5人目のビートルズはふたり
どんな才能も埋もれていたらどこにも届かない。
それを伝えるための“手立て(行動力)”と、才能を輝かせる“センス”があればこそ、感動が伝わる。
ビートルズは初期のシンプルなサウンドから、サイケデリック、インド風など次々と新しいスタイルを取り入れて、それまでの音楽的な常識を打ち破ろうとする4人の若者であった。そして、ビートルズのメンバーはすごい才能を持っていたのだ。
彼らをまとめあげたマネジャーのブライアン・エプスタインさんは、父親が経営する店のレコード部門の責任者であった。そこでビートルズを知った。
別のオーディションで落とされた彼らとの契約を決め、レコードデビューを果たした。未知数の彼らの才能を見抜いたエプスタインさんのそれからの功績はあまりにも有名であるが、惜しくも33歳という若さでこの世を去る。
そして昨年、90歳で死去された英音楽プロデューサーのジョージ・マーティンさんもビートルズ神話に大きく貢献されたおひとりである。
マーティンさんは、クラシックの知識や(それまでの)プロデューサーとしての経験と音楽的なアイデアも豊富で、アーティストの才能を引き出し、一緒に考え、伸ばした
行動的なマネージャーと柔軟な考え方のできるプロデューサー。
エプスタインさんとマーティンさんとの組み合わせがなければ、才能あふれる4人の若者たちも、ここまでの成功を収めていなかったかもしれない。
ジョージ・マーティンさんはビートルズの才能を見いだし、1962年のデビュー曲『ラヴ・ミー・ドゥ』から69年のアルバム『アビイ・ロード』までプロデュースした。
ヒットに恵まれない時期は、プロに曲作りを任せる案も浮上したらしいが、ジョン・レノンさんやポール・マッカートニーさんら、メンバーの作曲にこだわった。
オーボエ奏者として活動後に音楽プロデューサーに就任したマーティンさんは、ビートルズのほか、ジェフ・ベックら700枚以上のレコードをプロデュース。
3年前も<これからのプロデューサーはレコーディングだけではなくて、コンサートも含め、アーティストの動き全体を仕切らないといけない>などと、これからの音楽界の展望を語っていたそうだ。
ポール・マッカートニーさんは、マーティンさんを「第二の父のような存在だった」と回想していた。
『Yesterday』制作時のエピソードでは、「僕がギターを弾いてソロで歌ったらどうか」と提案したところ、クラシック出身のマーティンさんが「弦楽器の四重奏を入れたい」と応えたそうだ。
ポールさんは「ロックンローラーなんだからダメだ」と反対した。
しかし、実際にレコーディングをしてみて、マーティンさんのアイディアが正しかったことをわかったという。
その曲はフランク・シナトラさん、エルビス・プレスリーさんらもカバーして、史上最もレコーディングされた曲の一つになっている。
マーティンさんの編曲のセンスも、当時のロックバンドとしては画期的であったことがとてもよくわかる。