あわただしく過ぎる別れの3月
3月から4月は年度の切り替わりである。
学生や社会人として過ごす時間としては、12月から新年への切り替わりより、その変化が鮮明に感じられる。
別れの3月はあわただしく過ぎ、新たな出会いへと暦が一枚めくられる。そして、人間の春は、別れと出会いが交差するのである。
<誰が水を発見したのか分からないが、魚ではないだろう。そこへ棲み、いつも目にして接している魚は案外水に気づかないものだ>。
メディア論の学者マーシャル・マクルーハンさんの言葉である。
“水”を“時間”に置き換えてみる。
ふだんは漫然と過ごす時間であるが、この時期に「時の移ろい」を強く感じることが多い。
そもそも「時代」も“切り替わり時間”の積み重ねなのかもしれない。
名探偵、明智小五郎の初登場は関東大震災の翌々年らしい。
江戸川乱歩さんの『D坂の殺人事件』である。
探偵業の成り立ちは、古き東京の町並みが灰になったことと関係がある、との説もある。
<東京が都市社会化し、隣りに誰が住んでいるか分からない>という匿名性が生まれてからだろう・・・と。
今は、住まいの防音効果が格段に上がっている。隣人の匿名性も大正時代の比ではないはずだ。安全だと思われる時空間にも、すぐそばにどんな獣が潜んでいるか知れない。幼い子どもたちが犠牲になるニュースには胸が痛む。
<明治の夏目漱石さんが、もし昭和初年から敗戦までの“日本”に出あうことがあれば、相手の形相のあまりのちがいに人違いするにちがいない>。
司馬遼太郎さんが『この国のかたち』に記している。
戦争へ傾斜していく昭和の日本は、明治人の知らぬ猛々しい顔に変貌していた。
どのような時代でも人々は生活をして人生を全うしてきた。
今は我々が順番で生かされているのだろう。3月から4月と同じように、知らぬうちに人生の切り替わりを繰り返しながら。