日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

「ありえない」が「ありえる」に

 

気が付かなかったが、今年の十五夜(中秋の名月)は2018年9月24日(旧暦8月15日)だったようだ。

昔の人のこの季節の月へのこだわりはすごい。十六夜を“いざよい”というのは、前夜より欠けた月が50分ほど遅く、ためらう(いざよう)ように出てくるからだという。さらに50分ほど遅れて出る十七夜は、立って待つ立待月(たちまちづき)というのだ。

お月見で連想するのはすすきである。穂の出たすすきを稲穂に見立てて飾り、悪霊や災いなどから収穫物を守り、翌年の豊作を願う意味もこめる。

時期にかかわらず月に草花はよく似合う。禅語に<花は誰のために咲くのか>という定番の問いがある。哲学風の答えがいくつも出てきそうだ。

 

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英語の青い薔薇(ばら)“ブルーローズ”には、「ありえないこと」という意味があるという。薔薇は青系統の色素をもたないためなのだが、ありえないはずの花も今は遺伝子の組み換え技術で咲く時代になっている。

宇宙誕生から約138億年といわれるが、160億年という悠久の時の流れを経ても、狂いが1秒に満たないという、ありえない“超高精度な時計”が存在するらしい。

時計は、物体が規則的に振動する回数を測ることで時を刻む。振り子時計や水晶の振動を使ったクオーツ時計も原理は同じ。振動が小刻みなほどその精度は高まる。

長らく高精度時計の王者として君臨しているのは「セシウム原子時計」といわれる。マイクロ波という電磁波をセシウム原子に当てることで、1秒間に91億9263万1770回振動し、特有の電磁波を出す。3000万年に1秒程度しかずれないため、日本をはじめ世界各国では、これを計測して標準時を決めている。

 

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科学者らは、さらに精度を上げる方法を探し、セシウムより小刻みに振動する原子を使いたいと考えた。しかし、原子の動きが激しくなり互いにぶつかって振動数を正確に測れない。防ぐには、原子1個ずつを決まった場所に閉じ込めておく必要があるのだ。

2000年代初めから研究に取り組む東京大教授・香取秀俊さんらは、レーザー光で作った“容器”に原子を閉じ込める方法を考案した。特定の波長のレーザー光線を重ね合わせると原子が1個ずつ収まる空間ができる。これが「光格子(ひかりこうし)」である。

そこへ、ストロンチウムなどの原子を1個ずつ閉じこめ、その状態の原子を極低温に冷やし(上述とは)別のタイプの光を当てると、多数の原子がぶつからずに振動して正確に計測できた。

03年の試作当初はセシウム原子時計より精度が悪かった。室温が原子の振動に及ぼす影響を大幅に減らす手法などで、15年には160億年に1秒しかずれない精度を達成。ついに日本発の「光格子時計」は完成した。

スーパークロックを使うと、山の上と下では時間の進み方がごくわずかに違うことがわかった。従来の時計では検出できなかった現象で、精密な測量などにも応用が期待されているそうだ。

 

素朴な疑問で知らぬことを知り

 

一昨日(10月2日)は、語呂合わせで「豆腐の日」だったらしい。

スーパーマーケットの見切り販売のワゴンで、豆腐や油揚げ、納豆など、大豆製品が入っていることがよくある。割引シールを貼っても、売れ残ってしまうことも多いとか。

群馬県前橋市相模屋食料という会社は、日本気象協会とタッグを組み豆腐の廃棄を減らすように工夫しているらしい。

大豆を水に浸けてから豆腐が出来上がるまでは2日間かかり、豆腐の売上は天候に左右されるのだ。気象データを活用することにより、年間ロスを30%削減したとのこと。

夏なら、前日との気温差が大きいほど体感温度で“暑くなった”と感じやすく、寄せ豆腐が売れやすい。研究を重ねることで、夏は「寄せ豆腐指数」、冬は「焼き豆腐指数」といったオリジナルの指標を設定して、年間のロスを削減させることに成功したという。

 

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一昨日、熱海で一泊した。名の知れた大きなホテルと軒を並べた海辺のホテルだ。昭和レトロの建物で、部屋や風呂はかなりの老朽化。高さも高層ホテルの半分だ。しかし、部屋食での夕飯と朝飯がとてもうまい。この一点豪華主義により、大手ホテルの間で生き延びている感じだった。

