日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

「学ぶ」ための大切な基本動作


将棋の史上最年少棋士藤井聡太四段(14)は、デビュー11連勝で新記録とのこと。
5歳の時、(くもん出版から販売されている)「スタディ将棋」を祖母から贈られたのが、将棋を始めるきっかけになったという。

幼稚園の時に<将棋の名人になりたい>という言葉を残し、小学生になると将来の夢として<名人をこす>と言い放ったからすごい。

その後はネット将棋を指して研鑽を積んでいるそうだが、コンピュータとの関わる度合いがどれくらいなのか、とても興味深い。

昨年、コンピュータの「AlphaGo」が、世界のトップ棋士韓国棋院のイセドル九段を破った。五番勝負でAlphaGoの4勝1敗。AlphaGoは名誉九段を授与したそうだ。

今や、人工知能が人間の“先生”となっている時代なのかもしれない。そして、その基本中の基本を、コンピュータが教えてくれている。

 

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人工知能は何も特別なことをしているわけではないのだ。そもそも人間の脳に備わる学習方法を忠実に実行しているだけなのだから。

AlphaGoの実行していることは、とても簡単なことで、人間の棋士によるお手本を、たくさん学習するのだ。それは<過去の数多いプロ同士の棋譜を読み込み、そこからパターンを学習する>という単純作業のようだ。

自分で多く対局してみて、過ちから学び修正していく。どのような手を打つと勝つ確率が上がるのか何回も試行錯誤し、次第に技を研ぎ澄ませる。

お手本からパターンを学び、「試行錯誤でよりよい方法を見つける」という基本の動作を何度も何度も繰り返しながら、人工知能は強くなっていった

「自動運転」も同じで、ゼロから人工知能が運転することよりも、熟練したドライバーの運転パターンを覚えることで学習していくのである。

 

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ある天才ハッカーが、短期間で自動運転車を開発したらしい。その際の手順は、自分で公道を「お手本」として運転してみせてから、そのパターンを「ディープ・ラーニング(深層学習)」で覚えこませた。

人間が“他人から学ぶ”という行為もまったく同様であるが、その課題の本質は簡単なようでいてむずかしいものがある。

走るコンピュータ化された今の自動車は、ハンドルの動かし方や、アクセルの踏み方などと、さまざまなデータをとることができる。人工知能が自動車運転を達人から学ぶ場合は、詳細なデータをとることができるし、パターン学習にて短時間に達人の技を盗むことが可能なのである。

人間どうしの場合、人の技を習得することはかなりの集中度と観察眼がいるし、観察自体もむずかしい。本来、人間のやるべきことを、人工知能は地道にやってのける。

人間が大いに反省する原点はそこにあるのかもしれない。

<学びにおいての基本動作とは地道にやること>。皮肉なもので、現在の人間はコンピュータ利用にかまけて、その原点に気づかず、どんどんお置き去りにされているモノが、増え続けているような気がしてならない。

 

花見はざっくばらんが一番だ

 

端唄にうたわれた<梅は咲いたか桜はまだかいな>だが、今年は開花の順番もかなり曖昧なようだ。私のまわりでは早咲きの菜の花が1月の初旬、そのすぐあとには河津桜も早く咲いた。そして、ソメイヨシノはさぞかし早かろうと身構えていたところ、例年より一週間以上も遅れた。

今でこそ花見の主役は桜だが、奈良時代は梅だったそうだ。梅を詠んだ歌の数が、「万葉集」には桜の約3倍あるという。中国渡来の梅が文化や教養の象徴と見なされ、ハイカラ好きの貴族にもてはやされたとか。

現在のような花見が始まったのは江戸時代であり、大坂の豪商は閑静な別荘に商売相手や歌人文人を招き、料亭から料理を取り寄せた。

 

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テレビでは、千鳥ヶ淵の桜もきれいに咲いていた。

昨春、<公衆電話へアンテナが設置されるのは全国初>との記事があった。
千代田区が、千鳥ヶ淵の緑道にある公衆電話ボックスとボート場の2か所に、公衆無線LAN「Wi Fi」のアンテナを設置したという。

