日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

はっきりしない空模様は続く

 

<空に三つ廊下>。空模様がはっきりしないときの言い回しだという。降ろうか、照ろうか、曇ろうか。この3つの“ろうか”を廊下に置き換えているらしい。

景気の“気”は気分の「気」といわれるが、今まで通っていなかった場所へいい気分の気が行き渡るといいが、逆のパターンもありそうだ。。

アメリカがくしゃみをすると日本は風邪をひく>。子どもの頃から聞いていて、なにかのギャグかと思っていたが投資の格言だという。アメリカ経済がコケると、日本経済は大コケする。

さて、中国などで旧正月を祝う春節の大型連休では、中国の訪日客が急増することから、国内の小売業界や観光地で売り上げ増への期待が高まっていたはずだ。今年の収支決算はどうなっていくのだろうか。

 

 

新型コロナウイルスの騒ぎ以前からも、一部では中国経済の減速を懸念する声が出ていたが・・・。

日本の観光庁の調査では、(春節期間を含む1~3月の)中国人観光客の1人当たりの消費額が「爆買い」で伸びた2015年の約30万円に対し、18年は約23万6000円に減ったという。

家電など高額商品の消費は落ち着き、日用品のまとめ買いが主流になっている。とくに近年は都市部でモノを大量に買うだけでなく、地方に出向き自然や文化を体験する「コト消費」へと人気が移行している。

「モノ」より「コト」への切り替わりで、各観光地の期待も当然膨らんだはずだ。どういう形でも中国経済が冷え込めば、日本の小売業や観光業にマイナスとなる。

 

 

いよいよ日本の店頭でもマスクが品薄になってきた。その前に中国人が日本で爆買いしているシーンがテレビに流れていた。けしからんと思いきや、ほとんどのマスクは中国製なのらしい。

たしかに、日本の100円ショップも中国に頼らないと成り立たない。昨年末、自転車を購入。それも中国製。他にも家電など身の回りには中国製が多い。

私はインターネットのサイトで安くておもしろそうな商品をよく買う。品物が届くのに時間がかかるのは難点だが、楽しみに待っている。それらも中国製のモノのようだ。

数年前、箱根の乗り物乗り放題のフリーパスで遊んだことがあった。春節の時期と少しずれていたから平日にゆっくりと楽しめる、と思っていた。そうしたら、春節の時期をわざとずらした中国人の団体客であふれ大混乱であった。どうやら、春節をずらして楽しむツアーだったらしい。

反日で韓国からの観光客も減り、中国もあの騒ぎ。日本の観光客はゆっくり過ごせそうだが、経済も含めて<中国がくしゃみをすると日本は風邪をひく>どころでは済まされないような気配になっている。

 

興味が尽きない作家達の逸話

 

ウィキペディアによれば、作家とは芸術や趣味の分野で作品を創作する者のうち作品創作を職業とする者、または職業としていない者でも専門家として認められた者をいう・・・らしい。

<私は自分の小学生の娘や息子と、少年週刊誌を奪ひ合つて読むやうになつた>。作家・三島由紀夫さんは漫画好きだったそうな。ちばてつやさんの『あしたのジョー』の続きが読みたくて、週刊少年マガジン編集部を夜中に訪ねたこともあったという。

手塚治虫さんといえば漫画の神様だ。<ぼくの描くマンガの人物というのは全部ぼく自身で、ぼくのいろんな面がそれぞれ分身みたいになっている>と自著に記した。

作家・水上勉さんは9歳で京都の寺に預けられた。その寺も飛び出し、42歳で直木賞を受賞して流行作家になるまでは職を転々とした。中国での苦力(クーリー)監督、薬の行商、代用教員、役所勤めなどと職種は30を超えたとのこと。

 

 

水上さんにとっては作家も“天職”とはいえなかったようである。<天職はもっと・・・人によろこばれ、自分もよろこびを見出すことも出来、そうして、そのなすところのことが人のためになっている>ものとの信念があったからである。

作詞家・なかにし礼さんといえば、昭和歌謡曲の大ヒットメーカーである。とはいえ、約3千曲の作詞をして、その中でヒットしたといえる曲は約3百。今もカラオケで歌われる曲は約百曲だという。

