日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

スマホに頼るモチベーション

 

孤独こそは、考えを整理したり煮詰めたり、反省したり想像したりする“よすが”になるのかもしれぬ。社会学者のジグムント・バウマンさんは、人というもの携帯電子機器を持つことで“孤独という機会”を捨てると説いた。

スマホそばにあるだけで注意が散漫になるらしい。北海道大学河原純一郎特任准教授らがある実験結果を発表している。大学生40人を2組に分けてパソコンで作業をさせた際、片方は電源を切ったスマホを目の前に置き、片方は代わりにメモ帳を置いた。

スマホ組のほうが1.2倍、作業に時間がかかったという。画面に触れなくても、視界に入るだけで意識がスマホに向かってしまうとのことだ。見えるところになくとも、スマホはポケットにあるだけで気になる存在にもなるそうな。

小機器に頼る日々であり、スマホの引き込む力は侮れない。昨日、久々に電車を使ったが、スマホを食い入るように見つめている方たちは相変わらず多い。

 

2013

 

<絵に描いたモチベーション>とは、(三日坊主を嘆く方に向けた)童話作家・山口タオさんおすすめの“ことわざ”だという。語り継がれたことわざは、人の世の実相を言い当てている。

<渡る世間に鬼はなし>と言い、<人を見たら泥棒と思え>と言う。矛盾することわざふたつのいずれが実で、いずれが虚かを論じても意味はないようだ。どちらも一面で正しい。

どれもが絶対普遍の真理というわけでもないが、“泥棒”派より“鬼なし”派の方が心にあれば幸福であるような気もする。老いも若きもスマホを見つめる現代は、スマホによる悪しき点よりも、その利便性に目を向けた方がよいだろうが・・・。

 

2014

 

“込み”は、いろいろなものを一緒にして、含むといった意味である。そして、「込みにする」は、種類や良しあしなどを区別しないことを言い、まさにスマホに当てはまるような言葉でもある。

“思い込み”、“使い込み”、“刷り込み”などと、動詞の連用形に付いて、「~込み」の形で使われることも多い。旅館や料理屋に予約も紹介もなしにやってくるお客を“ふりの客”と言い、いわゆる“一見(いちげん)さん”であるが、スマホを介すとそのハードルがどんどん下がることもある。

“ふり”は“振り”と書かれ、古くから使われている言葉であるが、フリー(自由に訪れる)といった連想から「フリーの客」と間違える例も多々ある。年末年始の事件でも、スマホでかんたんに知り合い 命を失ったり、スマホから一生に一度の式典のための準備確認をして裏切られた方もいらっしゃるかもしれない。

車の自動運転のAI設定操作にも、おそらくスマホが重要な役割を担うことになると思われる。あまりにも身近にあるために、危機感を感じにくいというのもスマホではあるのだが。