電話ボックスは電源と光回線を確保できるため、Wi Fiのアンテナ設置に適しているとのこと。利用登録すると半径50~100メートルの範囲でインターネットに接続できる。

無料でインターネットに接続できることで、外国人観光客に桜の魅力を世界に配信してもらいたいとのことらしい。なかなかの名案だと感心した。

<酔ひもせず 幹事もつとも 花疲(はなづかれ)>。橋本青草さんの句である。
夜の宴に備えて一人でシートを守る若手社員の姿が浮かぶ。

職場で恒例の花見も、桜の満開に予定を合わせるというのがめんどうで手がかかる。
仕事を終えてから幹事が買い出しに行ったり、荷物が増えれば車も使う。飲めるのに運転手をさせられて“おあずけ”をくらう者もいる。

毎年同じことの繰り返しに飽きて、それまでとまったくちがう花見を試したことがあった。

 

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花見の日は、満開日の朝に決定する。幹事も会費もなし。全員参加にはこだわらない。場所は職場ビル前の公園で、桜の木は少ないが場所取りの心配もない。

満開の日、朝礼で花見決行を告げた。そして、「それぞれの営業エリアで、各々が飲みたいものと食べたいものを調達してくること」とのルール説明をした。

<好きなものを持ち寄るだけの単純さ>が新鮮で盛り上がった。

車の営業で、買い食いはあたりまえ。仕事合間の買い出しなどお手の物だ。ぐずぐずいう者もなしの全員参加。

その夜に集まった持ち寄りのつまみと酒類の多さにおどろいた。

<自分の担当エリアのグルメを、みんなに紹介したい>という心理の相乗効果もあり、ゲーム感覚で楽しめた。

上質肉のしゃぶしゃぶ。新鮮な刺身。特製の焼き鳥やめずらしい惣菜もたくさん並んだ。車の運転もないから全員で酔って盛り上がった。

その公園で、夜桜で酒盛りするグループは皆無だった。帰宅通行人が多く、ふしぎそうな顔で盛り上がる我々を見ていた。

ところが翌年以降、そこで“夜桜の宴”を楽しむグループが増え続け、今でも恒例になっているようだ。

 

アメーバ化するビッグデータ

 

最近、「コネクテッドカー」なる言葉をよく耳にする。

昨年、トヨタと米マイクロソフト(MS)で合弁新社「トヨタ・コネクテッド」を、米国に設けるという記事を見かけた。

車から集めるビッグデータを分析する会社であり、車のIT化を担う人材確保も目的のようだ。分析の結果は自動運転に生かす。

トヨタは通信専用機を使い、利用者が渋滞や路面のきめ細かい情報を入手できるための「つながるクルマ」を増やす方針だという。

車の位置や速さ、道路の状態など膨大なデータをトヨタが収集分析して、詳細な地図の作成や、運転者の好みにあった広告を表示する。

また東京都は、2020年東京五輪パラリンピックに向け、都心と臨海部の選手村を短時間でつなぐバス路線として、“バス高速輸送システム”に自動運転技術を導入する予定とか。

バスは運転手が運転するが、コンピューター制御により正確な停車や車間距離の調節を手助けする。自動運転技術は約20台の車両すべてに導入とのことで、半数は燃料電池で走るらしい。

停留所に近づくと自動で減速して路肩に寄り定位置で停車したり、走行時は急な加速や減速を抑制する。日本の技術力を世界にアピールしたい考えなのだろう。

 

1819

 

パーソナルデータは<デジタル世界の新たな石油>と呼ばれるそうだ。
昨日の新聞記事にあった。

大量に流通させ活用すればビジネス創出につながるため、企業や政府は熱い視線を注ぐ。
購買履歴や移動情報などお金に変わる個人データ収集は、検索履歴などのネット上の情報を超え、現実世界のあらゆる行動履歴にまで広がっているとのこと。

IoT機器メーカーがもつデータだけでなく、個人がスマホで計測した位置情報や歩数、ウェアラブル端末で測った心拍数や睡眠時間までもが売買される時代になっている。

データが欲しい企業と売りたい人を、ネットでつなぐデータ取引市場の設定画面もあるという。スマートフォンで個人が売りたいデータを選択すると、買い手側が利用目的や報酬などを提示し、売り手が納得すれば提供するという仕組みなのである。

