日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

『会いたい』の意識こじれ物別れ

 

昔の話で恐縮だが、行きつけの居酒屋で大酒飲みの相棒とさしで飲んでいたとき、有線から流れる音楽を聴き、彼が急に言い出した。
「この曲泣ける。サビのところの詞がたまらない」
がっちりした体躯の彼のことを、みんなで"軍曹"と呼んでいた。鶴瓶さんに似た目を細めながら、その曲のサビを(有線に合わせて)彼は小さく口ずさんでいた。

<今年も海へ行くって いっぱい映画も観るって 約束したじゃない・・♪>
『会いたい』という曲である。沢田知可子さんが歌っていた。

この歌のヒットを機に、テレビで歌う沢田さんをみることが増えた。
沢田さんは「初めてこの歌詞をみたとき、運命的なものを感じた」とコメントをしていた。
<学生の頃、"歌手になる決意"をバスケット部の先輩に告白した。「俺が最初のファンになってやる」と言った彼は、数日後に交通事故で亡くなってしまう>。
沢田さんの体験談である。

 

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かつて『喝采』というヒット曲があり、“劇場型歌謡”といわれた。
そして、その曲をヒントに伊勢正三さんは『あの唄はもう唄わないのですか』を書き下ろした。この曲は私にとって名曲のひとつである。
『会いたい』はその流れの曲との認識で、やはり名曲だと感じている。
1990年に発売されたこの曲は、130万枚を売り上げた。作曲の財津和夫さんはチューリップ時代やご自身のソロよりも、この『会いたい』で(自作曲の)売り上げ枚数を伸ばした。

『会いたい』の歌詞をめぐり、沢田知可子さんの所属事務所が(この曲の)作詞家・沢ちひろさんから、“著作者人格権”を侵害したと提訴され、慰謝料を請求されたとか。
沢田さんが14年7月に発売したアルバムの中の冒頭に、英語のコーラスが入った『会いたい with INSPi』が収録されており、<タイトルと歌詞を無断で一部改変した>とのこと。そして、2人の関係がこじれ、提訴に踏みきるきっかけとなる出来事があった。

 

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13年9月に放送されたバラエティー番組で、沢田さんが替え歌を披露したことが発端なのだという。私は偶然にこの番組を観ていた。沢田さんが大事に歌い続けている曲を、真逆なパロディの歌詞で真剣に歌っていたのに違和感は感じたものの、普段との落差が大きすぎて大笑いをしてしまった。

<カラオケみんなが歌って いっぱいお金入るって全くウソじゃない 歌手は一銭ももらえない 泣きたい・・♪>
上記のサビの部分がこんな感じなのである。とにかく面白すぎた記憶は今もハッキリ残っている。また、沢田さんは、歌手本人が持ち歌で素人相手にカラオケ対決をする番組にも出演されていた。もちろん、そこで歌ったのも『会いたい』なのであるが。

 

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このことで興味を持ったのは、「視点の違い」だということである。
歌手は長年歌い続けて、“自分の曲である”との思い込みが強くなり、作詞者からの急なクレームでおどろく。作詞者は、いつまでも“自分の作品”だとの意識が強いであろう。視聴者は表現者である歌い手を通じてその楽曲を楽しむため、不快なものでないのなら「替え歌くらいでムキにならなくてもいいのでは?」 と歌手の味方になりがちである。

作詞の沢さんのお話では、『会いたい』の歌詞は「母親との想い出」をベースにして出来上がった作品だという。それだけに汚されたという意識も強いはず。
また、沢田さんの体験談についても懐疑的なニュアンスでの物言いでもある。

たしかに、オリジナルの歌詞にも“バスケット”という単語が入っており、歌詞の背景も沢田さんの体験談そのものにも感じる。沢田さんは一貫して、「作詞は先にあり自分の体験と似ていた」とコメントしていたが。この話の食い違いについても、問題が起きなければ、作詞者から語られることはなかったのではないか。

 

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以前にもこれとまったく同様なケースがあった。
森進一さんが、作詞家の川内康範さんに断りなく歌詞を加えたといわれた「おふくろさん騒動」である。川内さんは<ぜったいに(自分の)作詞曲を森さんに歌わせない>と言い放った。“紅白”などでも、セリフ入りの『おふくろさん』を何度か視聴していたが、とてもよかった。ずっと、<川内さんほどの人がなぜ、そんなことでムキになるのか>と思っていた。

今回の『会いたい』の件で、あらためて川内康範さんのことを調べてみた。
川内さんは、作詞家、脚本家、政治評論家、作家、と幅広い活動をされ、手がけたクオリティの高い作品は数多い。そしてジャンルもさまざまで、観たり聴いたりしている作品はたくさんある。まだ、テレビが物珍しい時代に胸踊らせた『月光仮面』、『七色仮面』、『アラーの使者』も、川内さんの作品である。

そして、もっと驚いたのは、デビュー前からの森進一さんをことのほか可愛がり、売り出すことに力を注いだ。
売れてからの森さんは芸能界で幾多の苦境に見舞われている。
その際も、川内さんが登場して森さんに手を貸して助けているのだ。
森進一さんにとって川内さんは、まさに月光仮面だったのである。

沢田さん、森さんが、もし前もって作詞家の方たちとお話をしていたのなら、こういう事態は避けられたのかもしれない。
言葉が足らないための行き違い。本当にもったい話である。