日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

昭和よりピントの甘き平成か

 

<教え授けることはできません。君らとともに学んでいきましょう>。吉田松陰はこう返したという。幕末の松下村塾に2人の若者が入門し、「謹んでご教授をお願いいたします」と言われたときのこと。

人はみな対等。塾生たちを観察して、その資質を見極め、長所をほめて伸ばすことに松陰は努めた。“教え授ける”という態度はない。

元号の一週間前に亡くなったマラソンの指導者・小出義雄さんもそうだ。叱る、アドバイス、注意をすることの組み合わせのはずだが、相手の個性に合わせた指導と、小出さんの人柄で“ほめて育てる”選手育成方法になった。

将棋界の羽生善治さんは、AI(人工知能)による将棋を分析。<その場面その場面で、一番いい手を指していく。そこには対局の流れがない>と。蓄積データで最善の選択をする一方、継続性や一貫性はない。そのAIの思考法は強みにも弱みにもなる・・・と。

 

 

アナログからデジタルでこの商品も影響を受け、世界の音楽シーンを彩ってきたギターメーカーの米ギブソン・ブランズが経営破綻。

高級エレキギターで知られる同社は100年以上の歴史を持ち、エリック・クラプトンデビッド・ボウイなど世界のギタリストに愛された。2000ドル以上のエレキギターの40%以上を販売していたが、パソコンなどで作る音楽が主流になり、ギター離れを食い止められなかった。

パソコンのキーボード仕様の我が指も、ギターの弦を押さえられなくなって久しい。ギブソンには手が出なかったが5本以上のギターは購入している。

朝ドラ再放送で『おしん』を初めて観ているが、そこに気になる楽器が登場する。

<落第や吹かせておけよハーモニカ>。「変哲」という号をもつ俳人でもある小沢昭一さんの句である。憂いを含む清らかなその音色も、最近はほとんど耳にしない。

 

 

ハーモニカを吹き、『あの子はたあれ』や『丘を越えて』など戦前戦後の流行歌や童謡を歌い、一人語りで世を偲ぶ。味のある芸で昭和から活躍された小沢昭一さんも、平成24年に亡くなられた。

子供のころ小沢さんは、近所の仲間にハーモニカの手ほどきを受けた。「おれと同じように首を動かせ」。歳上の友は『日の丸の旗』を吹いて教えた。顔を寄せ合い対面する形では首の動く向きが逆だ。小沢さんはハーモニカを左右逆に持ち替えて吹いた。“逆吹き”奏法は生涯続いた。

近所の兄貴や姉貴に手まねならぬ首まねで教えてもらえる子は、今どれくらいいるのか。ハーモニカで奏でる曲は昭和の香りに包まれていた。「平成」の象徴を思うと自然災害、ネット社会、デフレなど様々あろうが、「政と官」のきしみなど霞が関の劣化は著しい。

昭和を生きたのは平成より数年多いだけなのに、平成へピントが合いにくい。原因はこのせいなのか。平成13年、21世紀における最初の年である2001年を迎えた。世紀をまたぐ経験は私にとって、かなり強烈な体験であったようだ。