 

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4大IT企業といわれるGAFA(グーグル・アップル・フェイスブック・アマゾン)。
ネット上の検索や購買履歴は、ほぼGAFAに囲いこまれた情報として、牛耳られていた。

それも、主戦場がポイントカードやIoT機器などによる現実社会での行動情報に移りつつあるのだという。

SNSやポイントカード、交通機関などと様々なサービスを利用することで、各事業者に提供された個人の情報がある。

SNSに投稿した写真を見れば、その人の趣味がわかる。交通系カードからは行動パターンが、ポイントカードの購買履歴からは生活ぶりが・・・という具合に、バラバラに保有されている情報を集約できれば情報の価値は増し、その人に最適のサービスを提供できることになる。これが「情報銀行」というものの構想らしい。

昨年、政府はデータ活用による第4次産業革命の実現を成長戦略の柱と位置づけた。
パーソナルデータを含むビッグデータを集め、効率的で便利な「データ主導社会」が実現することを目指すという。そして、それらのビッグデータを解析するのがAI(人工知能)なのである。

ここまでくると自分のデータが方々で加工されて、アメーバ状になってしまうのではないか、と不安になってしまう。

 

「起承転結」の見せ所は“承”

 

長嶋茂雄さんは現役時代、伊豆・大仁で自主トレの山ごもりをしていた。

そのときの常宿だったホテルへ、先日(偶然に)宿泊した。長嶋さんお気に入りの、離れ家「富士の間」も見てきた。

1958年、鳴り物入りで巨人に入団した長嶋選手は、4月5日の開幕戦で国鉄金田正一投手に4打席4三振を喫するデビューであった。

当時の金田投手はすでにプロ入り8年間で通算182勝。そして、7年連続20勝を挙げる大エースだった。その年のシーズン成績も、31勝14敗で防御率1.30、311奪三振と、投手三冠を独占。今ではお目にかかれない数字である。

4三振の長嶋選手だが、金田投手の絶好調の球を1球だけファウルチップした。
とにかくスイングスピードが速い。金田さんは長嶋さんが怖い存在になることを悟った。

 

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テレビドラマや映画の作品構成「起承転結」では、“発端、クライマックス、結末”を描くより“承”の部分を描くことがはるかにむずかしい。長くて苦しい中に飽きさせない工夫が必要となる。逆に承の部分がしっかり書けていれば、クライマックスと結末が映えるはずだ。名作といわれる作品には、承のおもしろさが必ずあるといっても過言ではない。

1944年のクリスマスから新年の間、ナチス強制収容所で大量の死者が出たという。
原因は過酷な労働でも飢えや伝染病でもない。「クリスマスには家に帰れる」という期待が裏切られたためであり、多くの人が絶望し力尽きたそうだ。

裏切られた「期待」という部分を“承”に置き換えてみると、その承の部分で過酷な労働や飢えにも耐えられたのだろう。その先には楽しいクライマックスと結末が待っているはずだったのだから。

 

1818

 

精神科医のV・E・フランクルさんは著書『夜と霧』に収容体験を書いた。
未来に希望をもてるか否か。極限状況では、それが生死を分けるのだと。

<収容所の人間を精神的にしっかりさせるためには、未来の目的を見つめさせることやだれかが自分を待っていると、つねに思い出させることが重要だった>。

新国劇の名優と称された島田正吾さんが駆けだしのとき、舞台で『千葉周作』の寺小姓を演じた。たった1行ながら、新聞の劇評欄に初めて名前が載った。
島田正吾、観るに堪えず>と。

野村克也さんのプロ野球人生1年目は、11打数0安打5三振である。
シーズンの終了後には解雇を通告されていたが、なんとか拝み倒して撤回してもらったという。その人が戦後初の三冠王になり、名監督になった。

ニュースで入社式の映像が流れていた。初めは物珍しさでがんばれるが、途中で自分が描いていた世界ばかりではないことに気付く。そこから「起承転結」の“承”が始まる。そして、一番の腕の見せ所こそが「起承転結」の“承”の部分である。

