日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

「手持ちぶさた」な人間の器

 

19世紀末に、“写真が動く”という(新発明の)見世物として始まったのは映画であり、その宣伝用の“貼り紙”としてスタートしたのが映画のポスターだ。

告知のポスターは映画史の幕開けから存在らしい。
日本では初期に、各映画館が地元印刷所に作らせて、発注元の映画館名が必ず記されていたという。

映画産業が盛んになる1930年代になると、配給会社がまとめて作るようになり、戦後には(B2サイズを中心とする)業界の共通規格が確立したようだ。

映画の歴史も120年になると、フィルムだけでなく、ポスターやプレス資料も立派な文化遺産だといえる。

 

1811

 

<ヘタな俳優を見ていると、手の始末がついていない>と、『たたずまいの研究』に記したのは、直木賞作家の神吉拓郎さんである。

手が行き場に困っているのだという。ポケットに手を入れる役者もおられたが、そんなときには何かを持たせれば、手持ちぶさたな感じを与えずにすむ。

とはいえ、安易な小道具の一つであった“たばこ”も、今の時代は規制がありすぎて使いづらいことであろう。

邦画、洋画を問わず、昔は登場人物がたばこをよく吸っていたが、決してヘボ役者が多かったわけではない。たくさんの人々が吸っていたし、吸って遠慮のない時代でもあった。当時のたばこは、微妙な心理を表す大事な小道具でもあった。

近年ハリウッドでは、喫煙シーンが大幅に減っている。もちろん日本も“右に倣え”である。

役者ならぬ政治家先生も、手持ちぶさたな感じを与える方が増えているように感じてならない。酒席などでも<政治家の器が小さくなった>との談話がよく出てくる。

正面から話をせず、揚げ足をとる。人の意見を聞かず、敵味方をすぐ決めつける。

 

1812

 

以前に読んだ新聞のコラムでは、岸信介元首相と中曽根康弘元首相のことが取り上げられていた。

グローバルな視点を大切にしていた岸信介元首相は、いつもにこにこしていて穏やかであったという。面会で、熱意のあまり整理されていない話を延々と訊かされても、決して遮ったりせずよく聞いていたそうだ。その真摯な態度は、あれがあの保守の大物?と思わされるほどだったという。

中曽根康弘元首相は、右から左までいろんな人たちを集めて徹底的に議論をするのが好きだったようだ。

憲法調査会で学生代表として、首相公選制について反対意見を述べた学生がいた。
話が終わると、中曽根さんが寄ってきて声をかけた。
「君、明日の昼飯はあいているか」

<意見が違うからこそ話をしたいのだ>とのことであった。

幅広く多くのことに関心を持ち、意見が違う人とこそあれこれ議論を交わす。
それが一流の政治家の懐の深さであり、手ごわさでもある。

今は<一本調子であり、意外感もない>ような政治家たちが脳裏に浮かぶ。
かつて、お二人のように多面的な政治家はもっともっといたはずだ。
さて、そういう人が今どれだけいらっしゃるのだろうか?