日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

あまのじゃくは脳のどこから

 

あの二葉亭四迷さんは坪内逍遥さんを訪ねて教えを請うたという。<初めての小説をどう書くか>。坪内さんいわく“円朝の落語通りに書いて見たらどうか”・・・と。

四迷さんは言われたとおりに、三遊亭円朝さんの口演を参考にして、話し言葉に近い口語体を用いた文章で書いた。当時、文語の社会にあって型破りともみえた作品『浮雲』が生まれた。そして、現代につながる言文一致体が近代小説の始まりを告げた。

口語体といえば夏目漱石さんも思い浮かぶ。漱石さんが文芸誌に発表した『坊っちゃん』の原稿料は148円だったそうな。現在の価値にすると約50万円。

大正末からは1冊1円をうたう全集“円本ブーム”が起きた。1927年に永井荷風さんは、『現代日本文学全集』の自分の巻で契約手付金1万5000円(約2250万円)を受け取り、江戸川乱歩さんは『現代大衆文学全集』で1万6000円以上の印税を得たらしい。

 

 

それにしても、近代小説のルーツが伝統芸の落語だったというのは微笑ましい。<歌舞伎は98%が伝統で、97%になると歌舞伎ではなくなる>。かつて、十二代目市川団十郎さんは文芸誌の対談で語っていた。

われわれが様々に模索しているのも、先祖たちがつくった98%の残り、2%の中なのです・・・とも。ほんのわずかな数値の意味に重みを感じる。

5年ほど前の統計だが、日本のニワトリは毎秒1056個の卵を産んでいる。そして、日本の国民が廃棄する食品は、おにぎり換算で毎秒1441個だった。1秒などと小さい数値に目をつける逆発想で大きなものが見えてくる。

わざと人に逆らう言動をする人は、つむじまがりやひねくれ者ともいわれる。こういう人たちを「あまのじゃく(天の邪鬼)」という。その語源は民間説話に出てくる悪い鬼で、「物まねがうまく他人の心を探るのに長じるあまんじゃく」なのだとか。

 

 

相手の期待を裏切る際には多少の「罪悪感」も感じそうだ。そのときは“脳のどの部位が働いているのか特定した”という記事を読んだことがある。

情報通信研究機構の研究チームが41人を対象に実験したという。相手と自分でお金を分配するゲームをやり脳活動を計測する。その結果、自分の取り分を多くして相手の取り分を少なくして「罪悪感」を感じる場合に、右脳の前頭前野がよく働いていたとか。

つまり、脳の前頭前野と呼ばれる部位で罪悪感をキャッチするようだ。この部位を電流で刺激すると、罪悪感が高まり、相手に協力的な行動を起こすことも確かめられた。

また、相手の取り分を多くして自分は少ない「不平等感」を感じる場合には、扁桃体と呼ばれる脳の奥にある部位がよく働いていたとのこと。

あまのじゃくは、人が右に行くといえば左に行く。孤独ではあるが、人とは違った目でものを見て、異なる判断を下すことができる。ある意味、社会にとってなくてはならない貴重な存在でもあるようだ。

 

世界の見え方が異なる名人達

 

本塁打王王貞治さんは、打席で“ボールの縫い目まで見える"といった。打撃の神様川上哲治さんも好調のときには“ボールが止まって見える"と発言している。

「動物的」と称された長嶋茂雄3塁手は打撃のみならず、華麗な守備で多くのファンを魅了した。長嶋さんが打球に反応してショートゴロまでキャッチをする姿をテレビで見た記憶がある。

かつて、テレビでご本人は“セカンドゴロも(3塁から突進して)捕ったことがある"とも言っていた。

また、人間離れした技を空中で繰り出す体操の内村航平選手は、体育館の天井や壁の景色を絵に描いて、記憶に刻みつけたとのこと。体がどんなに回っても、今どの位置に自分の体があるのかわかるのだ、という。

その道の名人たちは、世界の見え方がふつうの者とはまるで異なるらしい。

 

 

