速大容量の「第5世代(5G)移動通信システム」の略だという。それは、自動運転や高精細映像を通じた遠隔医療などにも使われるし、どこでも動画鑑賞ができてしまう。
1946年に電子計算機は軍事目的で開発された。その開発目的は弾道計算であり、終戦後は水爆の研究にも使われた。
思えば、インターネットも軍事目的の産物であり、拠点を攻撃されて情報が遮断されることのないようにと“ホストコンピュータを持たないネット”が誕生した。
インターネット以前のパソコン通信では、パソコンとホスト局のサーバとの間による通信回線によりデータ通信を行うものだった。その全盛期は1980年代後半から1990年代で、インターネットが一般ユーザーに開放されることで一気に衰退していった。
パソコン通信の初体験は感動モノであった。日本電気株式会社が運営していた「PC-VAN」や日商岩井、富士通による「NIFTY-Serve」。各地域や個人で立ち上げた“草の根ネット”も楽しくてワクワクした。それは、今のインターネットよりもアマチュア無線みたいな感覚だったのかもしれない。
パソコン通信は「クローズドネットワーク」で、特定のサーバ(ホスト)とその参加者(会員)の間だけをつなぐ閉じたネットワークだった。今のSNSとは真逆で、拡散しない情報がとてもおもしろくて貴重だった。
今や大気中には電波を始めあらゆる物質?や情報が飛び交い、見えぬものに囲まれて生きる時代になった。伝書鳩の帰巣率の低下も、1990年代後半から携帯電話の電磁波影響説が出ている。
インターネットは、単位ごとに作られた1つ1つのネットワークが、外のネットワークともつながるようにした仕組みでとてもオープンなネットである。ただ、ホストコンピュータを持たぬため使用機器に及ぼすウイルスの感染も速いし収集もつかない。
動物やヒトを介して拡散するあのウイルスとよく似ている気がしてならない。