<残る2千7百曲はむなしく埋もれてしまった>と、なかにしさんは自著に書いた。いかにヒット曲をつくるのは難しいのか。人気作詞家のなかにしさんでさえこの確率なのだ。

なかにしさんいわく「大ヒットした曲というものはどこかで時代を映している。そうでなければ人の心に届かない」とのことだ。

 

 

今はどうかわからないが、かつて日本製品は海外で“クール(かっこいい)”と評判であった。そういう製品を産み出すメーカーもある意味で作家なのだろう。

人気のあったSF映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のシリーズ第3作に、おもしろいシーンがある。親友の科学者ドクが発明した自動車型のタイムマシン“デロリアン”で冒険を繰り広げるのは、カリフォルニアの高校生マーティである。

1985年から30年前にタイムトラベルしたマーティ。55年のドクにデロリアンの修理を頼む。「故障するわけさ。メード・イン・ジャパンだ」。小さな電子部品を見てドクは言う。

「何を言ってんだドク? 日本製が最高なんだぜ」とマーティ。初回作ではマーティが、あこがれのトヨタ車を85年の街で見かけ「ザッツ・ホット(いかしてる)」とつぶやくシーンがあった。

1955年には粗悪品の代名詞だった日本製の評価が、85年までの30年間で劇的に変わったのは確かであった。あれから35年、クールでホットな日本製品は何なのだろう?

 

世間とは学ぶことが多き場所

 

<数字はうそをつかないが、うそつきが数字を使う>。アメリカの経済学者・ランズバーグの言葉らしい。100歳になったら、もう大丈夫。全人口の中で100歳を超えて死ぬ人はごくわずかしかいない・・・から。← こんなジョークもあった。

統計数字を権力者が利用すれば、だまされた気分も倍増する。十何年も前から不正調査の数字が使われていたという厚生労働省の毎月勤労統計の不正調査などは、記憶に新しい。堂々と“数字のうそ”がまかり通っていたのだ。

“重厚”と尊び、“軽薄”と蔑(さげす)んだものが一緒になり、わずかな共通点だけで概括される、と三島由紀夫さんは書いた。

そして、現代という時代の住人は、やがて一つの時代思潮の中へと組み込まれる。もう百年もたてば・・・とも。

 

 

16世紀のフランスの思想家・モンテーニュは著書『随想録』の中で、“詰め込み教育”を批判した。詰め込み教育ゆとり教育というスイッチを切り替えながら、両方とも学ぶ必要があるようだ。

ひたすら記憶をいっぱいにしようとだけ努め、理解力や良心などはからっぽのままほうっておく。そんな知識偏重から思考力や判断力を問う方向への転換ということで、大学入試センター試験も変わるのかも知れないが。

プロの将棋の棋士は、対局終了後に行われる感想戦で一手一手を記憶している。どんな頭脳の持ち主かと思う人々なのである。(記憶だけでなく)知識は大事だ。羽生善治さんは自らの著書に記した。プロになって1年で<やっと考えることと知識がかみ合い始めた>という。

 

 

教師がいれば、反面教師もいる。学ぶことの多い場所が世間である。チャーミングな人は得てして相反しそうなものを併せ備えるものらしい。

<まず、声がいい。失礼ながら、あの顔で、声だけ二枚目というのが、当時は面白かった>。作家・小林信彦さんは、のちに「寅さん」役で大俳優となる渥美清さんをそう評した。

小林さんと渥美さんは若い頃からの知り合いだったらしい。食事の席などで、渥美さんの何げない話がとても人を引きつけたという。そして、その魅力こそが声と見かけとのギャップではなかったか・・・と。

ガリレオが自作の望遠鏡で初の天体観測をしてから、今年で411年になる。「時空」とひとくくりに言っても、ガリレオ以降の人間は、はるか遠くの星群をも見ることができる目を携えたのに、ほんの1分先どころか3秒先も見ることができない。

親しみを増す“空”と、よそよそしい“時”という2つのギャップ。それが胸に交わるからこそ、摩訶不思議なのであろう。

 