日本の映画界にも、ハラハラ・ドキドキと観客を興奮させ、サスペンスで息をするのも忘れさせるような監督がいた。

日米合作の真珠湾攻撃を描いた超大作映画『トラ・トラ・トラ!』(1970年公開)で、当初の日本側監督は、黒澤明さんだった。しかし、黒澤監督の撮影は進まず、米映画会社が黒澤さんを降板させることになった。

別の日本人監督に打診するが、<こんなもので世界的な監督になんかなりたくない>と断った人がいる。映画監督・佐藤純彌さんである。<世界的な監督になる機会を棒に振るのか>という米側の説得にそう言い返したらしい。

惜しくも2019年2月9日に86歳で亡くなられた佐藤さんは、斜陽期の1970年代の映画界にて『新幹線大爆破』、『君よ憤怒の河を渉れ』、『人間の証明』などと多くのヒット作を残した。

 

 

佐藤純彌監督は映画本来の娯楽性を大切にした監督である。とくに『新幹線大爆破』では小説を先に読み、これほどの作品がうまく映像化できるのか・・と心配であった。

撮影に関しても、当時の国鉄が題名に驚いて一切の協力を拒否したという。どうしても運転指令室の内部を知りたい佐藤監督は、視察と称して(雇った)外国人を潜入させた。

新幹線の速度が80km/hを下回ると爆発するというサスペンスの内容は、アメリカ映画『スピード』にも使われている。

高倉健さん演じる犯人は、北海道の貨物列車にも爆弾を仕掛けて、時速15キロ以下に減速して爆発をさせてみせた。その伏線がリアル感を増し、減速ができず延々と走り続ける新幹線のシーンだけで、観客を飽きさせることなく緊迫感がどんどん深まる。

作品を盛り上げる“枷(かせ)”の使い方も上手で、佐藤純彌監督の目には“驚愕する観客の顔が見えているのではないか”と思えてしまうほどの作品だといえよう。

 

衰えぬ向上心こそが可能性へ

 

全世界のうち日本の国土面積は0.28%だという。それで、全世界で起きたマグニチュード6以上の地震の20.5%が日本で起きている。日本の活火山も全世界の7.0%になるそうな。

明治時代の『東京風俗志』という書物には<都下の建築は常に火災を慮(おもんばか)りて、及ぶだけ粗略に作れり>と記された。

どうせ火事にあうのなら家を粗末に作るという(江戸時代の)考えが、まだ一般的の頃だったらしい。

庶民の貸家も<3年火災を免れ得べくば、その資金を復することを得べし>で、3年間の家賃で建築費を回収できる粗末な造りにした・・とも。

さて、生涯で93回も引っ越して、住む家を次々にゴミ屋敷化したというのが江戸時代の絵師・葛飾北斎である。

 

 

役者絵からスタートした北斎は、美人画、風景、物語の挿絵、動植物などと自在なタッチで多彩なジャンルをこなした。

その才能は、フランスの画家モネやオランダの画家ゴッホにも影響を与えたらしい。その反面、絵のこと以外はまるでだめな変人だったともいわれる。

「あと5年生きたら自分は真の絵師になれるのに」。89歳での死の床で北斎はつぶやいた。向上心はまったく衰えていなかったのだ。

今の70代は「老年期の青春」とか。作家・黒井千次さんの説らしい。<80代になると体が動かなくなる。でも、70代には色々な可能性があったと思う>と。

<老年の悲劇は、彼が老いたからでなく、彼がまだ若いところにある>。こちらは19世紀イギリスの劇作家・小説家のオスカー・ワイルドの言葉である。

再び巡り来る青春をいかにして悲劇にせず“可能性”を見つけるか。人生100年時代に多くが向き合う問いになりそうである。

 

 

