日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

衰えぬ向上心こそが可能性へ

 

全世界のうち日本の国土面積は0.28%だという。それで、全世界で起きたマグニチュード6以上の地震の20.5%が日本で起きている。日本の活火山も全世界の7.0%になるそうな。

明治時代の『東京風俗志』という書物には<都下の建築は常に火災を慮(おもんばか)りて、及ぶだけ粗略に作れり>と記された。

どうせ火事にあうのなら家を粗末に作るという(江戸時代の)考えが、まだ一般的の頃だったらしい。

庶民の貸家も<3年火災を免れ得べくば、その資金を復することを得べし>で、3年間の家賃で建築費を回収できる粗末な造りにした・・とも。

さて、生涯で93回も引っ越して、住む家を次々にゴミ屋敷化したというのが江戸時代の絵師・葛飾北斎である。

 

 

役者絵からスタートした北斎は、美人画、風景、物語の挿絵、動植物などと自在なタッチで多彩なジャンルをこなした。

その才能は、フランスの画家モネやオランダの画家ゴッホにも影響を与えたらしい。その反面、絵のこと以外はまるでだめな変人だったともいわれる。

「あと5年生きたら自分は真の絵師になれるのに」。89歳での死の床で北斎はつぶやいた。向上心はまったく衰えていなかったのだ。

今の70代は「老年期の青春」とか。作家・黒井千次さんの説らしい。<80代になると体が動かなくなる。でも、70代には色々な可能性があったと思う>と。

<老年の悲劇は、彼が老いたからでなく、彼がまだ若いところにある>。こちらは19世紀イギリスの劇作家・小説家のオスカー・ワイルドの言葉である。

再び巡り来る青春をいかにして悲劇にせず“可能性”を見つけるか。人生100年時代に多くが向き合う問いになりそうである。

 

 

映画監督・小津安二郎さんといえば名脚本家の野田高悟さんが思い浮かぶ。

小津さんと野田さんは私生活でも親交が深く、公私にわたり良きパートナーとなった。小市民の生活を味わい深く描いた「大船調」の代表的存在である。

ふたりの脚本はいつも、一升瓶で100本の酒を飲み尽くす頃に仕上がったというから豪快で、おふたりのイメージが覆ってしまうほどだ。

無頼派の作家といえば太宰治さんというイメージが強い。しかし太宰さんはとても几帳面な人だったとか。

2017年に原稿発見された「直治の遺書」と書かれた連載最終回の冒頭は、乱れのない几帳面な字で書かれていたという。

後に太宰さんは、この部分を執筆した心境を<ペン先に、自分が引込まれるような気がした>と振り返ったらしい。

その原稿用紙の左上の欄外には印刷所に一番早く送られたことを示す印もあったというから、締め切りを厳守し、執筆時の緊張感も伝わるようだ。