この時期のクリスマスと正月

 

人生の先輩たちのお話はおもしろい。

<そうだろう、梅原くん。縄文時代から僕をまねるやつがいたんだよ>。梅原猛さんは「太陽の塔」が縄文時代土偶に似ていると思った。影響を受けたかどうか、岡本太郎さんに聞いた。やはり、そうだった。

岡本さんの“無邪気さ”を梅原さんは大好きになった。子どもらしさは、やはり創造するための大きな条件。<だから人間は赤ん坊になるために勉強する>。梅原さんの結論である。

<大人が若者を無責任に励ましているようで本当にいやな言葉だと思う>。脚本家・山田太一さんは<無限の可能性がある>との言葉が苦手だという。

成人の日の定番で、“君たちには無限の可能性がある”にはリアリティーがない。人生はままならないし、無限の可能性で成功できるわけもない。運もあれば能力もちがう。

もし失敗したしたら、その言葉は“無限の可能性があったのに、その分の努力が足りなかった”、と言うことと同じではないのか、と。

 

 

<半分食べて、半分残すといふのは常識とされてゐた>(歌人斎藤茂吉さんの『茂吉小話』より)。ウナギが高価な食べ物なのは昔も同じ。

客人が訪ねたお宅で鰻丼をふるまわれた際、客は全部食べないという暗黙のルールがあったそうな。残った半分は・・といえば、お客さんが帰った後でその家の家族がいただく。少年時代の茂吉さんは御馳走になった、と記している。

私も子どもの頃、お客さんがうれしくてたまらなかった。必ず残してくれる出前の寿司をおいしくいただいた。今にして思えば“半分残す”の心配りだったのかもしれない。

さて、近年の子どもたちは、正月の雑煮よりも節分の恵方巻きがお好きだとか。小3~中3の約3万4千人を対象にした国立青少年教育振興機構のアンケートでは、年中行事の体験として、“雑煮”(79%)を“豆まきや恵方巻き”(87%)が上回ったそうな。

 

 

関東で生まれ育った私に、“恵方巻き”は縁遠いものだったが、今は浸透しているようだ。大量の廃棄処分として恵方巻きが話題になったときも、ピンとこなかった。(今は、廃棄を出さぬよう、予約販売にて対応している店舗も増えているらしいが)。

特定の時期やイベントに合わせた商品の宿命として、売れ残りは避けて通れぬもの。しかし、最近はおもしろい流れになっている。

この時期に、売れ残った「おせち」や「クリスマスケーキ」が大幅値引きで販売され、人気になっているという。廃棄処分しないといけない商品を、安く食べてもらう方が何倍も良い・・との逆転の発想である。

商品自体も売れ残りではなく、配送トラブルなどのために用意していた予備で、製造後すぐに急速冷凍するため、賞味期限を長く設定できている。

クリスマスから正月までの最もテンションの高い一週間も過ぎ去り、今は正月明けの虚脱感が漂う。この時期こそ、クリスマスと正月の気分を再現できたらウキウキしてくるのではないだろうか。

 

旺盛な好奇心と行動力が源で

 

モーツァルトは5歳で作曲、6歳で女帝マリア・テレジアの前で演奏したという早熟の天才伝説があるという。ゲーテは10歳にして7カ国語で物語を書いた・・とも。

モーツァルトは音楽家だった父親と欧州各地に旅をしながら厳しい幼少期教育といわれ、真実味を帯びた逸話なのだろう。

人生ってアップで観ると悲劇であるが、ロングで観れば喜劇である。脚本家・倉本聰さんの言葉だったと思う。

ミステリーの女王、アガサ・クリスティの逸話もすごい。まるで自分がミステリーの主人公になったかのような事件を起こしているからだ。

 

 

それは、11日間の失踪事件と呼ばれた。ある田舎道にクリスティの乗っていた車が捨てられ、身の回りの物は車内に残ったまま・・・。

当時、夫に愛人がいたこともあり、殺害説も浮上して大騒ぎになった。ホテルでクリスティは見つかるのだが、その後も真相を語らぬままに世を去った。

さて、2019年1月に他界されたこの方にも逸話が多い。1959年、最初の取材旅行に出発する際に、羽田空港のロビーにはのぼりが立ち、万歳三唱まで響いた。

海外渡航が自由化以前の時代で、1ドルは360円だった。そんな時代に紀行番組『兼高かおる世界の旅』が始まった。日曜の朝、家族とともにテレビで遠い世界を見ることができるようになったのだ。