映画監督・小津安二郎さんといえば名脚本家の野田高悟さんが思い浮かぶ。

小津さんと野田さんは私生活でも親交が深く、公私にわたり良きパートナーとなった。小市民の生活を味わい深く描いた「大船調」の代表的存在である。

ふたりの脚本はいつも、一升瓶で100本の酒を飲み尽くす頃に仕上がったというから豪快で、おふたりのイメージが覆ってしまうほどだ。

無頼派の作家といえば太宰治さんというイメージが強い。しかし太宰さんはとても几帳面な人だったとか。

2017年に原稿発見された「直治の遺書」と書かれた連載最終回の冒頭は、乱れのない几帳面な字で書かれていたという。

後に太宰さんは、この部分を執筆した心境を<ペン先に、自分が引込まれるような気がした>と振り返ったらしい。

その原稿用紙の左上の欄外には印刷所に一番早く送られたことを示す印もあったというから、締め切りを厳守し、執筆時の緊張感も伝わるようだ。

 

2位のイタリアを大幅上回り

 

売ろうとする製品の、悪い面にも言及することは、セールスの極意らしい。売りたい製品の良い面ばかりを強調するのではなく、あえて“少し操作をしにくいですが”や“若干お高くなっています”などのトークを混じえる。すると、顧客はセールスの正直さを感じ心を開く。

20世紀最高の劇の一つである戯曲『セールスマンの死』(アーサー・ミラー)で、主人公のセールスマンは63歳。若い頃はやり手で家族からも尊敬されていたが、歳をとり落ち目になっていく。

30代の息子たちは自立できずいがみ合い、築いた家庭は崩壊。行き場を失った主人公は悲劇的な死へと向かう。

現在の日本では65歳以上の人口が最高28.4%で、75歳以上は7人に1人だという。世界201の国のうち65歳以上の割合が最も高く、2位のイタリア(23.0%)を大幅に上回っているそうな。2025年に30.0%、40年には35.3%に上る見込みだという。

 

 

平均寿命は80歳を超え、60歳で定年退職すると20年以上の余命。第2の人生をいかに送るか。収入面でも不安があるだろう。親子関係の「8050問題」も深刻だという。長期間ひきこもる50代の子を80代になる親が支えるという現実だ。

高齢ドライバーの事故が増え、免許返納を促すケースも増えている。そのせいか、アシスト自転車に乗る高齢者をよく見かける。

<人生は自転車に乗るようなものだ。バランスを保つには、常に動き続けなければならない>。息子に宛てた手紙にアインシュタインは書いたという。

やがては高齢で自転車に乗ることも難しくなるのか。自転車に代わり、簡単に操れる乗り物が登場するかもしれないが・・・。

自動運転が現実になりつつあり、自動運転バスの実証実験も進む。実現すれば、運転手が不足した地域で高齢者の利便性は増す。そう思えるほど技術の進歩は目覚ましいが、自分が生きているうちに実現するのか不明である。

 

 

過疎地域などで、人だけでなく荷物も運ぶ「貨客混載」の事業がスタートしているという。運転手による買い物代行も可能であり、買い物弱者や高齢者への支援にもつながるのだ。

貨客混載とは、国土交通省が2017年に運送業界の担い手の確保や、過疎地域で車両や運転手を有効活用して、輸送サービスを維持するための規制緩和の一環である。

タクシーやバスの運転手が客に代わり、町で買い物をし商品を届ける“買い物代行”や客から玄米を預かり、自社で精米して届ける事業も始まっている。タクシー・バス事業とコイン精米事業に、貨物運送事業を組み合わせるというアイデアがおもしろい。

過疎地域ではタクシー稼働率が低く、手の空いている運転手が活用できる。買い物に不便を強いられている人たちも気軽に利用できるだろう。

とはいえ、国交省が発表しているタクシー運転手の平均年齢は58.7歳で、すべての産業の平均年齢(42.9歳)に比べて15歳以上も上回っているそうな。

 

はっきりしない空模様は続く

 

<空に三つ廊下>。空模様がはっきりしないときの言い回しだという。降ろうか、照ろうか、曇ろうか。この3つの“ろうか”を廊下に置き換えているらしい。

景気の“気”は気分の「気」といわれるが、今まで通っていなかった場所へいい気分の気が行き渡るといいが、逆のパターンもありそうだ。。

アメリカがくしゃみをすると日本は風邪をひく>。子どもの頃から聞いていて、なにかのギャグかと思っていたが投資の格言だという。アメリカ経済がコケると、日本経済は大コケする。

