日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

誤解のない師走を堪能したい

 

銭金が こうたまればと 十三日>。江戸川柳である。この時代の風習で、12月13日は年に一度の大そうじ“煤(すす)払い”の日だった・・・と。

仕事もさることながら、忘年会で多忙な方もいらっしゃることだろう。誘われて「行けたら行くね」と言う人がいるという。ふつうは“気が向いたら行ってやるよ”との意味でとられて、“なんであなたの気まぐれに付き合わなきゃならんのかい!”と思われそうだ。

それも地域によっては、遠回しな“断り文句”として、相手を気遣う時に使われる便利な言葉としてとらえられるケースもあるという。

魅力的な誘いではないと思うが、はっきり言うと角が立つため、やんわりとした表現で断るときの名文句なのだとか。受ける側も“来られたら来てね”と表面的には言いながら、内心では冷静に「欠席」と解釈する。

 

 

「失笑」についてのアンケートで、本来の意味の「こらえ切れず吹き出して笑う」が27.7%だったのに対し、「笑いも出ないくらいあきれる」と答えた人は60.4%もいた。

“失笑が漏れる”、“失笑が広がる”、“失笑を買う”などと、愚かな言動を笑い、笑われるために、「失笑」の解釈は“笑う”ことよりも“あきれる”方に、意味の中心が移ってしまったようだ。

稽古が始まりしばらくして、あるシーンのディテールのところで蜷川幸雄さんの怒声が響いた。登場の仕方が悪い、とのこと。

音楽プロデューサー・松任谷正隆さんの新聞コラムにあった。

それは本当にディテールでしかなく、なんでこんなことに怒らなければならないのか。「蜷川幸雄さん演出の音楽劇の音楽を担当させていただいたときのことで、それがちょっとしたヒントになった」という。

 

 

松任谷さんは舞台演出を始めて41年。そのほとんどは音楽のショーの演出だった。ここ数年は自ら脚本も書き、俳優たちと一緒の音楽劇を企画している。

その音楽劇で俳優と演出家はどう付き合うべきか、ということが課題になっていたところだったという。

怒られている俳優は、蜷川劇団の人であり、バッタのように謝り続け稽古は続いたそうだ。“不条理”という3文字を頭に浮べた松任谷さん。こんなやり方をしてもこの人の演技は良くなるわけない・・・と。

しかし、ふと目をやるとそこには(蜷川劇団ではない)ゲストの俳優が、それを黙って見つめていた。

悟った瞬間である。<蜷川さんは自分の身内を怒ることで、このゲストに自分の求めているものを見せている>のだと。

 

1年のうちで今が浮かれどき

 

欧米ではホワイトクリスマスに関しての定義があるそうな。アメリカなら海洋大気庁がチェック。<12月25日朝に、積雪が1インチ(2.54センチ)以上あること>なのだと。それは、数日前に降った雪が残っていても認められるという。

東京は明治以降、12月24日や25日に多少の雪が舞うことがあっても、まともに積もったことなどほとんどないらしい。10年くらい前、大晦日の大雪の中で仕事をしていたことはあるが、ホワイトクリスマスを過ごした記憶はない。

クリスマスとは、イエス・キリストの降誕(誕生)を祝うミサであり、当時は日没が一日の境目で、クリスマス・イヴの12月24日の夕刻から朝までが、教会暦上でクリスマスと同じ日に数えられるという。

 

 

とはいえ、クリスマスにどんちゃん騒ぎをして、その1週間後は神社仏閣にて、すまし顔で初詣をしているわが国もおもしろい。

1823年12月、アメリカの新聞に1編の詩が掲載された。<クリスマスの前の晩に、丸々と太った陽気なおじいさんは、8頭のトナカイが引くソリに乗り、各家に煙突から入ってきてプレゼントを配る>。神学者クレメント・ムーアの『聖ニコラスの訪問』であった。この詩により、サンタクロースのイメージが作られ、世界に広まったとか。

真っ赤な衣装で太った体。柔和な笑顔のイメージで陽気なサンタ像の仕掛け人はコカ・コーラ社らしい。1931年から始めた広告に受け継がれ、現在のサンタ像が定着した。

私は今からクリスマスを感じてなんだかウキウキするのが常であった。イブの夜をどう過ごすのか、などと考えて。しかし、その日は年がら年中飲み歩いている友も早帰り。まったく平凡な一日で終わることがほとんど。それでも、クリスマス気分だけはたっぷりと堪能していた。