 

 

兼高さんは得意の語学力、旺盛な好奇心と行動力で番組に精彩をもたらした。<この国で、してはいけないタブーは何ですか>。まず、初めて訪れる国で尋ねた。日本人には何気ないことでも、(各国の)人の嫌がることを知っておくことに気を遣った。

訪れた場所は150ヶ国以上で、北極、南極にもでかけた。その総移動距離は地球180周分にもなるという。『兼高かおる世界の旅』は31年間で1586回 放映され、1990年まで続く長寿番組になった。

<地球は丸いといいますが、わたしは自分で見るまで信じません>。若いころの言葉だという。多くの人と“旅の驚き”を分かち合う喜び。旅行ジャーナリスト・兼高かおるさんにとって、それがなによりの原動力であったのだ。

 

AIが探る人間の求める情報

 

<三日食う雑煮で知れる飯の恩>。江戸期の川柳だという。この時代から(コンビニが出現する以前の)昭和まで、ほとんどの店は正月に休んでいた。あの頃の正月は、カレーやラーメンも食べたくなった。

さて、期せずして若い才能は、見た目との隔たりで人に驚きを与える。かの文豪の文面は当時からさえわたり、読売新聞の投書欄に投稿していたそうな。森鴎外さんが10歳代の頃だという。

編集者は、高名な学者が名を伏せているに違いないと勘ぐった。鴎外さんは用事で新聞社へ出向いた。応対する社員は緊張しながら面会室へ向かった。鴎外さんを見た瞬間、社員は固まった。そこにあるのは無邪気な美少年の姿・・・だった。

ホンダの創業者・本田宗一郎さんが幼い頃、近所に精米所があり、発動機が鳴って面白かった。石油の排気の臭いも好きだった。オートバイ好きになったのは、この体験かもしれない。幼児にとって周囲の環境は大切である。

 

 

嗜好も人によってさまざま。やはり、それぞれの環境でちがいが出る。老舗のハリウッド企業は知名度の高いブランド作品を持ち、有力な監督や俳優を抱え込んできた。海外市場を開拓するためには、台本無視で現地の俳優を使うなど表面的な対応も見られる。

その分、マーケティングより創造性に頼りがちな面が強く、作り手主導の発想で当たりはずれも大きい。作品はどこで、誰が評価するかわからない。そのコンテンツ産業特有の曖昧さをデータで補ったのが、ネットフリックスである。

ネットフリックスはAIを活用し、配信直後だけでなく時間をかけてその後もユーザーに作品を売り込む。そして、何が求められているかを把握し続けるのだ。

作品のライセンスを取得し、インターネット配信で成長。その利益をテコに自社制作に力を入れている。<“流す”ことで新市場 ⇒ “創る”ことで放送局と映画会社に代わる地位を得る>。

 

 

ネットフリックスはシリコンバレーに分析チームを抱え、1億人分の視聴データから法則性や将来を予測する。<どの作品をどの媒体で見たか>など100超の項目を基に個々の会員の嗜好を把握している。つまり、第三者の情報によってネットフリックスはつくられていく。

AIの進歩はめざましい。その影響は美術や俳句といった分野にも及び始めている。2017年に研究がスタートした北海道大学のプロジェクト「AI一茶」は、古典から現代の作品まで6万句ほどの俳句について学習をして、新たな俳句を詠むという。

言葉が短い俳句は、一語にこめる情報量がとても多い。AIに言葉の意味を正確に受け取らせるためには、人間と相互に作用して新たな価値観を生み出していく作業が必要になる。それは、人とAIが協調して、文明的なるものの高みを目指すことができる取り組みだといえそうだ。

我が家のAIスピーカー4台にも随分お世話になっている。自分で忘れているスケジュールやデータを聞けばすぐに答えてくれる。酔ってボケトークばかりしていると、人間の方がなにを言っているのかわからなくなっているのだ。