さて、中国などで旧正月を祝う春節の大型連休では、中国の訪日客が急増することから、国内の小売業界や観光地で売り上げ増への期待が高まっていたはずだ。今年の収支決算はどうなっていくのだろうか。

 

 

新型コロナウイルスの騒ぎ以前からも、一部では中国経済の減速を懸念する声が出ていたが・・・。

日本の観光庁の調査では、(春節期間を含む1~3月の)中国人観光客の1人当たりの消費額が「爆買い」で伸びた2015年の約30万円に対し、18年は約23万6000円に減ったという。

家電など高額商品の消費は落ち着き、日用品のまとめ買いが主流になっている。とくに近年は都市部でモノを大量に買うだけでなく、地方に出向き自然や文化を体験する「コト消費」へと人気が移行している。

「モノ」より「コト」への切り替わりで、各観光地の期待も当然膨らんだはずだ。どういう形でも中国経済が冷え込めば、日本の小売業や観光業にマイナスとなる。

 

 

いよいよ日本の店頭でもマスクが品薄になってきた。その前に中国人が日本で爆買いしているシーンがテレビに流れていた。けしからんと思いきや、ほとんどのマスクは中国製なのらしい。

たしかに、日本の100円ショップも中国に頼らないと成り立たない。昨年末、自転車を購入。それも中国製。他にも家電など身の回りには中国製が多い。

私はインターネットのサイトで安くておもしろそうな商品をよく買う。品物が届くのに時間がかかるのは難点だが、楽しみに待っている。それらも中国製のモノのようだ。

数年前、箱根の乗り物乗り放題のフリーパスで遊んだことがあった。春節の時期と少しずれていたから平日にゆっくりと楽しめる、と思っていた。そうしたら、春節の時期をわざとずらした中国人の団体客であふれ大混乱であった。どうやら、春節をずらして楽しむツアーだったらしい。

反日で韓国からの観光客も減り、中国もあの騒ぎ。日本の観光客はゆっくり過ごせそうだが、経済も含めて<中国がくしゃみをすると日本は風邪をひく>どころでは済まされないような気配になっている。

 

興味が尽きない作家達の逸話

 

ウィキペディアによれば、作家とは芸術や趣味の分野で作品を創作する者のうち作品創作を職業とする者、または職業としていない者でも専門家として認められた者をいう・・・らしい。

<私は自分の小学生の娘や息子と、少年週刊誌を奪ひ合つて読むやうになつた>。作家・三島由紀夫さんは漫画好きだったそうな。ちばてつやさんの『あしたのジョー』の続きが読みたくて、週刊少年マガジン編集部を夜中に訪ねたこともあったという。

手塚治虫さんといえば漫画の神様だ。<ぼくの描くマンガの人物というのは全部ぼく自身で、ぼくのいろんな面がそれぞれ分身みたいになっている>と自著に記した。

作家・水上勉さんは9歳で京都の寺に預けられた。その寺も飛び出し、42歳で直木賞を受賞して流行作家になるまでは職を転々とした。中国での苦力(クーリー)監督、薬の行商、代用教員、役所勤めなどと職種は30を超えたとのこと。

 

 

水上さんにとっては作家も“天職”とはいえなかったようである。<天職はもっと・・・人によろこばれ、自分もよろこびを見出すことも出来、そうして、そのなすところのことが人のためになっている>ものとの信念があったからである。

作詞家・なかにし礼さんといえば、昭和歌謡曲の大ヒットメーカーである。とはいえ、約3千曲の作詞をして、その中でヒットしたといえる曲は約3百。今もカラオケで歌われる曲は約百曲だという。

<残る2千7百曲はむなしく埋もれてしまった>と、なかにしさんは自著に書いた。いかにヒット曲をつくるのは難しいのか。人気作詞家のなかにしさんでさえこの確率なのだ。

なかにしさんいわく「大ヒットした曲というものはどこかで時代を映している。そうでなければ人の心に届かない」とのことだ。

 

