日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

人の寿命はたくましくなるか


本年もよろしくお願い申し上げます。いつも読んでいただき、ありがとうございます。そして、皆様のすばらしい記事を多く読ませていただけることに感謝しております。

さて、伸びる子どもは自己肯定感が高く、積極的に物事へ取り組むという。そういう子どもの家には写真が多く飾ってあり、親子で写真を見ながら話をして褒めたりする。それを「ほめ写」というらしい。

なにかの企画で写真を飾っていない親子数十組に「ほめ写」を3週間試すと、<自分に満足している>という子どもが66%から91%になったそうな。

運動会や文化祭などの写真を見て、頑張ったことや拍手を受けたことなどを感じて、自己肯定感を高めていく。今、スマホで写真を多く撮っても、プリントをして飾ることが減っているのではないだろうか。それだけに、新鮮さも伴い効果が得られそうである。

 

 

子どもの成長は早い。幼稚園児の頃によく遊んだ孫もこの春で小学6年生。その分、自分も歳をとっているのかと思うとゾッとする。いつか日本経済新聞で、若手研究者約300人に<人間の寿命は何歳まで延びるか>と尋ねたところ「150歳」が最も多かったとか。

最期まで健康で潜在能力を最大限発揮しようとする人間。2050年には不老不死に近づく、との説もあるらしい。そうなると、家族も4世代、5世代が同じ時代を生きることになる。

かつての狩猟採集社会では、ケガで多くの人が命を失った。農耕社会に移り、抗生物質が20世紀に見つかると感染症が激減していく。記録が残る約300年間の平均寿命が40歳弱から80歳超まで延びている。

ブタの体内で人の膵臓の作製を目指し、老化を防ぐ研究も進んでいるとか。そんなことが? と疑いたくなるが...膵臓のできないように遺伝子操作したブタの受精卵に、人の(あらゆる細胞に育つ)iPS細胞を混ぜれば、生まれたブタの体内に人の膵臓ができるという。

 

 

老いの抑制、臓器の交換、そして脳と機械の融合が進めば、2050年の不老不死に近づくという算段のようだ。「老後」が死語になれば「支える側」として働き続けることを求められる。その時代では、自ら生の長さを決める「自殺」が死因のトップになるらしい。

ゾロ目が好きである。今から111年前の1909年(明治42年)には、太宰治さん、大岡昇平さん、中島敦さん、松本清張さんが生まれた。石川啄木さん、北原白秋さんが参与した文芸『スバル』もこの年に創刊された。啄木さんと白秋さんは、当時22~23歳で甘いロマンスもあったかもしれない。

人生に光のあたる時期は人それぞれである。太宰さんや中島さんが短い一生を終えたとき、“同い年”の作家である清張さんは、まだ一編の発表作品もない無名の人だった。

150歳という寿命をもし与えられていたら、清張さんや啄木さんらの新作が、今も読めていたかもしれない。