日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

何度もめぐりあえない12月

 

元号が変わるのに、来年のカレンダーには明記されない。もどかしい12月だ。

“明治”の1つ前の“慶応”を定める際、他に40もの案があったとか。『書経』の一節「地平天成」から引いた“平成”の2文字も候補の一つだった。約120年を経て日なたに出たのが今の“平成”。なかなか感慨深い。

247の元号で“平”の字が使われたのは12度で、“成”は初めてだという。戦争と経済成長を経た“昭和”から「地平らかに天成る」という新たな元号のようだ。

飛鳥時代の政変“乙巳の変”の後、中大兄皇子は体制を刷新して「大化の改新」と呼ばれる改革を断行。日本初の元号“大化”はこの政変で生まれた。

庶民に元号が普及したのは江戸時代らしいが、庶民からは幕府が改元をすると思っていた。また、頻繁に変わる元号より“己亥”のような“干支(えと)”を使う人が多かった。そのため、明治政府による天皇元号の一世一元化は一大発明だった。

 

 

大衆音楽研究家・長田暁二さんは、著書『昭和歌謡』で昭和の最後を飾る流行歌に美空ひばりさんの『川の流れのように』を選んでいる。その曲の発売日は1989年1月11日。わずか7日の昭和64年が終わり、平成元年の4日目に世に出た歌である。

当時は誰もが新鮮に感じたその元号も、役を終える日が予定されている。昭和に生まれ育った私には、平成の印象が昭和より薄い。人生の変換期としては平成に集中しているはずなのに、今はあまり思い浮かばない。

<いま、どのくらい『女の時代』なのかな。>との広告が新聞に掲載されて38年たつ。西武流通(後のセゾン)グループのコピーであった。まだ昭和の時代だ。

それを書いたのは糸井重里さん。もともと糸井さんの用意した案は、<人材、嫁ぐ。>だったという。結婚や育児で仕事を辞めても再就職制度がありますよ、と訴える内容だった。女性を人材と認め、惜しむ姿勢で企業の先進性を表したつもりだった。

 

 

西武のトップ・堤清二さんは怒った。社員は人間であり単なる“人材”ではない。結婚や出産も一緒に喜び、支えるべきだ・・・と。こうして女性が働き続ける難しさを描く名コピーが生まれた。

日本の労働力人口は男性3800万人、女性2900万人。その差は年々縮まる。平成では、男性の所得で家族を養いづらいのか。

じわじわと忍び寄る危機への注意を促す例え話がある。

カエルを熱湯に入れると驚いて飛び出すが、水から温めるとそのままゆだってしまう。逆に、零下10度の環境下にネズミを置く。徐々に温度を下げると生きているが、いきなりだと死ぬ。

寒さが増せばヒートショックが心配な季節である。暖かい部屋から寒い脱衣所に移る時や冷えた体で熱い湯につかる時、血圧や脈拍数の変動から生死に関わる事態が起きかねない。急激な温度変化には用心を。

また、暖房のきいた場所にいたりすると脱水症状も忍び寄る。水分補給も必要になる。