長嶋さんや野村さんも“承”の部分でがんばれたからこそ、輝かしいクライマックスと結末が得られたはずである。

 

あわただしく過ぎる別れの3月

 

3月から4月は年度の切り替わりである。

学生や社会人として過ごす時間としては、12月から新年への切り替わりより、その変化が鮮明に感じられる。

別れの3月はあわただしく過ぎ、新たな出会いへと暦が一枚めくられる。そして、人間の春は、別れと出会いが交差するのである。

<誰が水を発見したのか分からないが、魚ではないだろう。そこへ棲み、いつも目にして接している魚は案外水に気づかないものだ>。
メディア論の学者マーシャル・マクルーハンさんの言葉である。

“水”を“時間”に置き換えてみる。
ふだんは漫然と過ごす時間であるが、この時期に「時の移ろい」を強く感じることが多い。

 

1815

 

そもそも「時代」も“切り替わり時間”の積み重ねなのかもしれない。

名探偵、明智小五郎の初登場は関東大震災の翌々年らしい。
江戸川乱歩さんの『D坂の殺人事件』である。

探偵業の成り立ちは、古き東京の町並みが灰になったことと関係がある、との説もある。
<東京が都市社会化し、隣りに誰が住んでいるか分からない>という匿名性が生まれてからだろう・・・と。

今は、住まいの防音効果が格段に上がっている。隣人の匿名性も大正時代の比ではないはずだ。安全だと思われる時空間にも、すぐそばにどんな獣が潜んでいるか知れない。幼い子どもたちが犠牲になるニュースには胸が痛む。

 

1816

 

<明治の夏目漱石さんが、もし昭和初年から敗戦までの“日本”に出あうことがあれば、相手の形相のあまりのちがいに人違いするにちがいない>。

司馬遼太郎さんが『この国のかたち』に記している。
戦争へ傾斜していく昭和の日本は、明治人の知らぬ猛々しい顔に変貌していた。

どのような時代でも人々は生活をして人生を全うしてきた。
今は我々が順番で生かされているのだろう。3月から4月と同じように、知らぬうちに人生の切り替わりを繰り返しながら。

 

どちらにも強みと弱みがあり


営業関係の仕事が長いせいか、関西弁のイントネーションは仕事に役立つと常々思っている。挨拶ひとつでも和やかになるからである。

それでも、一瞬意味がわからないこともあった。
関西出身の人と仕事をしていたときである。

「だいじょうぶか? 自分」と声をかけられた。
仕事でこちらがパニックになっていたときだった。
忙しいのはこちらなのに、なんで自分? と、考えてしまった。

慣れてから理解した。
どうやら“自分”は二人称(あなた)のことらしい。

一人称から二人称に転じる使い方は、他にも“われ”や“おんどれ”もあるが、“自分”の方が優しさを感じられる。

関東ではそのあたりの理解度がどれほどなのかわからぬが、誤解をまねくこともあるだろう。また、関東の言葉は“馴れ馴れしさ”に一線を置くようなところもありそうだ。

 

1813

 

野球ファンいわく「サッカーはなかなか点が入らない」。サッカーファンは「野球の試合こそ間延びしている」とぼやく。この二つの球技の違いを考えることもよくある。

経営学者のピーター・ドラッカーさんは、その違いを企業組織のあり方にあてはめて考察したという。

野球型は打順や守備位置が固定された分業体制であり、選手は打席やマウンドで個人技を求められる。

サッカー型にもポジションはあるが、状況に応じて変化する。ディフェンスが前線の攻撃に参加するなど、機動性や協調性が大切になってくる。

ドラッカーさんの見解では、<どちらにも強みと弱みがあり、一方が正しいというわけではない>そうだ。

 

1814

 

