日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

ものは考えようという思考法

 

職場の建物にある巣にツバメの姿を発見。寒い時期は空き家だったが、はるか彼方から自力でピタリとその場にたどり着く。あの正確さは人工衛星を利用するナビを上回るかもしれない。

愛鳥週間は5月10日から16日まで。野生鳥類の保護を国民に訴えるために設けられた運動期間だという。

昨年の今頃、新潟県佐渡市にて野生のもとで生まれた雄と、飼育施設で生まれ放鳥された雌のペアから、ひな1羽が誕生したという。野生のトキを親にもつひなの孵化は初めてであった。

ひなを思う親心で、そのトキのペアも子育てに奮戦して、ドジョウやミミズのいる餌場を確保したり、カラスやテンなどの外敵からは身を守ったことであろう。
ひなも過酷な環境を生きていく。生まれながらに自然界を知る父親トキに教わることは多いはずである。飼育施設生まれ&野生ペアとひなの、その後はわからぬが興味深い。

 

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最近、<他人の握ったおにぎり食べられない人が増加>という記事を見つけた。
「社会の変化影響」の副見出しもあり、“野性の喪失”みたいなイメージを受けた。

<少年野球時代は、友達の母ちゃんの握ったおにぎりを勧められても食べられなかった。今は番組のロケで“お世話になった家で手料理を味わう"なんてことになると、もう地獄!>などと、人気タレントたちが公言したことで、女性週刊誌がアンケート調査を行ったそうだ。

30~50代の既婚男女各150人のネットアンケートでは、<コンビニと他人の握ったおにぎり、どちらが抵抗なく食べられますか?>の問いに、「コンビニ」と答えた人は90.6%だったという。
<他人の握ったおにぎりを食べることに抵抗があるか>には、「ややある」「非常にある」が25%。女性だけは30.6%が抵抗を感じているという。

 

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自分でおにぎらずを作りながら、これなら他人が作っても食べられるか? と考えることがある。やはり、子どもの頃から今も、母親や女房以外の方の手料理が苦手であるからだ。

<なぜ他人の握ったおにぎりは食べたくないのか>では、「指のあとがついている感じが生理的にNG」や「人の手で握られていることそのものに抵抗を感じる」という人がいる。

<コンビニの機械が握ったおにぎりは平気でも、人が握ったものには抵抗を感じてしまう>ということに対して、日本食文化に詳しい大学専任講師が分析をしていた。

<そうした傾向は最近増えてきたもので、1980年代後半から日本人の衛生観念が大きく変わってきたことが影響している>という。

ボールペンなど抗菌をうたうものが登場したり、電車の吊り革に触れない人が出てきたのもその頃からなのだそうだ。そして、<体に悪影響をもたらす菌だけでなく、すべての菌というものに対し無条件に恐れを抱くようになった>らしい。

私はそこまで潔癖症ではないので、そのこととおにぎりの件はまったく結びつかないのである。

 

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ある社会心理学者いわく<以前は、生身の手で握ったおにぎりに“人間のあたたかさやぬくもり”を感じたものです。人の手で握ったおにぎりを食べられず、機械で作られたコンビニのおにぎりだけ食べられるというのは、世の中が機械的、無機質的なものしか受け入れられなくなってきているのだ>とのこと。

<その背景にあるのは、親戚づきあいや地域のコミュニティーの希薄化>だと指摘する。近所の人や親戚と一緒に食事する機会が減り、他人の手作りのおにぎりを食べる経験が減った。人は慣れていないことに抵抗を感じるもので、そうした社会状況から他人との距離感がより遠くなったため、だと言うのである。

たしかに私たちの子どもの頃は、今よりも近所づきあいは多かった。でも、そのときから他人の手料理は苦手であったのだ。

 

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<母親のおにぎりだけ抵抗なく食べられる人がいますが、誰が握っても雑菌の数はほぼ変わらない。それでも母親のおにぎりなら平気なのは、そこに親への信頼感があるからです。他人のおにぎりを食べられなくなってきている社会というのは、他人を信頼できない社会とも言えるかも>と。

どうしてこういう飛躍になってしまうのだろうか。
話を悪い方、悪い方へと持っていくのは、かんたんである。
心の持ち方次第で窮地も好転するはずである。何事もポジティブシンキングで切り抜けた方が気分スッキリで楽しめるだろう。

スマホや携帯電話のない時代、人との待ち合わせで、時間や場所の勘違いのためすれ違いもあった。急用で行けなくてもおたがいが出先のため、まったく連絡がとれない。
待ちぼうけをくらえば、気を揉んだり腹を立てたりもする。

そういうとき愛読書でも持ち歩いていれば、読書時間が得られて儲かった気がする。
相手が来ないようなら、予定していた飲食代も浮いて、自分の欲しいモノも買える。

マイナス面のこじつけや連鎖はだれでもできるが、プラス面に目を向けることの収穫はことのほか大きいのではないだろうか。