身近に革命を引起すインフラ
ゴールドラッシュの発端は1848年、カリフォルニアの大農園主の元に川底で拾った金の粒が持ち込まれたことだった。アメリカ史研究者・猿谷要さんの著書『アメリカ500年の物語』にある。
大農園主は100人以上の使用人にそのことを伝え、新しい製粉所が完成する6週間後まで秘密を守るよう命じた。ところが、使用人たちはすべて川をめざして走り出し、農園は崩壊して農園主の運命は悲惨なことになる。
われ先にと人を駆り立てる“金”の魔力のようだ。川底の“金”を拾うことには雇い主と使用人は関係なく平等である。大量の金採掘で世界の通貨事情を一変させた。
その川の話でインターネットを連想してしまう。インターネットには、“金”ならずあらゆる“(清濁併せ呑む)情報”が眠っている。
1956年、パナソニック創業者・松下幸之助さんは年初の経営方針発表で、この先5年で売り上げを4倍にしようという計画を表明した。具体的な数字やキーワードを使うことで社員を引き込む。
“無理難題”と社員は半信半疑であるが、「この計画は大衆の要望を数字に表したにすぎない。必ず実現できる」と松下さんは鼓舞する。そして4年で目標を達成した。
1960年には仕事の能率アップのため、完全週休2日制をめざすと宣言。集団を引っ張る力の源泉は、明確な旗印を掲げることなのだろう。
インターネットが一般化されたとき、写真や動画などでネットカタログみたいに感じた。それ以前のパソコン通信では、テキストが主だったからだ。
この新しいネット利用で大儲けする人は必ず出てくるだろうと確信した。とはいえ、儲かるチャンスなのに自分ではなにをしたらいいのかわからなかった。
もし、その時代に松下さんが生きていて、インターネットでなにかを発信しようとしたら、なにをやっていたのだろうか。アマゾン、グーグル、フェイスブック等とは一線を画した、奇抜なビジネスが展開していたかもしれない。
インターネットは、社会に革命をもたらすインフラだと思う。ただ、革命の恩恵を受けることは利用者の発想力や創造力にかかっている。
インターネットの「サイト」という言葉も、場所や位置を意味する英語であるが、語源となるラテン語の「situs」には別の意味もあるらしい。それは、“汚れ・放任・腐敗”などだ。
ネットには、大きな闇サイトの世界が広がっていることもある。目に見えない場所で、悪事が進行していても、避けて通ることや察知することも容易ではない。
インターネットは、苦しいときの“神頼み”であり、LINEの機能も便利である。私はパソコンとインターネットが大好きである。ネットを悪用した犯罪が起きても、ネットがダメという判断はおかしいはず。
「これは怪しいぞ」という直感が薄れている(人間の)アナログ感覚の退化にも、問題があるだろう。デジタルの中にいると、逆にアナログ感覚の必要性を強く感じてくる。