 

今はどうかわからないが、かつて日本製品は海外で“クール(かっこいい)”と評判であった。そういう製品を産み出すメーカーもある意味で作家なのだろう。

人気のあったSF映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のシリーズ第3作に、おもしろいシーンがある。親友の科学者ドクが発明した自動車型のタイムマシン“デロリアン”で冒険を繰り広げるのは、カリフォルニアの高校生マーティである。

1985年から30年前にタイムトラベルしたマーティ。55年のドクにデロリアンの修理を頼む。「故障するわけさ。メード・イン・ジャパンだ」。小さな電子部品を見てドクは言う。

「何を言ってんだドク? 日本製が最高なんだぜ」とマーティ。初回作ではマーティが、あこがれのトヨタ車を85年の街で見かけ「ザッツ・ホット(いかしてる)」とつぶやくシーンがあった。

1955年には粗悪品の代名詞だった日本製の評価が、85年までの30年間で劇的に変わったのは確かであった。あれから35年、クールでホットな日本製品は何なのだろう?

 

世間とは学ぶことが多き場所

 

<数字はうそをつかないが、うそつきが数字を使う>。アメリカの経済学者・ランズバーグの言葉らしい。100歳になったら、もう大丈夫。全人口の中で100歳を超えて死ぬ人はごくわずかしかいない・・・から。← こんなジョークもあった。

統計数字を権力者が利用すれば、だまされた気分も倍増する。十何年も前から不正調査の数字が使われていたという厚生労働省の毎月勤労統計の不正調査などは、記憶に新しい。堂々と“数字のうそ”がまかり通っていたのだ。

“重厚”と尊び、“軽薄”と蔑(さげす)んだものが一緒になり、わずかな共通点だけで概括される、と三島由紀夫さんは書いた。

そして、現代という時代の住人は、やがて一つの時代思潮の中へと組み込まれる。もう百年もたてば・・・とも。

 

 

16世紀のフランスの思想家・モンテーニュは著書『随想録』の中で、“詰め込み教育”を批判した。詰め込み教育ゆとり教育というスイッチを切り替えながら、両方とも学ぶ必要があるようだ。

ひたすら記憶をいっぱいにしようとだけ努め、理解力や良心などはからっぽのままほうっておく。そんな知識偏重から思考力や判断力を問う方向への転換ということで、大学入試センター試験も変わるのかも知れないが。

プロの将棋の棋士は、対局終了後に行われる感想戦で一手一手を記憶している。どんな頭脳の持ち主かと思う人々なのである。(記憶だけでなく)知識は大事だ。羽生善治さんは自らの著書に記した。プロになって1年で<やっと考えることと知識がかみ合い始めた>という。

 

 

教師がいれば、反面教師もいる。学ぶことの多い場所が世間である。チャーミングな人は得てして相反しそうなものを併せ備えるものらしい。

<まず、声がいい。失礼ながら、あの顔で、声だけ二枚目というのが、当時は面白かった>。作家・小林信彦さんは、のちに「寅さん」役で大俳優となる渥美清さんをそう評した。

小林さんと渥美さんは若い頃からの知り合いだったらしい。食事の席などで、渥美さんの何げない話がとても人を引きつけたという。そして、その魅力こそが声と見かけとのギャップではなかったか・・・と。

ガリレオが自作の望遠鏡で初の天体観測をしてから、今年で411年になる。「時空」とひとくくりに言っても、ガリレオ以降の人間は、はるか遠くの星群をも見ることができる目を携えたのに、ほんの1分先どころか3秒先も見ることができない。

親しみを増す“空”と、よそよそしい“時”という2つのギャップ。それが胸に交わるからこそ、摩訶不思議なのであろう。

 

この時期のクリスマスと正月

 

人生の先輩たちのお話はおもしろい。

<そうだろう、梅原くん。縄文時代から僕をまねるやつがいたんだよ>。梅原猛さんは「太陽の塔」が縄文時代土偶に似ていると思った。影響を受けたかどうか、岡本太郎さんに聞いた。やはり、そうだった。