うまい料理でつい飲み過ぎて爆睡したら、夜中に起きて目が冴えてしまった。窓を開けて空を眺めた。外気が心地よい。

<海は広いな 大きいな 月がのぼるし 日が沈む>。海を眺めると思わず童謡が浮かぶ。<海にお舟を浮かばして 行ってみたいな よその国>。このわかりやすい言葉だけで、海が見事に表現されている。

普段、夜空を見上げることなどほとんどない。月があんなに明るいとは・・・おどろいた。星はなんで光るのか。夜中に飛行機やヘリのような飛行物体も飛んでいる。

なにかの拍子に素朴な疑問がどんどん湧いてくる。家に戻ってからゆっくりとネット検索をしてみたが。

 

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パソコンやタブレットで、ウィキペディア(Wikipedia)にお世話になることもある。なぜか、ある時期に集中して寄付を呼びかけるメッセージが出ることがある。なぜ、あんなに寄付にこだわるのか。それなりの理由があるという。

財団によると、<私たちは独立性を守るため、一切の広告を掲載いたしません。平均で約1500円の寄付をいただくが、運営援助をしてくださる読者はほんの少数。300円を寄付してくだされば、ウィキペディアはこの先何年も発展することができる>とのことらしい。

そのお願いが年に一度で、2~3週間かけて実施される。<運営資金は主に個人からの寄付で賄っているからこそ、“真”のパブリックなものになります>との趣旨だ。

ウィキペディアへのアクセス数で、日本はアメリカに次ぐ第2位だが、日本からの寄付金額は決して多いとはいえない。日本はまだ寄付をそれほど認識していないらしい。

 

何でもある国にもないものが

 

文豪・夏目漱石さんは無類の甘党だったらしい。学生時代には、汁粉の食べ過ぎで盲腸炎になり、教員時代は答案の採点中にビスケットを食べて止まらなくなる。

作家になってからも、自宅にアイスクリーム製造機まで備えた。そして、絶えず胃痛を訴えつつ、甘い菓子をやめられない。ついには糖尿病を患ったとのこと。

レストランやホテルで、最高三つ星の格付けで知られる「ミシュランガイド」は、客を装った覆面調査員により評価が示される。

知っているあの店にいくつの星が付くのかと興味は尽きないが、味の好みは人それぞれである。高い格付けに誘われて食べても、期待外れということもある。

ミシュランガイドをめぐり、調査員とレストランのなれ合いなどを指摘した暴露本が出て、話題になったこともある。

持ちつ持たれつの関係が、星の数に影響したことはなかったか。そういえば、“モリカケ問題”は騒がれなくなったが、根底の“持ちつ持たれつ”はよく似ている。

 

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「百舌(もず)勘定」という言葉がある。自分の懐の痛まぬ算段を人に押しつけることだ。モズとハトとシギが15文の食べ物を買った。モズはハトに8文、シギに7文払わせ、自分だけ知らんぷり。

モズは小さな体なのに肉食系で、タカみたいに猛禽(もうきん)扱いされた。モズがどうして“ずるいけちん坊”に見たてられたのかはわからぬが、“百舌”の名のとおりいろいろな鳥のさえずりを上手にまねる習性から定着したそうだ。

モズからの連想で、“におい”という漢字の使い分けのややっこしさが浮かぶ。

サンマを焼いて漂うのは“匂い”で、鼻を突くのが“臭い”なのか。同じ鼻でもくすぐれば“匂い”ということらしい。そして、元から断ちたいのはやはり“臭い”なのであろう。

国を代表する方たちが、「モリカケ」と呼ばれる疑惑にて一生懸命で「臭いものにふた」をする動きは滑稽であったが。

 

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<この国には何でもある>と始まり、<だが、希望だけがない>と結ばれる。村上龍さんの小説『希望の国エクソダス』(2000年)の中にあるセリフだ。

大好きだった盲目の津軽三味線奏者・高橋竹山さんは若いころ、東北から北海道を門付けして歩いた。撥(ばち)の代わりにカミソリの刃で弾いたこともあるという。下手をすると糸が切れる。

