システムはアナログにかぎる
URLのwwwは「ワールド・ワイド・ウェブ」であり、ネットのウェブサイトの「ウェブ」とはクモの巣。つまり地球を覆う情報ネットワークは、世界的なクモの巣の如しである。
“ナッジ(Nudge)”とは、(人々に強制することなく)賢い選択へと、ちょっとした工夫で導くことをいう。本来は「ヒジで軽くつつく」という意味らしいが。
オランダ・アムステルダムの空港では、約40年前に始まった試みがある。男子トイレの小便器の排水口近くに小さなハエの絵が描かれ、利用者はそれを目標にすると注意力が高まり、粗相も少なくなるそうな。飛沫の汚れが80%も減ったという。
目的は行動に変化をもたらすことであり、システム的な思考により問題解決に当たる複雑な問題の解決を探る方法論がシステムズ・アプローチなのだ。
ロケット博士・糸川英夫さんの著書『逆転の発想』にあった。玄関に靴を脱ぎ散らかす子どもと、その習慣を何とかしようという母親の話である。母親が、ちゃんと靴をそろえて家に上がるように、と何度言ってもまったく効果なし。
「今度から家に上がる時は、この靴跡の上に靴をのせてごらん」。ある日母親は玄関に、チョークで子どもの靴と同じ靴跡を書いた。子どもはおもしろがって、靴の跡の上に脱ぐようになり、チョークの跡が消えた後も、靴をキチンと脱ぐ習慣は残った。
世の中における問題や課題というのは、言葉や理屈だけでは通じない。システムとしてわかりやすく解決することが大切らしい。。
今から百年以上前の話である。米国の大富豪であるジョン・P・モルガンさんに古い友人が金を借りに来た。モルガンさんは断った。そして、「かわりに、君と一緒に道を渡ってやろう」。二人でウォール街の道路を横切った。
たちまち、モルガンさんの友人のもとには、金の貸し手が殺到したという。力のある者と親しい。そう思われただけで、世間は友人の側にもなにかの力が備わると感じる。権力とはそういうもので、モルガンさんのあり余る金を貸すことより、友人へ与えるインパクトは大きかったはずだ。
権力ならぬ威厳にしても、テクノロジーによる変化で滑稽にみえることがある。
大正の初め夏目漱石さんは、同僚だった杉村楚人冠(そじんかん)さんに、電話のかけ方を書簡で尋ねた。自宅にひいた電話から勤め先の東京朝日新聞へかけようとして失敗したからである。
今の高齢者が子どもの頃、公衆電話をかけられずに四苦八苦している祖父母もいた。簡単な道具なのになぜ? と、そのときは思っても、もうダイヤル式の電話や公衆電話をすんなりかけられる自信もない。かといって若者が自由に扱うマホに対しても、悪戦苦闘する側に回っている年輩の人は多いはず。
いつの世も最新の利器は人々をとまどわせる。だれしも15歳の時までに接したテクノロジーにしか適応できないという説もあるくらいだ。