岡本さんの“無邪気さ”を梅原さんは大好きになった。子どもらしさは、やはり創造するための大きな条件。<だから人間は赤ん坊になるために勉強する>。梅原さんの結論である。

<大人が若者を無責任に励ましているようで本当にいやな言葉だと思う>。脚本家・山田太一さんは<無限の可能性がある>との言葉が苦手だという。

成人の日の定番で、“君たちには無限の可能性がある”にはリアリティーがない。人生はままならないし、無限の可能性で成功できるわけもない。運もあれば能力もちがう。

もし失敗したしたら、その言葉は“無限の可能性があったのに、その分の努力が足りなかった”、と言うことと同じではないのか、と。

 

 

<半分食べて、半分残すといふのは常識とされてゐた>(歌人斎藤茂吉さんの『茂吉小話』より)。ウナギが高価な食べ物なのは昔も同じ。

客人が訪ねたお宅で鰻丼をふるまわれた際、客は全部食べないという暗黙のルールがあったそうな。残った半分は・・といえば、お客さんが帰った後でその家の家族がいただく。少年時代の茂吉さんは御馳走になった、と記している。

私も子どもの頃、お客さんがうれしくてたまらなかった。必ず残してくれる出前の寿司をおいしくいただいた。今にして思えば“半分残す”の心配りだったのかもしれない。

さて、近年の子どもたちは、正月の雑煮よりも節分の恵方巻きがお好きだとか。小3~中3の約3万4千人を対象にした国立青少年教育振興機構のアンケートでは、年中行事の体験として、“雑煮”(79%)を“豆まきや恵方巻き”(87%)が上回ったそうな。

 

 

関東で生まれ育った私に、“恵方巻き”は縁遠いものだったが、今は浸透しているようだ。大量の廃棄処分として恵方巻きが話題になったときも、ピンとこなかった。(今は、廃棄を出さぬよう、予約販売にて対応している店舗も増えているらしいが)。

特定の時期やイベントに合わせた商品の宿命として、売れ残りは避けて通れぬもの。しかし、最近はおもしろい流れになっている。

この時期に、売れ残った「おせち」や「クリスマスケーキ」が大幅値引きで販売され、人気になっているという。廃棄処分しないといけない商品を、安く食べてもらう方が何倍も良い・・との逆転の発想である。

商品自体も売れ残りではなく、配送トラブルなどのために用意していた予備で、製造後すぐに急速冷凍するため、賞味期限を長く設定できている。

クリスマスから正月までの最もテンションの高い一週間も過ぎ去り、今は正月明けの虚脱感が漂う。この時期こそ、クリスマスと正月の気分を再現できたらウキウキしてくるのではないだろうか。

 

旺盛な好奇心と行動力が源で

 

モーツァルトは5歳で作曲、6歳で女帝マリア・テレジアの前で演奏したという早熟の天才伝説があるという。ゲーテは10歳にして7カ国語で物語を書いた・・とも。

モーツァルトは音楽家だった父親と欧州各地に旅をしながら厳しい幼少期教育といわれ、真実味を帯びた逸話なのだろう。

人生ってアップで観ると悲劇であるが、ロングで観れば喜劇である。脚本家・倉本聰さんの言葉だったと思う。

ミステリーの女王、アガサ・クリスティの逸話もすごい。まるで自分がミステリーの主人公になったかのような事件を起こしているからだ。

 

 

それは、11日間の失踪事件と呼ばれた。ある田舎道にクリスティの乗っていた車が捨てられ、身の回りの物は車内に残ったまま・・・。

当時、夫に愛人がいたこともあり、殺害説も浮上して大騒ぎになった。ホテルでクリスティは見つかるのだが、その後も真相を語らぬままに世を去った。

さて、2019年1月に他界されたこの方にも逸話が多い。1959年、最初の取材旅行に出発する際に、羽田空港のロビーにはのぼりが立ち、万歳三唱まで響いた。

海外渡航が自由化以前の時代で、1ドルは360円だった。そんな時代に紀行番組『兼高かおる世界の旅』が始まった。日曜の朝、家族とともにテレビで遠い世界を見ることができるようになったのだ。