「そこをどうやるかが芸で・・・」と、のちに語っている。行きずりの人に聴いてもらうには、そういう趣向も大事だったのだろう。

芸一筋だけでは食べていけない。しかし、“ないものだらけ”だからこそ崇高な芸は磨かれたのであろう。

百舌勘定が先行する政治家たちとは、(人としての)“味”と“におい”がまったく違う。

 

二足のわらじと二刀流の効能

 

<二足のわらじを履く>とは、ひとりで2つの職業を兼ねるという意味ではなく、2つの職業が両立しないことをいうらしい。たとえば、勤勉な警官の裏稼業が怪盗だったとか。

野球の大谷翔平選手は二刀流といわれている。しかし、打者を打ち取ることと、投手を打ち砕く仕事は“二足のわらじ”にも思える。

手術回避を模索しつつ、日本人ルーキー歴代最多本塁打を記録した成績は効果があったようだ。先日、トミー・ジョン手術(右肘靭帯の再建手術)を受けることを発表した。

来季のマウンド復帰は絶望的であるが、野手のリハビリ期間は投手より短く、指名打者で守備に就かない場合は、さらに早く復帰できる可能性もある。打者に専念する可能性が期待されている。

一般的に投手がトミー・ジョン手術を受けた場合、復帰のマウンドまでリハビリを含めて1年から1年半ほどかかる。その間、別の仕事をこなせるというのがすごいところだ。

 

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<免許を取らせない、買わせない、運転させない>。昭和の時代にあった“3ない運動”である。その対象は16歳で手軽に免許を取れる二輪車だ。とくに、排気量50cc以下の原付バイクがこの運動の目標とされた。

当時に比べ、国内の二輪車の販売は大きく落ち込み、各メーカーそれぞれに、看板モデルを含むバイクの生産を取りやめているという。50cc以下は日本独自の規格で、先の見通しは暗いともいわれる。

<排ガス出さない、危険が少ない、偏見を持たれない>。その矢先、「3ない」な乗り物の登場で、原付きバイクはまた窮地に立たされることになる。

電動アシスト自転車の走りっぷりは快調で、各社が魅力的な製品を相次いで投入している。かつて人気を呼んだ原付きバイクを大きく上回り、販売を伸ばしている。

 

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経済産業省の調べでは、電動アシスト自転車の今年上半期(1~6月)の販売台数は35万6642台で、前年同期比8.1%も伸びている。10年前に比べて約2.5倍の売れ行きだ。2009年に原付きバイクを抜き、17年には3倍以上もの差をつけている。

1993年、ヤマハ発動機電動アシスト自転車を売り出した。バッテリーとモーターを搭載し、人がペダルをこぐ力をモーターの力で補助(アシスト)する。まさに人力とモーターの二刀流なのである。

2008年の規制緩和で、軽い力でこげるようになったり、09年には幼児の2人乗せが認められるようになったことで、30~40歳代の子育て世代の購入者が増えたという。うちの近所の駅駐輪場を見ても、自転車の半数くらいが電動アシスト式である。

日常生活で使い回せる気軽さや、風を体に受けて走る爽快感はたまらない。そのうち、名物バイクたちもエンジンではなく電池を積み、自動ブレーキなどで容姿を整えて戻るのか。

思えば、電動アシスト自転車は(エンジンを使わない)“電気二輪車”の先駆けなのかもしれない。

 

ジャンルを越えた芸達者たち


<芸が身を助けるほどの不仕合(ふしあ)わせ>との古句がある。芸に身を助けてもらわねばならぬ境遇には、つらいものがある。しかし、芸があるのは(無芸の者からみれば)うらやましい。

敗戦となり、いつ自動車の生産が再開できるか。従業員をどうやって食べさせられるのか。製造装置を作り動かす芸は得意のこと。カマボコを作り売ろうか。

北海道稚内市に役に立つ者を送り、海辺の小屋で研究をさせた。“世界のトヨタ"の戦後はカマボコづくりから始まったそうだ。

昨年の昼ドラ『やすらぎの郷』では、他局が大慌てしたらしい。シニア世代に向けたそのドラマは、数々の名作脚本を手がけた倉本聰さんによるものであった。

放送開始直後、番組平均視聴率が同枠のトップになり、民放各局はその結果に度肝を抜かれた。

かつてテレビの黄金時代を支えた俳優、作家、ミュージシャンらの業界人のみ入居できる老人ホームが舞台の人間ドラマであった。

 

