日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

忘れられない等身大の作詞家

 

袋に福と書かれていても、中身はわからない。
「だれも、福袋を持たされてこの世に出てくるのでは・・・」。
短編小説『福袋』(角田光代さん)にて、主人公の独白である。

あのときの音楽アルバムも福袋に似ていた。題名を見て選んだとしても、聴いてみなければ中身まではわからない。曲によって人間の弱さや醜さも詰まっていて、人の世の深いふちをのぞかせてくれる。

フォーク黎明期に活躍したアーティストのほとんどが、まだ20歳代の若者たちだった。
全共闘の時代が去り平穏が訪れたとき、若者の心をつかんだのが吉田拓郎さんである。

 

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1972年7月にリリースしたオリジナル・アルバム『元気です。』で、吉田拓郎さんは時代の寵児になった。アルバムが売れない時代、1ヶ月間で40万枚を売り上げるというシングル並みのセールスを記録した。

『元気です。』の参加アーティストとして、石川鷹彦さん、松任谷正隆さん、後藤次利さんたちが名を連ねた。

オリコンアルバムチャートでは14週連続(通算15週)1位を独走。アルバム・セールス時代の先鞭をつけた。そして、その流れに乗った井上陽水さんが、1973年12月にリリースしたアルバム『氷の世界』で日本の音楽史上初の100万枚を売り上げた。

 

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『元気です。』の新鮮さは軽妙なアレンジと、強く印象に残る言葉であった。
このアルバムで初めて、岡本おさみさんを知ることになった。岡本さんの書かれた詞は6曲であった。

フォークを変えたのは拓郎さんといわれるが、岡本さんの詞の貢献も大きい。
作曲者としての吉田拓郎さんとのコンビで知られ、数々の名曲が生まれた。
森進一さん歌唱で、日本レコード大賞を受賞した『襟裳岬』もこのコンビの作品だ。

『落陽』、『旅の宿』、『祭りのあと』、『野の仏』、『ビートルズが教えてくれた』、『ひらひら』など、今も歌い継がれている曲ばかりだ。この秋の拓郎さんのコンサートでも、岡本さんの言葉を堪能させていただいたばかりである。

“浴衣のきみ”は、岡本おさみ夫妻が青森の温泉に新婚旅行で出向いた折の「色っぽいね」らしい。吉田拓郎さんは『旅の宿』の歌詞のネタ元を長年知らずに歌い続けていた、という。

生真面目な雰囲気の岡本さんと「色っぽいね」がどうしても結びつかなかったそうだ。それを知って以来、『旅の宿』を歌うたびに新婚旅行中の岡本さんの顔が浮かんできて、複雑な胸中に陥るらしい。数年前、ラジオで拓郎さんが語っていた。

旅好きな岡本おさみさんは、岬近くの民家で老夫婦から「何もないけれど」とお茶を出してもらった。その体験が「♪何もない春です」の『襟裳岬』になったという。
前から、温かみのある雰囲気を思い浮かべるサビだと思っていたが、こういう逸話があったのだ。

素敵な言葉をたくさん残してくれた岡本おさみさん。
2015年11月30日、73歳で惜しくも死去された。