 

 

クリスマスソングの定番というと、山下達郎さんの『クリスマス・イブ』だろうが、ある年には『クリスマスキャロルの頃には』(稲垣潤一さん)で大いに盛上った。B'zの『いつかのメリークリスマス』もよく聴いていて、とても懐かしい。

なにげなく聴こえてうれしくなるのは、『恋人がサンタクロース』(松任谷由実さん)やビング・クロスビーさんの『ホワイト・クリスマス』である。

これぞクリスマスと浮かれてしまうのが、『Santa Claus Is Comin' To Town(サンタが町にやって来る)』だろうか。

クリスマスまでは、仕事が忙しくても浮かれ気分でいられる。クリスマスを迎えてから大晦日に至るまでは、年内の残された用事が凝縮されて、あとわずかのあせりが強くなる。大晦日になると、残りわずかな年内を思いセンチな気分にもなる。

この先の半月あまりは、感情がコロコロ変わり、ふだんでは味わえない時を過ごすことになる。

 

創作のメカニズムを考えると

 

人の発する表現力の源泉は同じだろうが、秀でたスポーツ選手を見ると体のメカニズムに興味を持つ。いろいろなジャンルの作品にふれれば、作家の脳や心のメカニズムが気になる。

<上手にはすきと器用と功積むと この三つそろふ日とぞ能くしる>。千利休が茶道の精神を説いた言葉である。「好きであること・器用であること・続けることが創作の3大要素」として納得している。この3大要素は、仕事、勉強、趣味や遊びに、照らし合わせても合致しそうだ。

さて、3大要素の中で、一番むずかしいのはどれだろう。「好きこそものの上手なれ」で、“好き”と“器用”は連動するものと考えられる。となれば、“続ける”ことがむずかしいのだろうか。せっかくの才能も続けないと枯れてしまう。

しかし、最近は“器用であること”が大事なのではないかと思う。同じことを続けるのではなく、「常に創意工夫をして変えていく」ことなのだから。

 

 

1年間だけシナリオの勉強をした。課題の作品を50本書いた。仲間たちと8ミリ映画を作ろうかと盛り上がったが、仕事の都合で辞めた。続かなかったが、教わったことは今でも忘れない。プロットや箱書きのコツが、仕事の実務で大いに役立った。

作品を書くときには<独断と偏見を大いに持つべし>と教わった。その偏見に説得力を持たすことができたら、すばらしテーマになる。

めんどうな報告書やプレゼン等の原稿。はたまた、宴会の出し物の原案も、発想はシナリオ風だった。

シナリオで人を描くには、リアクションを効果的に使う。その感覚での人間観察は仕事に活きた。クレーム対応も、相手のリアクションに集中。ひとつずつの言葉で反応を伺うのだ。

 

 

自律して働く神経のことを“自律神経系”というらしい。自動(オート)で勝手に働く神経でもある。“睡眠”の働きはもちろん、内臓や血管、心臓が規則正しく動いたり、意識せずに呼吸ができたり・・・と。喉が渇いたり、緊張すると汗が出たり、胃が内容物を消化したり、ということを受け持つ神経である。

人間の成人は約60兆の細胞から成り立っている。近年、37兆2000億個との説もあるが。産まれたばかりの赤ちゃんは約3兆の細胞である。ただ、脳の細胞に関しては赤ちゃんも成人と同じ約140億なのらしい。

その脳も25歳を頂点として、毎日10万の細胞が失われる。脳の重量は体重のわずか1~2%なのに、脳に使用する血液量は20%にも達するというからすごい。

からだに流れる血液量は1分で5~6リットル。1時間で風呂桶一杯分らしい。毛細血管も含めた血管をつなげると、その長さは地球を2周半になるとのこと。

そして、脳の使用率はたったの3%で、97%が潜在脳ということらしい。となれば、私にはまったく創意工夫の努力が足りないような・・・気がしてくる。

 

テレビは創造性を引き下げる

 