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出演者には石坂浩二さん、浅丘ルリ子さん、加賀まりこさん、野際陽子さん、藤竜也さん、風吹ジュンさん、八千草薫さんらの豪華キャストが名を連ねた。若手では、施設内のバーで働く可愛らしいバーテン役の松岡茉優さんもいた。

シニアを対象にした昼ドラマが、ここまで視聴者のハートをわしづかみした要因は、脚本と役者さんたちの“味と芸"だった。舞台の老人ホームは往年のテレビや映画の業界みたいで、元大スターたちの人間味で数々のエピソードが際立たされた。

歌舞伎ファンの中で、「後見」の芸を評価できる人は通だといわれる。役者の陰で衣装の早変わりを助けたり、小道具を受け渡したりする役目が後見で、黒衣(くろご)ともいわれる。

古今亭志ん朝さんは生前、口癖のように語った。<血は一代限りだよ>。父・志ん生さんの破天荒に対し、正統派の江戸前落語を磨き上げた人だ。その名人芸は、七光りを“恵み"ではなく“十字架"として背負った。

 

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犯罪・捜査のIT化が進む中、「見当たり捜査」という手法が警察にある。指名手配犯の写真を頼りに、刑事が駅前や繁華街を歩き逮捕を目指すものだ。

まずは、数多くの容疑者の目や鼻の特徴を覚えねばならない。“呼び込み"といわれる作業では、拡大鏡でターゲットの写真をなめるように見つめ話しかける。相手を心に刻みつけ、友のような存在にするために。

顔認証の力を極限まで磨く鍛錬で、300人超を取り押さえたという刑事もいる。

警察による身元不明者や犯罪被害者の情報提供を呼びかける場合、似顔絵が使われることもある。指名手配する際の写真が得られないときや、整形手術で顔形を変える可能性がある場合も似顔絵が効果的。

担当する捜査官は似顔絵捜査官と呼ばれる。似顔絵は顔の特徴を強調するため、写真やビデオ画像よりも犯人の記憶を思い起こしやすく、逮捕に繋がりやすい。

コンピュータやAI(人工知能)より、人の“芸"が勝るのはとても頼もしい。

 

淡々と過ごしたい市井の生活

 

ジャンルに関わらず、何気ない言葉が自分にとっての名言になる。

<大事なことはたいてい面倒くさい>。宮﨑駿さんの言葉が忘れられない。「創りながらテーマを見つける」、「台本がない」、「少しずつ創っていく」などと、宮崎監督独特の創作法と緻密な作業の積み重ね。

めんどくさがり屋の自分は“面倒くさい”とぼやくのを封印しようとしていたが、今は宮崎さんの真似をして“面倒くさい”をよく口にする。

沖縄の武術「手」を空手として本土で広め、近代空手道の父と呼ばれる船越義珍さん。那覇市の奥武山(おうのやま)公園には、船越さんを讃える碑があるという。

そこに刻まれた文字は<空手に先手なし>。昔から「手」に伝わる言葉らしいが、船越さんが「二十訓」の一つに掲げて有名になった。

“防御が即、攻めに転ずる”という空手の極意は、受けると同時に一撃必殺の攻撃で相手を倒す。スポーツ空手にはない、武術としてのすごみである。

 

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船越義珍さんは1868年、沖縄・那覇首里城近くに生まれ1957年に死去。伝説の達人、安里安恒(あさとあんこう)さんと糸洲安恒(いとすあんこう)さんに教えを受け、「手」(後に唐手“からて”)と呼ばれた沖縄発祥の秘術を習得。門弟たちに修行の心得を示した「空手道二十訓」は1930年ごろに完成した。

“先手なし”は居合道にも通ずるような気がする。

剣術は初めから敵との「立合」から始まるが、居合道は主に床の間での想定のような普段の生活の中など、“居”ながらにして敵に“合う(遭遇する)”として形が組まれる。

<俺はねえ、人を見下げることは嫌いなんだよ。俯瞰(ふかん)ていうと見下げるじゃないか>。ロー・ポジション映画の名手・小津安二郎さんの言葉だ。

カメラを大人の膝位置より低く固定し、50ミリの標準レンズで撮る。小津作品は、特別な事件が起きたりドラマがあるわけではなく、市井(しせい)の生活がいつも淡々と描かれるだけ。いつのまにかその雰囲気に酔わされる。