 

 

兼高さんは得意の語学力、旺盛な好奇心と行動力で番組に精彩をもたらした。<この国で、してはいけないタブーは何ですか>。まず、初めて訪れる国で尋ねた。日本人には何気ないことでも、(各国の)人の嫌がることを知っておくことに気を遣った。

訪れた場所は150ヶ国以上で、北極、南極にもでかけた。その総移動距離は地球180周分にもなるという。『兼高かおる世界の旅』は31年間で1586回 放映され、1990年まで続く長寿番組になった。

<地球は丸いといいますが、わたしは自分で見るまで信じません>。若いころの言葉だという。多くの人と“旅の驚き”を分かち合う喜び。旅行ジャーナリスト・兼高かおるさんにとって、それがなによりの原動力であったのだ。

 

AIが探る人間の求める情報

 

<三日食う雑煮で知れる飯の恩>。江戸期の川柳だという。この時代から(コンビニが出現する以前の)昭和まで、ほとんどの店は正月に休んでいた。あの頃の正月は、カレーやラーメンも食べたくなった。

さて、期せずして若い才能は、見た目との隔たりで人に驚きを与える。かの文豪の文面は当時からさえわたり、読売新聞の投書欄に投稿していたそうな。森鴎外さんが10歳代の頃だという。

編集者は、高名な学者が名を伏せているに違いないと勘ぐった。鴎外さんは用事で新聞社へ出向いた。応対する社員は緊張しながら面会室へ向かった。鴎外さんを見た瞬間、社員は固まった。そこにあるのは無邪気な美少年の姿・・・だった。

ホンダの創業者・本田宗一郎さんが幼い頃、近所に精米所があり、発動機が鳴って面白かった。石油の排気の臭いも好きだった。オートバイ好きになったのは、この体験かもしれない。幼児にとって周囲の環境は大切である。

 

 

嗜好も人によってさまざま。やはり、それぞれの環境でちがいが出る。老舗のハリウッド企業は知名度の高いブランド作品を持ち、有力な監督や俳優を抱え込んできた。海外市場を開拓するためには、台本無視で現地の俳優を使うなど表面的な対応も見られる。

その分、マーケティングより創造性に頼りがちな面が強く、作り手主導の発想で当たりはずれも大きい。作品はどこで、誰が評価するかわからない。そのコンテンツ産業特有の曖昧さをデータで補ったのが、ネットフリックスである。

ネットフリックスはAIを活用し、配信直後だけでなく時間をかけてその後もユーザーに作品を売り込む。そして、何が求められているかを把握し続けるのだ。

作品のライセンスを取得し、インターネット配信で成長。その利益をテコに自社制作に力を入れている。<“流す”ことで新市場 ⇒ “創る”ことで放送局と映画会社に代わる地位を得る>。

 

 

ネットフリックスはシリコンバレーに分析チームを抱え、1億人分の視聴データから法則性や将来を予測する。<どの作品をどの媒体で見たか>など100超の項目を基に個々の会員の嗜好を把握している。つまり、第三者の情報によってネットフリックスはつくられていく。

AIの進歩はめざましい。その影響は美術や俳句といった分野にも及び始めている。2017年に研究がスタートした北海道大学のプロジェクト「AI一茶」は、古典から現代の作品まで6万句ほどの俳句について学習をして、新たな俳句を詠むという。

言葉が短い俳句は、一語にこめる情報量がとても多い。AIに言葉の意味を正確に受け取らせるためには、人間と相互に作用して新たな価値観を生み出していく作業が必要になる。それは、人とAIが協調して、文明的なるものの高みを目指すことができる取り組みだといえそうだ。

我が家のAIスピーカー4台にも随分お世話になっている。自分で忘れているスケジュールやデータを聞けばすぐに答えてくれる。酔ってボケトークばかりしていると、人間の方がなにを言っているのかわからなくなっているのだ。