可愛げと強運、そして後姿。
「世の中の電話機は皆、母親の膝の上にあるのかな」と、主人公の男子高校生がぼやいて始まる小説『赤頭巾ちゃん気をつけて』は、(半世紀前に書かれた)庄司薫さんの芥川賞受賞作である。
ガールフレンドに電話すると、「どういうわけか、必ず“ママ"が出てくる」のだ。今なら決して書かれることのないフレーズで、手強い関門を通る必要のない時代だ。
“呼び出し電話"もあった。電話のない家は、近隣の家などの電話番号を知人や親類に教えておき、かかってくるたびに取り次いでもらった。今では考えられないくらい、のんびりした“電話の取り持つ人づき合い"があった。
昔、友人と遠方の地へ鈍行列車の長旅を楽しんだ。数年前にその場所をジェット機で直行したパックツアーでは、短時間すぎて距離感がまったく感じられなかった。用のない駅に途中下車して、予期せぬ景色を眺め、儲けた気分になれたあのときを、ふと懐かしむこともある。
米国の資本家たちは1980年代から90年代にかけて、(巨費を投じて)コンピューター中心の情報技術(IT)産業を育て上げた。近年は新技術の開発や育成よりも、短期に最大限の利益を上げる投資に熱心のようだ。
未来を開く一つのカギは、マネーゲームではなく、技術開発であることは間違いないはずだと思うのだが。
経営の神様である故・松下幸之助さんが創業した松下電器産業は、今年で100年を迎えるという。10年前には、それまで製品のブランド名として用いてきた「パナソニック」に社名を改めた。
創業当時の1918年(大正7年)は、1914年に始まった第一次世界大戦が終わった年であり、電気が家庭に普及し始めた頃であった。家庭での電球の取り外しは困難な作業であったが、簡単に電球の取り外しができる電球ソケットを松下さんが考案した。
借家の土間でソケットづくりから始まったその会社は、連結売上高が7兆円を超す企業へと成長した。
「可愛げ」と「運が強そうなこと」、そして「後ろ姿」であると。松下幸之助さんは、この三つを“成功する人が身につけていなければならないもの"として挙げた。
「後ろ姿」の意味はそれぞれの解釈になりそうであるが、名前にも去り際があるということなのかもしれない。時世時節の移ろいとともに成功者もまた去っていくものであることを暗に教えているようでもある。
「松下」、「ナショナル」も、成功への長い道のりでは、苦楽を共にした功労者であったはず。しかし、社名や人の名前にも去り際が、そして後ろ姿があります・・・と、松下さんの声が聴こえてきそうな気がする。
今、私が一番気になる後姿といえば...イチロー選手であろうか。今年も現役続行を望むのはもちろんのこと、それでもあの後姿への愛着がどんどん深くなる。