 

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市井の生活といえば、学校や仕事のある限り月曜は気分が重い。ブルーマンデーともわれる。

月曜の午前には心筋梗塞など心疾患事故も多いとか。愛知県にある病院の研究班は、
月曜と金曜、休日に心臓にかかる負担を調べたという。

対象は平日に勤めを持つ207人で、起床時、10時、16時、入眠前に血圧計で測定してもらった。その結果、血圧に心拍数をかけた数値が月曜の朝10時にきわだって高かったそうな。

土日にリラックスした心臓に、月曜の午前は一気にストレスがかかるとのこと。私も体験しているが、週の初めは仕事の段取りを決めたり、会議や上司への報告も多い。急に仕事モードに入るのは心臓に悪いのである。

本日は火曜であるが、昨日まで3連休だった方も多いはず。おたがいに、淡々とした気持ちで仕事に入れることを願っている。

 

頭でわかっても違和感がある

 

流行語や新語の意味をわからず困ると感じる人は、7年前の40%から55%に増えているらしい。その割合は加齢とともに高まり、60代では70%近いとのこと。

上の世代がスマホなどからネットで、若者の言葉を頻繁に目にするようになったからなのだろう。

加齢で増えるものに度忘れがある。顔まで浮かぶ有名人の名前が出ないのは日常茶飯事。無理して調べず、思い出すまでの時間をゲーム感覚で楽しんでいる。AIスピーカーに教えを請うこともある。聞き方が上手くいくときは、見事に答えてもらえる。

なんでもネットで調べるクセがつくと、“自分の悩みは自分で引き受ける”という自律心を、育てたりすることができなくなってしまう。

その理屈なのか、難しい「数独」で時間をかけながら解くのが好きである。コンピュータにお願いすれば一瞬で答えを出してくれるが、まずは自分の頭で考える訓練である。

 

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丸紅情報システムズという会社が、「胎児3Dモデル 造形サービス」を行っているという。いったいなんのことかと思えば、妊婦のおなかの中の赤ちゃんを、3Dプリンターで再現するサービスなのだという。

写真撮影だけでもすごいと思っていたが、今ではおなかの中の赤ちゃんを3Dプリンターで再現して、お手元に・・・とのことらしい。

産婦人科医と連携し、出産の記念や、家族へのプレゼントにすることもできる。

再現では、おなかの中の赤ちゃんを超音波で検査する“4Dエコー”の立体的な画像を使う。指をくわえたり、笑ったりする愛らしいしぐさを医師が撮影し、提供同社の最新の3Dプリンターを使い2~3週間でアクリル系樹脂製の置物が完成する。

少子化のこの時代なればこそ、産まれる前からの新たなる商戦が始まるのか。

 

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作家・司馬遼太郎さんは土地を公有にすべしと、1970年代半ばの対談で訴えていたようだ。

不動産に熱を上げる風潮は投機の対象となり、小刻みにした土地をたがいにつかみ合っては投げ合うような時代であった。司馬さんは、後の不動産バブル危機も察知されていたかもしれない。

持ち主が誰か分からない。分かっても連絡が取れない。そんな状態の土地は、九州の面積を超えているとのこと。農地や山林などの値段が下がり、相続しても仕方ないと思われた土地が、登記されず宙に浮いてしまう。

今では、(司馬さんのおっしゃるように)所有者不明の土地を、“公共の目的で使いやすくしたらどうか”との議論も始まったらしいが。

 

和ませることに長けた立役者

 

急速な戦後復興を続ける日本を、アメリカは“驚き"の目でみたという。やがてそれは“警戒"、“脅威"へと変わっていった。

日本製品流入は目を見張るものがあった。ナショナル(現パナソニック)、ソニー、東芝などの電化製品。トヨタ、日産、ホンダなどの自動車もどんどん目にするようになる。

1950年代後半から日本は高度成長を続け、「いざなぎ景気」の中で60年代後半には西ドイツ(当時)を抜き、アメリカに次ぐ世界第2の経済大国となった。

当時、日本は外貨不足のため、好景気が続くと輸入が増え外貨が尽きてしまう。それを避けるため、高度成長下でも金融を引き締めて、作為的に景気減速局面を作り出す必要があった。反面、ほどよいところで金融を緩めると、労働力や貯蓄、技術力がある日本経済は敏感に反応し、すぐ好況に反転した。なんという余裕であろうか。