携帯電話が便利で、あたりまえに使っている。
昔ながらの固定電話や公衆電話の出番も減っていることだろう。

電話は<出ることを強制して、他人のプライベートにずかずか入りこんでくる>。
こんなメディアは電話だけだとか。

ケータイなどは、応答しないと相手に「拒絶された」と思われてしまうだろうし。

小説家、俳優、ラッパーなどマルチに活躍する いとうせいこうさんの小説に『我々の恋愛』がある。

<1994年3月、間違い電話をきっかけに若い男女が受話器越しに沈黙の交流を始める。やがて青年が語り出し、娘は耳をそばだて、恋が育まれる・・・>。

そんな平凡な恋愛こそが20世紀を代表する恋愛なのだという。
そして、“我々の恋愛”として記憶されていく。

電話は大きな意味を持つ“小道具”なのだという。

家族の目を気にしながら固定電話の受話器を握りしめ、2人の“密室”を築き上げられたあの時代は終わりを告げた。電話が濃密な1対1の関係を築いた時代は過ぎ去ったのである。

かんたんに電話ができて、ネット上のやりとりが他人にのぞかれる世の中では、電話というメディアも人間関係も大きく変わっている。

<2人だけの“密室”で、濃密な1対1の関係を築けた時代>は、不便ではあったが熱く懐かしい時間が保てた時期でもあった。

 

「手持ちぶさた」な人間の器

 

19世紀末に、“写真が動く”という(新発明の)見世物として始まったのは映画であり、その宣伝用の“貼り紙”としてスタートしたのが映画のポスターだ。

告知のポスターは映画史の幕開けから存在らしい。
日本では初期に、各映画館が地元印刷所に作らせて、発注元の映画館名が必ず記されていたという。

映画産業が盛んになる1930年代になると、配給会社がまとめて作るようになり、戦後には(B2サイズを中心とする)業界の共通規格が確立したようだ。

映画の歴史も120年になると、フィルムだけでなく、ポスターやプレス資料も立派な文化遺産だといえる。

 

1811

 

<ヘタな俳優を見ていると、手の始末がついていない>と、『たたずまいの研究』に記したのは、直木賞作家の神吉拓郎さんである。

手が行き場に困っているのだという。ポケットに手を入れる役者もおられたが、そんなときには何かを持たせれば、手持ちぶさたな感じを与えずにすむ。

とはいえ、安易な小道具の一つであった“たばこ”も、今の時代は規制がありすぎて使いづらいことであろう。

邦画、洋画を問わず、昔は登場人物がたばこをよく吸っていたが、決してヘボ役者が多かったわけではない。たくさんの人々が吸っていたし、吸って遠慮のない時代でもあった。当時のたばこは、微妙な心理を表す大事な小道具でもあった。

近年ハリウッドでは、喫煙シーンが大幅に減っている。もちろん日本も“右に倣え”である。

役者ならぬ政治家先生も、手持ちぶさたな感じを与える方が増えているように感じてならない。酒席などでも<政治家の器が小さくなった>との談話がよく出てくる。

正面から話をせず、揚げ足をとる。人の意見を聞かず、敵味方をすぐ決めつける。

 

1812

 

以前に読んだ新聞のコラムでは、岸信介元首相と中曽根康弘元首相のことが取り上げられていた。

グローバルな視点を大切にしていた岸信介元首相は、いつもにこにこしていて穏やかであったという。面会で、熱意のあまり整理されていない話を延々と訊かされても、決して遮ったりせずよく聞いていたそうだ。その真摯な態度は、あれがあの保守の大物?と思わされるほどだったという。

中曽根康弘元首相は、右から左までいろんな人たちを集めて徹底的に議論をするのが好きだったようだ。

憲法調査会で学生代表として、首相公選制について反対意見を述べた学生がいた。
話が終わると、中曽根さんが寄ってきて声をかけた。
「君、明日の昼飯はあいているか」

<意見が違うからこそ話をしたいのだ>とのことであった。

幅広く多くのことに関心を持ち、意見が違う人とこそあれこれ議論を交わす。
それが一流の政治家の懐の深さであり、手ごわさでもある。

今は<一本調子であり、意外感もない>ような政治家たちが脳裏に浮かぶ。
かつて、お二人のように多面的な政治家はもっともっといたはずだ。
さて、そういう人が今どれだけいらっしゃるのだろうか?