<好きなシェイクスピアの作品を10本挙げろ>。今のディレクターに言っても、出てこないでしょう。名脚本家・倉本聰さんの弁である。

昔のプロデューサーや演出家は、ドラマ・作品のことをよく勉強していた。そして、テレビの現状を倉本さんは心配する。

「今のテレビの最大の問題は、視聴者の創造性を引き下げてしまったこと」。視聴者は、制作側が考えている以上に創造力が豊かで、自ら想像し、創造したがっている、という。

しかし、テレビ局は“わかりやすく。もっとわかりやすく”をモットーに、誰でもわかる低水準に合わせた番組作りをしている。だから、テレビはつまらなくなってしまった。テレビに限った話ではなく、すべてのメディアに共通することでしょうが・・・とも。

倉本さんの言葉は的確だ。

 

 

先輩たちと比べて、今のテレビマンは勉強不足で、視聴率の動向を過度に気にする。“表現者”としての制作者が減り、“商売人”気質の人が増えている。

作品構成の「起・承・転・結」で、作り手の見せ所は“承”の部分。かつて、その楽しませどころを熟知してシナリオを書く人は多く存在していた。山田太一さん、向田邦子さん、橋本忍さん・・・など。

“承”以外の部分は、ひらめきに近い分野なのかもしれない。“発端、クライマックス、結末”を描くよりも“承”の部分を描くのは長くてむずかしい。飽きさせない工夫が要求されるのである。

承の部分がしっかり書ければ、クライマックスと結末が映える。名作には、承のおもしろさが必ずある。近年のドラマは“承”の部分の“間”が持たないのだろうか。

10話のドラマでも間延びして、最終回はまだ? と飽きてくる。ならば、2~3話を省いて回数を減らすと、“承”の密度が濃くなりそうなのだが。

 

 

不思議なのは、ドラマの初回や最終回でもないのに時間を拡大すること。視聴後にいつも思うが、拡大する意図がわからないのだ。編集で通常時間にしっかり収まる内容なのに、ドラマの作り手がヘタなのか・・・。

映画でも、いつのまにか2時間以上が定着している。かつて、90分でたっぷりと楽しませてもらった名作は多々ある。娯楽作品はとくに90分がちょうどいい。

最近、TVK(テレビ神奈川)で再放送していた『俺たちの朝』の録画が、裏番組の時間拡大のためエラーになり最終回を見逃した。最初から47話まで問題もなく録画できていたのに。

2チューナーのレコーダで予約して、10分間だけ3番組が重なったのではじかれた。他にレコーダは2台あるのに悔しい限り。今の作品は見逃しても、配信でかんたんに視聴できるのに古い作品はそうもいかない。

『俺たちの朝』のあとには、ご本家である『俺たちの旅』の再放送が始まった。まだ2話だけであるが、いくつものシーンで大笑い。俺たちシリーズ”で名を馳せた鎌田敏夫さんの脚本は、楽しませどころが満載で、“承”の巧みさが随所に散見されるのである。

 

「電気圧力鍋」と「自動製氷機」

 

FD(フロッピーディスク)が活躍したのは1990年代だったか。データの保存や受け渡しには欠かせなかった。2000年以降は、コンピュータの性能向上と小型化。扱うデータ容量も大きくなり、PCそのものに光ディスクドライブが標準搭載された。

2009年春には日立マクセル三菱化学メディアがFD製造から撤退。SONYも2011年には製造中止になった。

ちょっとしたデータ保存に便利だったFDも、まだ必要とされるところはあるらしい。2014年、パソコン、スマホなどの周辺機器メーカーがFDドライブを新発売した。

官公庁や法人で機密文書の保存用として利用されていたため、FDのデータを別媒体に移したいと考える客があるとのことだ。過去の古いデータのほとんどが、FDに保存されていることが多く、どうしても必要なのだという。

 

 

日本、アメリカでも、公的文書や極秘文書を扱う場合、メール添付などでデータが流出する可能性があるため、FDに保存して郵送するシステムが一部で使われているらしい。

とはいえ、特殊な場所やケースで必要とされる商品ではあっても、代替えになるメモリも多くFDデータ移行も済めば先細りなのはまちがいない。

さて、半世紀前に誕生したこの商品は、今も進化している。ふっくらしたご飯を自動で炊きあげる電気自動炊飯器である。

1955年に東芝から開発依頼を受けたのは、下請けの町工場「光伸社」(東京都大田区)であった。

工場の社長は大量の米を購入。寝る間を惜しみ実験を繰り返したという。温度調節の方法で苦心していたところ、水が蒸発して釜の温度が急上昇するとスイッチが切れる仕組みを思いつき、3年かけて“東芝電気釜”の完成にこぎ着いた。