 

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<日本に 長寿はあるが 老後なし>(猫 猫 山さん)。よみうり川柳の投稿作品にあった。今の日本の“余裕の無さ"を言い当てている。

スポーツの世界にピーキングという言葉がある。本番で調子がピークに達するように調整することである。若々しい体質の日本経済は、マクロ経済政策がうまく効いていた。日本はあらゆるところで元気があった。

幇間は「たいこもち」とも称される。踊りや客との軽妙なおしゃべりで宴席を和ませる男性の芸者である。滑稽でしゃれた座敷芸を披露して、女性の芸者とともに出向き、芸や会話で客との“間"を“幇助"するのが役目なのだ。今やその数は少なくなっている。

<我々は出過ぎてもいけないし、くどすぎてもいけない。お客さまが心地よいと感じる加減が大切。芸は、洒脱でないといけません>とのこと。

良き時代には、日本の財政会にも“和ませることに長けた立役者"が多くいたはず。

 

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1年前の今頃、北朝鮮のミサイル問題があらゆるメディアで報道されていた。今はほとんど聞かれない。韓国の文在寅大統領は“和ませることに長けた立役者"なのだろう。

ミサイル騒ぎと同時期に、また「年金の支給漏れ」が明らかになった。その規模は過去最大の10万人分で、支給漏れの総額は598億円にものぼる。

ピークの日本では“今の多くの高齢者たち"が若者だった。給料から天引きの年金も今と比べ物にならない金額が集まったはず。莫大な“それ"の使われ方は不透明で、当時もまともな計算ができていたのかどうか疑問である。

日本年金機構(東京)の対応も、過去からつながる怠惰な体質を思わせる。設けた相談受け付けの専用ダイヤルに、初日から4万9790件の着信があったが、対応の電話器はたったの10台だった。実際に電話がつながったのは591件だけ。

4日間で9万件を超える電話が殺到したが、できた対応は5千件。危機意識も甘く、電話料金さえも国民払いだ。

この国をきちんと仕切れる、(まともな)政治家の登場を、切に願うばかりである。

 

枷という名のおいしい隠し味

 

ロケット博士・糸川英夫さんはシステムを称して、米国の人気テレビドラマ『スパイ大作戦』のようなものと著書に書いた。スペシャリストチームが、数々の難関をクリアする物語だ。

昔から、少年たちのヒーローは完全無欠ではない。<いかなる困難、危険も越えて少年ジェットは今日も行く>。月光仮面の少しあと、テレビドラマにあったナレーションである。

ウルトラマンが戦える制限時間は3分。スーパーマンは苦手な鉛(なまり)を利用され、悪者たちに苦しめられる。多くの枷の中でもがいて勝ち取るから、視聴者たちは手に汗を握る。

フジテレビの“月9ドラマ" の代表格といえる『東京ラブストーリー』が再放送をされ、録画して観ている。1991年に放送。平均視聴率は22.9%。最終回には32.9%の視聴率を稼いだ。

今となにかがちがう。まず感じたのは、若者たちがスマホを持っていないこと。“携帯電話が存在しない時代”なればこその枷(かせ)がとてもおもしろい。

 

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デートの待ち合わせ場所へ向かうカップル。間に合わない事情が生じる。しかし、そのことを連絡できない。なぜならば、携帯もLINEもメールもない時代だから。今ならお互いの外出先からかんたんに連絡がとれる。携帯電話がないからこその重要な枷も、今はまったく役に立たない。

<惚れ合った男女がかんたんに結びつかず、いくつもの困難や枷を乗り越えていく。観客だけがおたがいの気持ちをわかっているが、当のカップルは鈍感すぎて(観客は)嘆く。「さっさとなんとかしろ」と躍起になるが、カップルの誤解、ケンカ、恋敵の出現などで思うように物語が進まない>。

