日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

「起承転結」の見せ所は“承”

 

長嶋茂雄さんは現役時代、伊豆・大仁で自主トレの山ごもりをしていた。

そのときの常宿だったホテルへ、先日(偶然に)宿泊した。長嶋さんお気に入りの、離れ家「富士の間」も見てきた。

1958年、鳴り物入りで巨人に入団した長嶋選手は、4月5日の開幕戦で国鉄金田正一投手に4打席4三振を喫するデビューであった。

当時の金田投手はすでにプロ入り8年間で通算182勝。そして、7年連続20勝を挙げる大エースだった。その年のシーズン成績も、31勝14敗で防御率1.30、311奪三振と、投手三冠を独占。今ではお目にかかれない数字である。

4三振の長嶋選手だが、金田投手の絶好調の球を1球だけファウルチップした。
とにかくスイングスピードが速い。金田さんは長嶋さんが怖い存在になることを悟った。

 

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テレビドラマや映画の作品構成「起承転結」では、“発端、クライマックス、結末”を描くより“承”の部分を描くことがはるかにむずかしい。長くて苦しい中に飽きさせない工夫が必要となる。逆に承の部分がしっかり書けていれば、クライマックスと結末が映えるはずだ。名作といわれる作品には、承のおもしろさが必ずあるといっても過言ではない。

1944年のクリスマスから新年の間、ナチス強制収容所で大量の死者が出たという。
原因は過酷な労働でも飢えや伝染病でもない。「クリスマスには家に帰れる」という期待が裏切られたためであり、多くの人が絶望し力尽きたそうだ。

裏切られた「期待」という部分を“承”に置き換えてみると、その承の部分で過酷な労働や飢えにも耐えられたのだろう。その先には楽しいクライマックスと結末が待っているはずだったのだから。

 

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精神科医のV・E・フランクルさんは著書『夜と霧』に収容体験を書いた。
未来に希望をもてるか否か。極限状況では、それが生死を分けるのだと。

<収容所の人間を精神的にしっかりさせるためには、未来の目的を見つめさせることやだれかが自分を待っていると、つねに思い出させることが重要だった>。

新国劇の名優と称された島田正吾さんが駆けだしのとき、舞台で『千葉周作』の寺小姓を演じた。たった1行ながら、新聞の劇評欄に初めて名前が載った。
島田正吾、観るに堪えず>と。

野村克也さんのプロ野球人生1年目は、11打数0安打5三振である。
シーズンの終了後には解雇を通告されていたが、なんとか拝み倒して撤回してもらったという。その人が戦後初の三冠王になり、名監督になった。

ニュースで入社式の映像が流れていた。初めは物珍しさでがんばれるが、途中で自分が描いていた世界ばかりではないことに気付く。そこから「起承転結」の“承”が始まる。そして、一番の腕の見せ所こそが「起承転結」の“承”の部分である。

長嶋さんや野村さんも“承”の部分でがんばれたからこそ、輝かしいクライマックスと結末が得られたはずである。