 

 

電気炊飯器は<主婦の睡眠時間を1時間は延ばした>との評判だ。それまでは、主婦が毎朝 薪をくべ、かまどの前に張り付いた。価格は3200円。当時の大卒初任給の3分の1でかなりの高額。それでも爆発的なヒット商品になった。

1970年代には保温機能なども登場した。近年は、土鍋など様々な内釜の素材にこだわった機種が人気である。

今、私が夢中で利用している商品がある。その原点は電気炊飯器だったと思われるが。電気圧力鍋である。元々、蒸し鶏で呑むのが好きであった。中華街店での飲食でも必ず注文する。

今は、鶏肉のかたまりを入れて、スイッチひとつでおいしくできあがる。火を使う圧力鍋にも凝ったが、今は火加減や時間も気にしない。調理後の出汁にはそのまま野菜を入れてボタンひとつでスープに・・・。あとで、好みの麺類を入れるだけ。

また、この夏には自動製氷機を購入した。冷蔵庫の“勝手に氷”機能がダメになったのがきっかけ。ほかは問題なく使えているため、修理をせずに製氷機を購入。小粒で空洞のある氷に心配したが、大きな氷よりポットなどへ使えてとても楽である。まさに<“小”こそが“大”を兼ねる>の真髄なのだ。

 

 

今週のお題「2018年に買ってよかったもの」

何度もめぐりあえない12月

 

元号が変わるのに、来年のカレンダーには明記されない。もどかしい12月だ。

“明治”の1つ前の“慶応”を定める際、他に40もの案があったとか。『書経』の一節「地平天成」から引いた“平成”の2文字も候補の一つだった。約120年を経て日なたに出たのが今の“平成”。なかなか感慨深い。

247の元号で“平”の字が使われたのは12度で、“成”は初めてだという。戦争と経済成長を経た“昭和”から「地平らかに天成る」という新たな元号のようだ。

飛鳥時代の政変“乙巳の変”の後、中大兄皇子は体制を刷新して「大化の改新」と呼ばれる改革を断行。日本初の元号“大化”はこの政変で生まれた。

庶民に元号が普及したのは江戸時代らしいが、庶民からは幕府が改元をすると思っていた。また、頻繁に変わる元号より“己亥”のような“干支(えと)”を使う人が多かった。そのため、明治政府による天皇元号の一世一元化は一大発明だった。

 

 

大衆音楽研究家・長田暁二さんは、著書『昭和歌謡』で昭和の最後を飾る流行歌に美空ひばりさんの『川の流れのように』を選んでいる。その曲の発売日は1989年1月11日。わずか7日の昭和64年が終わり、平成元年の4日目に世に出た歌である。

当時は誰もが新鮮に感じたその元号も、役を終える日が予定されている。昭和に生まれ育った私には、平成の印象が昭和より薄い。人生の変換期としては平成に集中しているはずなのに、今はあまり思い浮かばない。

<いま、どのくらい『女の時代』なのかな。>との広告が新聞に掲載されて38年たつ。西武流通(後のセゾン)グループのコピーであった。まだ昭和の時代だ。

それを書いたのは糸井重里さん。もともと糸井さんの用意した案は、<人材、嫁ぐ。>だったという。結婚や育児で仕事を辞めても再就職制度がありますよ、と訴える内容だった。女性を人材と認め、惜しむ姿勢で企業の先進性を表したつもりだった。

 

 

西武のトップ・堤清二さんは怒った。社員は人間であり単なる“人材”ではない。結婚や出産も一緒に喜び、支えるべきだ・・・と。こうして女性が働き続ける難しさを描く名コピーが生まれた。

日本の労働力人口は男性3800万人、女性2900万人。その差は年々縮まる。平成では、男性の所得で家族を養いづらいのか。

じわじわと忍び寄る危機への注意を促す例え話がある。

カエルを熱湯に入れると驚いて飛び出すが、水から温めるとそのままゆだってしまう。逆に、零下10度の環境下にネズミを置く。徐々に温度を下げると生きているが、いきなりだと死ぬ。

