日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

この時期のクリスマスと正月

 

人生の先輩たちのお話はおもしろい。

<そうだろう、梅原くん。縄文時代から僕をまねるやつがいたんだよ>。梅原猛さんは「太陽の塔」が縄文時代土偶に似ていると思った。影響を受けたかどうか、岡本太郎さんに聞いた。やはり、そうだった。

岡本さんの“無邪気さ”を梅原さんは大好きになった。子どもらしさは、やはり創造するための大きな条件。<だから人間は赤ん坊になるために勉強する>。梅原さんの結論である。

<大人が若者を無責任に励ましているようで本当にいやな言葉だと思う>。脚本家・山田太一さんは<無限の可能性がある>との言葉が苦手だという。

成人の日の定番で、“君たちには無限の可能性がある”にはリアリティーがない。人生はままならないし、無限の可能性で成功できるわけもない。運もあれば能力もちがう。

もし失敗したしたら、その言葉は“無限の可能性があったのに、その分の努力が足りなかった”、と言うことと同じではないのか、と。

 

 

<半分食べて、半分残すといふのは常識とされてゐた>(歌人斎藤茂吉さんの『茂吉小話』より)。ウナギが高価な食べ物なのは昔も同じ。

客人が訪ねたお宅で鰻丼をふるまわれた際、客は全部食べないという暗黙のルールがあったそうな。残った半分は・・といえば、お客さんが帰った後でその家の家族がいただく。少年時代の茂吉さんは御馳走になった、と記している。

私も子どもの頃、お客さんがうれしくてたまらなかった。必ず残してくれる出前の寿司をおいしくいただいた。今にして思えば“半分残す”の心配りだったのかもしれない。

さて、近年の子どもたちは、正月の雑煮よりも節分の恵方巻きがお好きだとか。小3~中3の約3万4千人を対象にした国立青少年教育振興機構のアンケートでは、年中行事の体験として、“雑煮”(79%)を“豆まきや恵方巻き”(87%)が上回ったそうな。

 

 

関東で生まれ育った私に、“恵方巻き”は縁遠いものだったが、今は浸透しているようだ。大量の廃棄処分として恵方巻きが話題になったときも、ピンとこなかった。(今は、廃棄を出さぬよう、予約販売にて対応している店舗も増えているらしいが)。

特定の時期やイベントに合わせた商品の宿命として、売れ残りは避けて通れぬもの。しかし、最近はおもしろい流れになっている。

この時期に、売れ残った「おせち」や「クリスマスケーキ」が大幅値引きで販売され、人気になっているという。廃棄処分しないといけない商品を、安く食べてもらう方が何倍も良い・・との逆転の発想である。

商品自体も売れ残りではなく、配送トラブルなどのために用意していた予備で、製造後すぐに急速冷凍するため、賞味期限を長く設定できている。

クリスマスから正月までの最もテンションの高い一週間も過ぎ去り、今は正月明けの虚脱感が漂う。この時期こそ、クリスマスと正月の気分を再現できたらウキウキしてくるのではないだろうか。