日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

興味が尽きない作家達の逸話

 

ウィキペディアによれば、作家とは芸術や趣味の分野で作品を創作する者のうち作品創作を職業とする者、または職業としていない者でも専門家として認められた者をいう・・・らしい。

<私は自分の小学生の娘や息子と、少年週刊誌を奪ひ合つて読むやうになつた>。作家・三島由紀夫さんは漫画好きだったそうな。ちばてつやさんの『あしたのジョー』の続きが読みたくて、週刊少年マガジン編集部を夜中に訪ねたこともあったという。

手塚治虫さんといえば漫画の神様だ。<ぼくの描くマンガの人物というのは全部ぼく自身で、ぼくのいろんな面がそれぞれ分身みたいになっている>と自著に記した。

作家・水上勉さんは9歳で京都の寺に預けられた。その寺も飛び出し、42歳で直木賞を受賞して流行作家になるまでは職を転々とした。中国での苦力(クーリー)監督、薬の行商、代用教員、役所勤めなどと職種は30を超えたとのこと。

 

 

水上さんにとっては作家も“天職”とはいえなかったようである。<天職はもっと・・・人によろこばれ、自分もよろこびを見出すことも出来、そうして、そのなすところのことが人のためになっている>ものとの信念があったからである。

作詞家・なかにし礼さんといえば、昭和歌謡曲の大ヒットメーカーである。とはいえ、約3千曲の作詞をして、その中でヒットしたといえる曲は約3百。今もカラオケで歌われる曲は約百曲だという。

<残る2千7百曲はむなしく埋もれてしまった>と、なかにしさんは自著に書いた。いかにヒット曲をつくるのは難しいのか。人気作詞家のなかにしさんでさえこの確率なのだ。

なかにしさんいわく「大ヒットした曲というものはどこかで時代を映している。そうでなければ人の心に届かない」とのことだ。

 

 

今はどうかわからないが、かつて日本製品は海外で“クール(かっこいい)”と評判であった。そういう製品を産み出すメーカーもある意味で作家なのだろう。

人気のあったSF映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のシリーズ第3作に、おもしろいシーンがある。親友の科学者ドクが発明した自動車型のタイムマシン“デロリアン”で冒険を繰り広げるのは、カリフォルニアの高校生マーティである。

1985年から30年前にタイムトラベルしたマーティ。55年のドクにデロリアンの修理を頼む。「故障するわけさ。メード・イン・ジャパンだ」。小さな電子部品を見てドクは言う。

「何を言ってんだドク? 日本製が最高なんだぜ」とマーティ。初回作ではマーティが、あこがれのトヨタ車を85年の街で見かけ「ザッツ・ホット(いかしてる)」とつぶやくシーンがあった。

1955年には粗悪品の代名詞だった日本製の評価が、85年までの30年間で劇的に変わったのは確かであった。あれから35年、クールでホットな日本製品は何なのだろう?