寒さが増せばヒートショックが心配な季節である。暖かい部屋から寒い脱衣所に移る時や冷えた体で熱い湯につかる時、血圧や脈拍数の変動から生死に関わる事態が起きかねない。急激な温度変化には用心を。

また、暖房のきいた場所にいたりすると脱水症状も忍び寄る。水分補給も必要になる。

 

何事も因果関係はあるだろう

 

巨体のクジラの豪快な漁は有名である。魚の群れを海面に追い詰めて、海面に突進して大きな口を開け、魚群を一気にのみ込む。

南国タイの沿岸に生息するカツオクジラは、独自に省エネ型の漁を編み出したようだ。海面近くで立ち泳ぎをしながら口を開け、中に魚が流れ込んでくるのを待つだけである。立ち泳ぎする時間は平均で約15秒。口を開けたまま、尾びれや胸びれを動かして泳ぐ。

カツオクジラによる立ち泳ぎの漁を観察できるのは、今のところタイ沿岸の集団だけらしい。その一因としてタイ湾の水質汚染がある。富栄養化が進む湾では、特に深い場所の酸素が乏しい。そのため魚は、海面近くへ自然に集まる。

そのため、魚を追い詰めるより、海面で待ち構えていた方がエネルギーを使わず、効率良く魚が食べられる。とはいえ、カツオクジラの成体の大きさは10メートルを超える。建物で言えば3階建て以上の巨体なのである。

 

 

風が吹けば桶屋が儲かる”とは、ある事象の発生が、関係のないと思われる場所や物事に、因果関係が及ぶことの喩えである。

残り僅かな平成も、約30年間で世の中がめまぐるしく変わっている。

日本有数の繁華街・銀座も、バブルを経て不景気になれば、クラブ等の持ち主の自宅へ取り立てが訪れたという。地価は乱高下して、企業の交際費もどんどん右肩下がりになった。1990年代半ばに3千件弱あったクラブやバーは、半分以下に減った。

バブル期の1980年代後半は、飲めば仕事が決まるという状態で、何億円という取引が
クラブの店内で決まっていった。銀座4丁目の地価は今の1.5倍。アフター後にはお客さんから、タクシー代と言われてティッシュに包まれた5万円を渡された。

また、お客さんからゴルフを誘われるとファーストクラスでハワイへ行った。ハワイは、今でいう“熱海に行こう”、という感じだったらしい。

 

 

バブルの因果か、銀座からかわいい女の子がいなくなっていく。多くのクラブは、お客さんのツケを女の子が背負うルール。景気が悪くなり、支払いが滞るお客さんが増えたことで、人気のある女の子の借金が増え、別の仕事を求めて銀座を去っていく。銀座のクラブの平均寿命は6カ月とも言われた。

<聖人は未病を治す>(貝原益軒さんの『養生訓』)。予防の大切さを説いているのだろう。心がけのよい人は病気に至る前に体を治す。

こちらはいかがか。<私は毎朝歩いたり何かしているから医療費がかかってない。たらたら飲んで食べて、何もしない人の分の金(医療費)をなんで私が払うんだ…>。

自民党での前総理大臣・麻生さんが首相のときの語録だ。10年前である。益軒さんのようなことを言いたかったのか。社会保障制度は国民相互の助け合いで成り立ち、個人レベルの損得勘定とは違うはず。

同じ内容の話を最近もどこかでしていたが、相変わらず安酒場でつぶやく愚痴のごとき迂闊な発言が過ぎる。

 

「せつもく」は「なにもく」か?