 

人の寿命はたくましくなるか


本年もよろしくお願い申し上げます。いつも読んでいただき、ありがとうございます。そして、皆様のすばらしい記事を多く読ませていただけることに感謝しております。

さて、伸びる子どもは自己肯定感が高く、積極的に物事へ取り組むという。そういう子どもの家には写真が多く飾ってあり、親子で写真を見ながら話をして褒めたりする。それを「ほめ写」というらしい。

なにかの企画で写真を飾っていない親子数十組に「ほめ写」を3週間試すと、<自分に満足している>という子どもが66%から91%になったそうな。

運動会や文化祭などの写真を見て、頑張ったことや拍手を受けたことなどを感じて、自己肯定感を高めていく。今、スマホで写真を多く撮っても、プリントをして飾ることが減っているのではないだろうか。それだけに、新鮮さも伴い効果が得られそうである。

 

 

子どもの成長は早い。幼稚園児の頃によく遊んだ孫もこの春で小学6年生。その分、自分も歳をとっているのかと思うとゾッとする。いつか日本経済新聞で、若手研究者約300人に<人間の寿命は何歳まで延びるか>と尋ねたところ「150歳」が最も多かったとか。

最期まで健康で潜在能力を最大限発揮しようとする人間。2050年には不老不死に近づく、との説もあるらしい。そうなると、家族も4世代、5世代が同じ時代を生きることになる。

かつての狩猟採集社会では、ケガで多くの人が命を失った。農耕社会に移り、抗生物質が20世紀に見つかると感染症が激減していく。記録が残る約300年間の平均寿命が40歳弱から80歳超まで延びている。

ブタの体内で人の膵臓の作製を目指し、老化を防ぐ研究も進んでいるとか。そんなことが? と疑いたくなるが...膵臓のできないように遺伝子操作したブタの受精卵に、人の(あらゆる細胞に育つ)iPS細胞を混ぜれば、生まれたブタの体内に人の膵臓ができるという。

 

 

老いの抑制、臓器の交換、そして脳と機械の融合が進めば、2050年の不老不死に近づくという算段のようだ。「老後」が死語になれば「支える側」として働き続けることを求められる。その時代では、自ら生の長さを決める「自殺」が死因のトップになるらしい。

ゾロ目が好きである。今から111年前の1909年(明治42年)には、太宰治さん、大岡昇平さん、中島敦さん、松本清張さんが生まれた。石川啄木さん、北原白秋さんが参与した文芸『スバル』もこの年に創刊された。啄木さんと白秋さんは、当時22~23歳で甘いロマンスもあったかもしれない。

人生に光のあたる時期は人それぞれである。太宰さんや中島さんが短い一生を終えたとき、“同い年”の作家である清張さんは、まだ一編の発表作品もない無名の人だった。

150歳という寿命をもし与えられていたら、清張さんや啄木さんらの新作が、今も読めていたかもしれない。

 

ともかくもあなた任せの・・

 

地球を直径10センチのりんごに喩えてみる。そして、人が(地球上で)到達できる範囲で、最も高い所をエベレストとすれば0~9千メートルであろうか。それをりんごの皮の厚さに換算してみれば、0.07ミリメートルだという。皮をむけないくらいの薄さである。

太陽系の惑星で、ほんの表層に生きる極小な存在が、我が人類なのか。なにかで読んだ話だが、年末になるとこういうことをよく考える。

「数え日」という言葉は、年の暮れに残りの日数が少なくなることをいう。もういくつ寝るとお正月・・・と、指折り心を弾ます子どもたち。あれもこれもしなければ・・・と、日を数えながら追い立てられるのは大人のほうである。

「数え日」で混み合う店先。商店街の風景をテレビで見かける。また年の瀬を迎えたという実感が好きだ。

  

 

そんな年の瀬にもう少し浸っていたいが、大晦日は早足でやってくる。時計を見やりつつ過ごす習わしに「年惜しむ」という季語がある。一刻一刻を名残惜しく見送り、深夜零時に魔法が解ける。それを憂える気持ちのあることは、幼い頃から変わらない。