 

ぼかし言葉と誤用言葉の文化

 

1月は往(い)ぬ、2月は逃げる、3月は去る。

早いもので、3月ももう下旬である。桜が開花、とのニュースも飛び込み始めた。

この世の春を謳歌していても一夜の嵐に散る桜。
思わずわが身に置きかえてしまう趣がある。

桜の花には、冬に一定の寒さを経験することで開花が促される“休眠打破”という性質があるという。“辛抱に耐え花ひらく人生”にもよく似ている。

どなたの句かはわからぬが<腹筋(はらすじ)をよりてやわらふ糸ざくら>という作品がある。糸ざくらは枝垂(しだ)れ桜のことだという。

“わらふ”は“笑ふ”であり、“咲ふ”とも書くらしい。
風に揺れる枝垂れ桜を、腹の皮をよじって笑う姿に喩えたのだろう。
実に、お見事である。

“笑ふ”と“咲ふ”はまったくの別物だと思っていたが、共通だと知ればこれほど合うものはない。満開の桜の下では、人々が驚くほどの笑顔になっているのだから。

 

1809

 

当たり前と思う言葉でも、元々は本来の意味とちがうものがあるとのこと。
たとえば、取材等のインタビューに答えるのは独白ではないという。

“独白”の“白”は“告白”や“白状”と同様に、“言う”との意味になるそうな。
独りで言うことになるから、“独り言”なのだ。

島津暢之さん著『知らないうちに間違えている日本語』によると、“独占告白”の省略形が“独白”と勘違いされているのではないか・・・と。

俳優が芝居で言うせりふを“科白”(台詞とも)と書くが、“白”だけでせりふの意味になるのだという。さて、“科”の意味は何かというと、“しぐさ”を表すそうだ。

もともとは“かはく”と読み、(舞台上での)俳優のしぐさとせりふを言ったものが、もっぱら“せりふ”のみで言われるようになった。

 

1810

 

「お義父さん、それって微妙ですよね」。
息子の嫁によく話しかけられて、初めは意味がわからなかったが、今では自分でも“微妙”を使ってしまう。

「微妙」、「わたし的には・・・」など、断定を避ける“ぼかし言葉”が、若者発信で幅広い世代に浸透しているという。

(その分野の)専門家の分析結果では、<はっきりとした物言いを避け、相手と距離感を保つ傾向が広がっている>とのこと。

“あの世”を信じている人はどれぐらいの割合なのか。
数年前に、統計数理研究所の国民性調査が行われた。

20歳代では45%が「信じる」と答えた。
55年前の同様の質問では13%だったので3倍以上に増えている。
そして、70歳以上は、37%だったのが31%と減っている。

数字からの想像で「高度成長が始まる時代からバブル崩壊の低迷期へ」との背景が浮かんだ。

だれもが貧しかった時代には等しく夢が持てた。
しかし時代は移り、格差は開いて若者の希望はかすれがちだ。

別の民間調査でも、占い・おみくじを信じる人が若い世代ほど多い、との結果だったそうだ。

 

“逆もまた真なり”の説得力


いい天気といえば、晴天に決っている。そう思い込むことへの疑問を感じることがある。

当たり前のことを書き連ねた文章であるとの謙遜か、詩人・土井晩翠さんは随筆『雨の降る日は天気が悪い』と昭和の初めに書いている。

「親父は男でおっかあ女」、「唐辛子は辛くて砂糖は甘い」などと自明のことを述べた言葉はよくある。

晩翠さんはその表題に触れて、しかしながら・・・と記した。
<日照りが日常の土地では、「いい天気だね」と雨空を仰ぐのかも知れない>と。

「花粉症川柳」の入選作で、<晴れよりも 雨がうれしい 花粉症>という一句もある。

 

1808

 

立春のあと、初めて雪を交えずに雨だけが降る日を“雨一番”と呼ぶ地方もあるらしい。
地元の人にはこれも、待ちかねた“いい天気”の雨に間違いない。

酒の飲み過ぎはいけない。愛煙家も喫煙場所がどんどん追いやられている。
それは、からだによくないから? その抑圧によるストレスで、からだがおかしくならないのだろうか。

日本酒好きだった古今亭志ん生さんは、池田勇人元首相の気配りにとても喜んだ。
<築地あたりであたしが一席やって、帰ろうと思って車へ乗るてえと、『これは師匠に…』といって、車のなかへ一升びんを入れてくれるんですよ。恐れいってしまいます>。半生記に書いた。