 

和製文字らしい。女偏に鼻の「嬶」で“かかあ”と読む。国文学者・池田弥三郎さんは随筆に書いた。亭主の浮気を嗅ぎつける鼻を取り入れるとは「昔の人も味なことをする」。

将棋の最年少プロ・藤井聡太七段が15歳で四段のとき、公式戦通算50勝を達成した。そのときのテレビ映像でのコメントが話題になった。「“せつもく”の数字となりました」と藤井さん。報道陣からは困惑の声で「“なにもく”ですか?」と。

これまでも中学生らしからぬ言葉遣いといわれていたが、「節目(ふしめ)」のこんな読み方はすばらしい。

新聞や雑誌に使われている単語は年間約3万語といわれ、昭和30年代の高校の上級生が、ほぼ同じ数の語彙を持っていたそうだ。読書家の藤井さんもこのレベルだったのだろうか。

約20年前の記述では、“今の大学生でも1万5千から2万くらいに落ちている”とあった。現在の学生の平均的な国語力はもっと低いかもしれない。

 

 

<読書の訓練、作文の訓練は、テレビ時代、さらには携帯電話時代になればなるほど重要なんです>。作家・丸谷才一さんのエッセイにあった。

アンデルセンの童話『裸の王様』にはもとになる寓話があるという。「何も着ていない」と真実の声を発したのは、馬の世話をする人だったらしい。それをアンデルセンは子どもに言わせた。権力者の“衣装”を誰もが称える中、見たままの事実を口にする。それには子供がふさわしいとの考えからだ。

3歳前後の子どもが自己主張して親を困らせることは「第一反抗期(イヤイヤ期)」といわれ、それに次ぐものとして中学、高校生頃の子どもが親に逆らったり、親を無視したりする行動の「第二反抗期」がある。

この時期の親への反抗は「成長の証し」と言われてきたが、近年は思春期に見られる第二反抗期のない子どもが増えているともいわれる。

 

 

LINEなどのやりとりが日常化して(親子で)友達関係が強まったり、親の接し方の変化も影響しているのか。第二反抗期がなく、思春期になっても親子関係が良好なままという例も珍しくないようだ。

反抗期について、全国の中学生以上の子どもを持つ35~59歳の男女(親世代)と、15~29歳の未婚男女(子世代)を対象に行われた、生命保険会社の調査結果(2016)がある。

「反抗期がなかった」という親世代は3割に満たなかったが、子世代は約4割と多かった。反抗期のあった子世代でも、その8~9割は父母との関係を「良好」と答えている。

「父母から褒められることが多かったか、叱られる方が多かったか」という質問は、親世代が子世代に比べ、「叱られる方が多かった」との割合が6~10ポイント高い。

“褒め育て”の定着などと、親の子どもへの接し方が変わってきたことも、反抗期が減っている一つの要因のようだ。思えば私も、父親とよく遊び、友人からは友達みたいだ、などと言われたのを思い出す。ただ、第二反抗期を乗り越えてからの付き合いだった、と記憶しているが。

 

腰を据えない季節もよかろう

 

今週末は12月である。住まいの神奈川県はまだ暖かいので、冬を待つという気分ではない。秋の期間の断定基準があるという。それは、最後の真夏日(30度以上)から気温が一桁になるまでの間だとか。

四季の中でも、秋のスタートから終わりまでがわかりにくい。人間には余生という言葉を使われるが、生きることに余りはぜったいにないはず。秋についても、かけがえのない季節であることはたしかだ。

笑顔になれないのはどんな場合か? 『笑について』というエッセイで劇作家・岸田國士さんは書いた。それは、感情が高まり“胸がぐつと詰まる”状態なのだと。思えば“笑い”というしぐさも、その境い目が捉えにくい。

人物の真剣な表情が作品の特徴といわれるのは写真家・橋口譲二さんである。若者から老人まで様々な年代の市井の人々が風景の中にいる。そしてそこには見る人の背筋が伸びるような真面目さがある。

 

 

医師で作家の北杜夫さんは30歳代に、水産庁の調査船で船医を務めた。大西洋でマグロの生態を調べる航海である。連日、船上の食卓には“ぶ厚いトロの山”が並んだ。半世紀後には、高級なトロが取れる大西洋クロマグロは乱獲で激減。

最近は高級志向ではなく、質素を売り物にしている酒場もテレビなどで紹介される。手作りのつまみは値段別に棚に置かれ、飲み物といっしょに客が自ら運ぶセルフ形式。

フロアは省力化され、客も1時間を超える滞在はまれだ。だらだら飲むのは時間の無駄とばかりに、パッと入ってサッと飲んで出る。オフィスでも会議は短縮。立って仕事をするスタイルが広まりつつある。

