「縁の下の力持ち」は好奇心
舞台の裏手で、楽屋のある場所や大道具置き場を「舞台裏」という。一般人にはわからない裏事情との意味にもこの言葉は使われる。
舞台裏でがんばる「縁の下の力持ち」は、元々「縁の下の舞」といわれ、甲斐のない“無駄な努力”の喩えだった、という説もある。
哲学者・鶴見俊輔さんは、東大が嫌いで、成績一番のやつが徹底的に嫌い。父親は東大出の政治家で、一番に執着したという。
鶴見さんの見た目で、一番の人間は状況次第で考えをころころ変えて恥とも思わない。
二番になった人間は努力すれば一番になれるのに、<そこの追い込みをしないところに器量があり、遊びがある>とのこと。
鶴見さんを語るには、「器量」と「遊び」という二つの言葉は欠かせない。
<失敗したと思う時にあともどりをする>。その大切さを説いた。
大型のスーパーや百貨店が全盛の頃、コンビニが誕生した。当初は売上の占める割合はわずかで、“無駄”扱いにされることもあった。
「街の個性を奪う」、「食文化を乱す」などと、コンビニの副作用にばかり目がいった。今は、コンビニなしの日本は想像できないし、コンビニに足を運ばない日はない。無数の“コンビニ人間”に支えられて日本社会がまわっているのだ。
全国に5万数千店、毎月延べ14億人が訪れる。
<同じ言葉、同じ態度で接客し、暑さ寒さにあった商品を手際よく販売できれば認めてくれる。自分らしく生きられる・・・>。芥川賞小説『コンビニ人間』の一節だ。
2016年の主要コンビニエンスストア売上高(既存店ベース)は、前年比0.5%増の9兆6328億円と2年連続で拡大。
セブン―イレブンは、セブン&アイ・ホールディングス(HD)の営業利益の約9割を稼ぎ出し、「一本足打法」と言われるほど貢献度が高い。
「僕ハモーダメニナッテシマッタ」。亡くなる前年の正岡子規さんは、ロンドンに留学中の夏目漱石さんに手紙で、闘病の苦しみを訴えた。
その手紙には、「倫敦(ロンドン)ノ焼芋ノ味ハドンナカ聞キタイ」ともある。
苦しみながらも好奇心は衰えていない。その明るさが人々を引き入れ、子規さんのそばに添わせてしまう。
<枝豆や三寸飛んで口に入る>。死の迫る病床で屈託を感じさせない句を詠んだ人だ。
2016年5月にセブン&アイHD社長に昇格した井阪隆一氏は、1980年にセブン―イレブン・ジャパンに入社した“コンビニ生え抜き”の人である。
傘下に総合スーパーのイトーヨーカ堂や百貨店のそごうなどを抱える総合流通グループの難しいかじ取りを迫られることになる。
昨年2月期決算で営業利益が初の赤字に転落したイトーヨーカ堂が特に厳しい。20年までに全体の約2割にあたる40店を閉店する方針だ。
<一店舗一店舗見ていかないといけない。『採算が合わないから閉める』では、そこで暮らす方の生活を見切ってしまうことになる。計画が間違っているなら修正してやり直す>。井阪氏には、鶴見さんや子規さんと共通するなにかがあるような気がする。