ぼかし言葉と誤用言葉の文化
1月は往(い)ぬ、2月は逃げる、3月は去る。
早いもので、3月ももう下旬である。桜が開花、とのニュースも飛び込み始めた。
この世の春を謳歌していても一夜の嵐に散る桜。
思わずわが身に置きかえてしまう趣がある。
桜の花には、冬に一定の寒さを経験することで開花が促される“休眠打破”という性質があるという。“辛抱に耐え花ひらく人生”にもよく似ている。
どなたの句かはわからぬが<腹筋(はらすじ)をよりてやわらふ糸ざくら>という作品がある。糸ざくらは枝垂(しだ)れ桜のことだという。
“わらふ”は“笑ふ”であり、“咲ふ”とも書くらしい。
風に揺れる枝垂れ桜を、腹の皮をよじって笑う姿に喩えたのだろう。
実に、お見事である。
“笑ふ”と“咲ふ”はまったくの別物だと思っていたが、共通だと知ればこれほど合うものはない。満開の桜の下では、人々が驚くほどの笑顔になっているのだから。
当たり前と思う言葉でも、元々は本来の意味とちがうものがあるとのこと。
たとえば、取材等のインタビューに答えるのは独白ではないという。
“独白”の“白”は“告白”や“白状”と同様に、“言う”との意味になるそうな。
独りで言うことになるから、“独り言”なのだ。
島津暢之さん著『知らないうちに間違えている日本語』によると、“独占告白”の省略形が“独白”と勘違いされているのではないか・・・と。
俳優が芝居で言うせりふを“科白”(台詞とも)と書くが、“白”だけでせりふの意味になるのだという。さて、“科”の意味は何かというと、“しぐさ”を表すそうだ。
もともとは“かはく”と読み、(舞台上での)俳優のしぐさとせりふを言ったものが、もっぱら“せりふ”のみで言われるようになった。
「お義父さん、それって微妙ですよね」。
息子の嫁によく話しかけられて、初めは意味がわからなかったが、今では自分でも“微妙”を使ってしまう。
「微妙」、「わたし的には・・・」など、断定を避ける“ぼかし言葉”が、若者発信で幅広い世代に浸透しているという。
(その分野の)専門家の分析結果では、<はっきりとした物言いを避け、相手と距離感を保つ傾向が広がっている>とのこと。
“あの世”を信じている人はどれぐらいの割合なのか。
数年前に、統計数理研究所の国民性調査が行われた。
20歳代では45%が「信じる」と答えた。
55年前の同様の質問では13%だったので3倍以上に増えている。
そして、70歳以上は、37%だったのが31%と減っている。
数字からの想像で「高度成長が始まる時代からバブル崩壊の低迷期へ」との背景が浮かんだ。
だれもが貧しかった時代には等しく夢が持てた。
しかし時代は移り、格差は開いて若者の希望はかすれがちだ。
別の民間調査でも、占い・おみくじを信じる人が若い世代ほど多い、との結果だったそうだ。