伊藤忠商事は数年前から「110運動」を推進する。社内の飲み会のルールで1次会だけ。夜10時終了の意味だ。

食通の作家・池波正太郎さんは、すし店でのマナーとして「トロばっかり食べているやつも駄目」と記した。仕入れ値が高く、利幅の薄いトロを供す店主への配慮からである。

 

 

旅先などで商店街にシャッターが目立つようになったのは今さらではない。今は、ショッピングセンターの経営が曲がり角を迎えているらしい。昨年は、テナントの新規出店数が1年で3割減り、退店数を下回る“純減”傾向が続いている。

古い施設を中心に、既存の衣料テナントなどの退店跡地を埋められない“歯抜け”事例が目立つのである。全テナントの2割を占める衣料の落ち込みも激しいという。近年、家計の支出は食やサービス、通信費などへと流れ、衣料消費の多い若年層の人口減も影響している。

文房具店や本屋の店頭には、新年用のカレンダーや日記帳、手帳などが並び、新年らしい空気が漂っている。クリスマスを飛び越してオセチ料理の宣伝も盛んである。そのわりには、笑顔になれず楽しさも感じられない。

“みこしを据える”のは酒席、仕事とも敬遠されだしたようなので、忘年会は立ち飲みの店で今風に行ったほうが無難かもしれない。

 

音楽の対価が与える衝撃とは

 

外国映画上映時に配給会社から徴収している(劇中)音楽の使用料は1作品一律18万円であった。日本音楽著作権協会(JASRAC)が興行収入に連動させる形に変更する意向で、この11月から、上映されるスクリーン数に応じて6種類の使用料額を設定した。

例えば100スクリーンで上映される映画の場合、使用料は20万円。最大額は500スクリーン以上で30万円・・・などとの具合に。邦画は曲数と封切り時のスクリーン数に応じた使用料を徴収しており、邦画と洋画の格差も問題だったという。JASRACの試算では15~20%の増額だ。

著作権法は、公衆に聴かせる目的で楽曲を演奏する“演奏権”を、作曲家らが持つと定めた。そして、映画音楽の場合、作曲家らに“上映権”があるとする。作曲による報酬とは別に、受け取れる権利を守ることで創作を通じた文化発展を目指すとのこと。

 

 

以前、大ヒットした『タイタニック』や『アナと雪の女王』でも、音楽の使用料は一律18万円。ともに興行収入の0.0007%ほどである。

仏独伊など欧州では(興行収入の)1~2%。アジアで中国やインドなどは、著作権管理団体が使用料を徴収できていない。もし、日本も欧州並みの料率となれば、「アナ雪」の場合、最大2.5億~5億円になる計算だ。そして、公開から一定期間を過ぎた作品などにも再度使用料がかかるという。

JASRACは将来的に欧州と同じように、興行収入の1~2%を徴収できるように協議を続けていく算段のようだ。

一般の人々にとって問題なのは、鑑賞料金が上がるかどうかであるが、小規模の配給会社も不安を抱える。<宣伝費などが減り、ぎりぎりの状態で映画を提供している中で、
負担が増えるのは死活問題>だからである。

 

 

音楽業界では、1990年代後半からCD売り上げが下落。JASRACは2010年代に入り、楽曲使用料を徴収する対象をフィットネスクラブ、カルチャーセンターなどにも拡大。音楽教室からの音楽著作権料も徴収を始めた。

まずは、楽器メーカーや楽器販売店が運営する全国の約7300教室を対象で、音楽教室を運営する約900の事業者もターゲットだ。当面は個人運営の音楽教室は対象外らしいが、徴収対象になるのはまちがいない。

料金は事業者が支払い方法を年額、月額、曲別の中から選ぶ。年額で支払う場合、前年度の受講料収入の最大2.5%を徴収。月額と曲別の場合の料金は受講者数や受講料に応じて変動する。

JASRACいわく、<著作権者に比べ、利用者は圧倒的に多い。数の原理を入れるべきではないと思うし、人の財産を使うのであれば対価をお支払いください>というのが原則とのこと。<文化を著作権が支えていることを理解してほしい>とも。

私には、「音楽」を商材にして、荒稼ぎしているように感じてならない。そのうち、鼻歌を歌うだけでもチェックされて、著作権料金を請求されるかもしれない。