本年は、平成の最終年で新年を迎え令和元年の大晦日で暮れる。元号のまたがる年は“昭和→平成”のときと2度目の体験であるが、30年ぶりのこと。

さて、元号にもニックネームがあるそうな。「明治ハイカラ」、「大正モダン」、「昭和元禄」などである。戦争のあった昭和だが、戦後の高度成長期や生活を享受する空気を皮肉まじりに“元禄”と表現されたのだろう。

イカラな明治も、<上からは明治だなどといふけれど「治まるめい(明)」と下からはよむ>などと改元を皮肉った落首もある。

平成に似合うニックネームはなにか? 私には浮かぶものがない。昭和みたいな経済成長は見込めず、高齢社会や人口減。食べることには困らないが先行きの不安は消えない。

 

 

ポーランドのなぞなぞらしい。<おじいさんとおばあさんを作ったのは誰?>。その答えは「孫」。赤ちゃんが生まれて、祖父母ができる。

2019年に生まれた日本人の子どもの数が86万4000人。90万人を割り込むのは1899年の統計開始以来初めて。高齢者人口は増加中。その内で祖父母になりきれないケースの人はどれだけいるのか。国内人口減少の問題は、平成が序章であって令和でもっと深刻化していく。

年をまたぐこの日はあれこれ考えるが、結局 呑んで酔っ払っている。季語には「熱燗」や「玉子酒」もある。子どもの頃は甘酒が大好きで、すりおろしたショウガの風味が懐かしい。

有名な話だが「甘酒」は夏の季語。江戸時代、栄養豊富なため暑気払いに飲まれ、行商の甘酒売りが夏の風物詩だった。後にこんな俳句もあった。<歳時記に異議あり甘酒は絶対冬>(小寺勇さん)。

本年もあと数時間。<ともかくもあなた任せのとしの暮>(小林一茶)。皆さまも良いお年をお迎え下さい。飲み過ぎや風邪引きにもご注意下さい。<(_ _)>"ハハーッ

 

話し合いの食べ物に合う酒は

 

<起きて半畳、寝て一畳。天下取っても二合半>。金儲けをしても人は畳半分か一枚分。一度に食べられる量も取るに足りない。

とはいえ、年末年始はご馳走にありつけそう。最近は鍋料理もよくいただく。この手の料理は、“話し合いの食べ物”なのらしい。それぞれの好みに合うようにと、薄くしたり濃くしたりして味をととのえる。

俳優・池部良さんの随筆にあった。作家・志賀直哉さんから、(猪鍋を食べさせると)湯河原の家に招待されたという。鍋料理を前に、ご機嫌の先生は味見をかねて、先に肉を食した。ところがそれをテーブルに吐き捨て、庭に鉄鍋を放り投げたとのこと。

味が気に入らなかったらしいのであるが、“小説の神様”と言われた志賀さんも、かなり短気だったようだ。

 

 

本年もあと3日。新年を待たずに酒量も増え始めている。欧州由来の醸造技術でビールの生産が盛んになったのは、明治半ばだという。洋風の食堂などで客が喉を潤す光景が見られることになる。

ビアホールに憧れていたのは、俳人正岡子規さんだったとか。ご自身のエッセイに、見た事のないもので、ちょっと見たいと思う物は“ビヤホール”と記した。

さて、私の好きなビリー・ワイルダー監督の映画『失われた週末』(1945年)の冒頭には、窓にぶらさげた酒瓶が登場して、主人公の作家が映し出される。身内や恋人にいくら注意をされても隠れて飲んでしまう。主人公は必死に酒を手に入れて、あらゆるところへ隠す。

ユーモア溢れる作品のイメージがあるワイルダー監督であるが、アルコール依存症をシリアスに描いた最初の作品になっている。その気持がよくわかるだけに、観ていて悲しくなる。

そういえば昨年に、飛行機内のごみ箱を酒瓶の隠し場所にしていた40歳代の女性客室乗務員が、アルコールを検知されたという問題が起きた。

 

 