恋愛ものはとくに“すれ違い”のハラハラドキドキが視聴者を釘付けにする。元々、メロドラマは、音楽の伴奏が入る娯楽的な大衆演劇であったが、感傷的な内容や衝撃的な内容のドラマがそう呼ばれるようになってきた。

 

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有名な『冬のソナタ』では携帯電話が存在していた。それでも“すれ違い”の場面はものすごく多かった。交通事故、記憶喪失、意図的な精神科治療、記憶の植え替えなどと、作品作りでタブーとされる偶然の連続もあるのだが、枷の使い方がとてもおもしろかった。

隠された過去として、出生の秘密や“親の代”の人間関係、そして家柄など。限りなくヒロインを愛する恋敵(こいがたき)の使い方もうまく、枷のオンパレードであった。

半沢直樹水戸黄門などの“勧善懲悪モノ”では、はらわたが煮えくり返るような悪党が必要不可欠である。その中でも、時間的な枷、状況的な枷、精神的な枷などの使い方がドラマの味を生かしている。

ドラマだけではなく、どんなジャンルにも枷が必要だと感じる。現実の社会も、枷があるから自分を奮い立たせ、伸ばせるることができているのではないだろうか。それは自分の体験でもあるのだが・・・。

 

気になる話を集めてつなげば

 

<気に食わぬ奴を寄せつけないでおく便宜の一部を放棄せざるを得ぬ悪魔の発明品>。なんだか小難しいが、“電話”の説明らしい。ブラックユーモア溢れる解釈で、様々な言葉を定義したA・ビアスの『悪魔の辞典』にある。

もし、LINEの既読スルーで右往左往する現代人を見たら、ビアスさんはなんと表するだろう。

使用頻度が激減している国語辞典も見ようによっては楽しめる。“役人”と“厄難”。二つの言葉が並んでいると、またなにか発覚したか? と気を回し、“識見”の隣に“失言”を見れば、総理&副総理の“ダブルAコンビ”の顔が浮かぶ。

<今日が人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私はしたいだろうか?>。私がとても気になる言葉だ。

米アップル創業者・スティーブ・ジョブズさんが、2005年にスタンフォード大の卒業式で行ったスピーチだという。ジョブズさんは33年間、毎朝、鏡に映る自分にそう問いかけていた。『違う』という答えが何日も続くと、何かを変えなければならないと気付く。

 

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<人生の時間は限られています。他人の意見に惑わされず、自分の心と直感に従う勇気を持ってください>。スピーチの当時、ジョブズさんはがんで闘病中であり、その6年後に56歳で亡くなった。

とぼけた人の話も好きである。今は亡きマンボウ博士・北杜夫さんと狐狸庵先生こと遠藤周作さん。お二人は、たいへん仲が良かった。

ある日、マンボウさんが狐狸庵さんへの不平をつぶやく随筆を、雑誌に載せた。マンボウさんの入院中に狐狸庵さんからもらった見舞品は、マロン(栗)10個だった。それなのに、孤狸庵さんは友人らにメロン10個を持参したと触れ回っている、のだと。

随筆には随筆で対抗するのが狐狸庵先生。<私は多少、発音を正確にする男である。かつて英語を習ったとき、トマトのマは「ムエ」と発音すべしと教えられたのを実践したまでである>。マロンなら「ムエ(メ)ロン」と発声することになる・・・という理屈だ。

 

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1年前、<ハチの一刺し、電車ストップ…車掌が被害>という記事の見出しに思わず反応した。

「ハチのひと刺し」といえば、1981年の流行語であり、国中を大騒ぎさせた事件関連である。ロッキード裁判で元首相秘書、榎本敏夫被告の夫人だった榎本三恵子さんが、田中元首相の5億円受領を裏附ける証言を、“丸紅からの5億円受領を榎本被告は認めていた”と発言。この証言で田中被告は決定的に不利になったのである。

昨年の“ハチのひと刺し”は、愛知県のJR飯田線新城駅で、新城発豊橋行き普通電車の男性車掌(当時23歳)が、発車前の車内点検中にスズメバチに左手親指刺され、手がしびれる症状が出たという。

この電車の運転は取りやめ、乗客約50人には約30分後の後続電車を利用するよう案内した。こちらの“ひと刺し”は大事にいたらなかったが、見出しには恐れ入った。