そして、「酒は米の精だから体にさわらない」と語った志ん生さんである。

 

1807

 

一昨年のタレントイメージ調査で(二枚目タレントたちを押さえて)好きな男性タレント1位に輝いたのはマツコ・デラックスさんであった。

毒舌キャラなのに、その人気の秘密は何なのか。
マツコさんの発言は、自分がその場で実感した“生の言葉”なのだそうだ。

それでも局としては、安心感を持って起用できるという。
マツコさんが叩くのは強者であり、弱者には優しい。決して上から目線にもならない。
だから、“炎上”しない。

マツコさんは自分の人気を過信しないところがあり、“最強の素人”なのだ。

<この人気もいつまで続くかわからない>と冷静に見ているようで、体制におもねらない。だからこそ本音の発言ができるのかもしれない。

本音の発言といえばかつて、物理学者・アインシュタインさんは語っていた。
<第3次世界大戦はどう戦われるのでしょうか。わたしにはわかりません。しかし、第4次大戦ならわかります。石と棒を使って戦われることでしょう>。とても重い言葉である。

 

5人目のビートルズはふたり


どんな才能も埋もれていたらどこにも届かない。
それを伝えるための“手立て(行動力)”と、才能を輝かせる“センス”があればこそ、感動が伝わる。

ビートルズは初期のシンプルなサウンドから、サイケデリック、インド風など次々と新しいスタイルを取り入れて、それまでの音楽的な常識を打ち破ろうとする4人の若者であった。そして、ビートルズのメンバーはすごい才能を持っていたのだ。

彼らをまとめあげたマネジャーのブライアン・エプスタインさんは、父親が経営する店のレコード部門の責任者であった。そこでビートルズを知った。

別のオーディションで落とされた彼らとの契約を決め、レコードデビューを果たした。未知数の彼らの才能を見抜いたエプスタインさんのそれからの功績はあまりにも有名であるが、惜しくも33歳という若さでこの世を去る。

そして昨年、90歳で死去された英音楽プロデューサーのジョージ・マーティンさんもビートルズ神話に大きく貢献されたおひとりである。

マーティンさんは、クラシックの知識や(それまでの)プロデューサーとしての経験と音楽的なアイデアも豊富で、アーティストの才能を引き出し、一緒に考え、伸ばした

 

1805

 

行動的なマネージャーと柔軟な考え方のできるプロデューサー。
エプスタインさんとマーティンさんとの組み合わせがなければ、才能あふれる4人の若者たちも、ここまでの成功を収めていなかったかもしれない。

ジョージ・マーティンさんはビートルズの才能を見いだし、1962年のデビュー曲『ラヴ・ミー・ドゥ』から69年のアルバム『アビイ・ロード』までプロデュースした。

ヒットに恵まれない時期は、プロに曲作りを任せる案も浮上したらしいが、ジョン・レノンさんやポール・マッカートニーさんら、メンバーの作曲にこだわった。

オーボエ奏者として活動後に音楽プロデューサーに就任したマーティンさんは、ビートルズのほか、ジェフ・ベックら700枚以上のレコードをプロデュース。

3年前も<これからのプロデューサーはレコーディングだけではなくて、コンサートも含め、アーティストの動き全体を仕切らないといけない>などと、これからの音楽界の展望を語っていたそうだ。

 

1804

 

ポール・マッカートニーさんは、マーティンさんを「第二の父のような存在だった」と回想していた。

『Yesterday』制作時のエピソードでは、「僕がギターを弾いてソロで歌ったらどうか」と提案したところ、クラシック出身のマーティンさんが「弦楽器の四重奏を入れたい」と応えたそうだ。

ポールさんは「ロックンローラーなんだからダメだ」と反対した。
しかし、実際にレコーディングをしてみて、マーティンさんのアイディアが正しかったことをわかったという。

その曲はフランク・シナトラさん、エルビス・プレスリーさんらもカバーして、史上最もレコーディングされた曲の一つになっている。

マーティンさんの編曲のセンスも、当時のロックバンドとしては画期的であったことがとてもよくわかる。