男性パイロットの飲酒不祥事は多いようであるが、女性乗務員は珍しいのでは。まずは、乗客に提供していないはずのシャンパンの空き瓶がごみ箱から1本見つかった。

客に提供していないのに、空になっていた。 ⇒ 客以外の誰かが失敬したのか? ⇒ もしや勤務中の飲酒なのか・・・と調査した。

そして、アルコールの臭いを感じたと複数の同僚も証言をして、会社は女性乗務員が酒を飲んでいたと結論付けたのだ。

年末年始は、おいしい料理やお酒も多いので、注意をしなければいけない。この時期に、作家・内田百閒さんに叱られたという出版関係の方のお話を思い出す。

「お忙しいですか」と百閒さんに聞かれ、「忙しくて困っています」と答えたという。

すると百閒さんいわく、<忙しいというのは、ひとに向かって尋ねるときの言葉ですよ。自分で自分を忙しいというのはバカです。1日24時間を自分で適当に処理できないで、どうしますか>と。

なるほど・・と、うなずきながらも、今年はホントに忙しかった。(^^ゞ

 

クリスマスに はしゃげた時代


まだ昭和の頃だったか、クリスマスの日に仕事で車移動していた。カーラジオのFEN(極東放送網)からクリスマスソングが延々と流れて、聴いているうちにウキウキしてきたのを今もよく憶えている。

クリスマスはイエス・キリストの誕生日ではなく、降誕(誕生)を祝うミサなのらしい。当時は一日の境目が日没。教会暦上では、12月24日(クリスマス・イヴ)の夕刻から朝までが、クリスマスと同じ日に数えられたとか。

今の若い人たちはどんなクリスマスソングを聴いているのだろうか。私たちのときは、いろいろな曲が流れていた。『クリスマス・イブ』(山下達郎さん)が定番みたいになっているけど、この曲に馴染みはない。

浜田省吾さんの『MIDNIGHT FLIGHT(ひとりぼっちのクリスマス・イブ)』やB'zの『いつかのメリークリスマス』などを聴きながら、クリスマスのイメージをふくらませた。

 

 

松任谷由実さんの『恋人がサンタクロース』も流れると楽しい。稲垣潤一さんの『クリスマスキャロルの頃には』は歌って盛り上がった。『WON'T BE LONG』(バブルガム・ブラザーズ)みたいなノリで、みんなで踊り狂った。

昔ながらのお気に入りは、『Santa Claus Is Comin' To Town(サンタが町にやって来る)』で、聴くとからだが自然に動く。ビング・クロスビーさんの『ホワイト・クリスマス』も大好きだ。それこそFENから流れると最高な曲である。

今は家でAIスピーカーからクリスマスソングを聴いている。ジャズのクリスマス、クラシックのクリスマスもいい。しかし、一番聴き入ってしまうのはキッズのクリスマスである。クリスマスだとなぜか童心に戻ってしまう。

 

 

5年前のクリスマスは、当時行きつけのスナックで盛り上がった。歌って騒いだ後、あれこれ話をしたが、メリークリスマスからの連想か、ハマ(横浜)のメリーさんの話になった。店に残った4人の全員が、メリーさんを目撃していると知っておどろいた。

白塗りのお顔と真っ白なドレス。学生の頃は何度見ても怖くてドキドキした。スーッと横から現れてくるのでよけいにビックリ。横浜育ちは私だけで、あとの3人は東京や別の市の出身だった。

さて、クリスマスの風景で思い浮かぶのは黒澤明監督である。音と映像の対位法(コントラプンクト)というのを、映画『醉いどれ天使』で試みた。悲しい場面などでは、明るい曲をわざと挿入する表現方法である。

落ちぶれた主人公が病(やまい)に苦しみながら、闇市をさすらう。その陰鬱な場面に明るい曲の『カッコウワルツ』を流した。そのことで、主人公の惨めさがより強調されるのだ。

その感性は黒澤さんの実体験から生まれたという。気が滅入ってたまらないときに、街角からクリスマスの明るい音楽が流れ、よけいに落ち込んだとのこと。

クリスマスを迎えれば本年もあと一週間。今年はまだまだ仕事が残っていて、落ち込む暇もなさそうなのである。

 

 

今週のお題「クリスマス」