日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

時代とメディアは変われども

 

昭和30年代の頃だろう。有名人の名をもじった歌手の公演チラシなどが、貼られていたという。橋幸夫さんをもじった“橋雪夫”、美空ひばりさんかと思いきや“美空いばり”だったりと。

それを電信柱に見た作家・遠藤周作さんはエッセイ『だまし屋』に記した。「娯楽ほしさか、にせものと承知で出かける人も多かったらしく、どこか愛嬌のあるだまし屋稼業・・・」だと。

目にする者を惑わす広告も、今や電信柱からインターネットに移ったようであるが。

 

 

昨年、実際に契約できない「おとり物件」を、インターネットの不動産情報サイトに掲載したことで、首都圏不動産公正取引協議会は、不動産業者42社に初めてサイト掲載停止の措置へと踏み切った。

<[1]物件が存在しない(架空物件)・[2]契約済みで取引できない・[3]貸す意思がない>。この3類型でおとり物件を定義したという。

ネットでの物件探しが主流となる中、好条件で客を引き寄せ、別の物件を紹介する手口が横行しているとのことである。

 

 

スマホで撮影した写真をインスタグラムに投稿。見て、気に入った人から“いいね!”が届く。ネット上に共感を求め、映える写真を撮り歩くのは、日本の若者だけでなく各国共通のようである。

アメリカのクレジットカード運営会社が発表した“渡航先ランキング”(2017年)では、旅行者の増加率で大阪が世界一の座についた。グリコの電光看板を始め、インスタ映えスポットの多さが増加理由のひとつなのだろう。

利用者は6億人を超えるともいわれるインスタグラムである。うまく使えば地域の集客力を高めることもできるだろうが、撮影用に商品を買い込み、投稿したら捨てる人も珍しくないという。

“いいね!”に翻弄され暮らしの足元を見失ったり、“おとり”の片棒を担がされることだけは避けたいものである。

 

おもてなしの裏には何がある

 

中国の「一人っ子政策」という厳格な人口削減策は、1979年から2015年まで導入された。<叔父や叔母がいない社会は人類の歴史に類例がなかったから…>と、『2061年宇宙の旅』(アーサー・クラーク)では、中国の「一人っ子政策」に触れた一節がある。

1970年代から続いたその人口抑制策も転機をむかえ、2016年1月に撤廃された。すべての夫婦に2人目の子どもを持つことが認められるようにと、「二人っ子政策」のもとで、出産を奨励する方向に舵を切った。

若い時代には、世の中の裏表や処世の手ほどきを、おじさんやおばさんから受けた経験をもつ人は多いはず。今の日本も少子化の影響で、おじさんやおばさんがどんどん減っているような気もする。

 

 

NHKの長寿番組『きょうの料理』では、1957年の放送開始から視聴者のニーズを反映して料理を紹介してきた。そのレシピも5人分から始まり、やがて4人分になり、今では2人分のことも多いそうだ。

スーパーの棚にも1人用、1回分に小分けした焼き肉のたれや鍋のつゆ。ごはんが進むおかずにしても、1人分がいつから増えたのかと驚くほどである。それも、食卓に“個食”や“孤食”と呼ばれる風景が広がっていることが要因である。

さて、“おじ・おば”の少ない社会と結びつけるのは早計だろうが、物事の一線がどんどんずれてきている・・と思うことがある。

「迷惑行為が近年で増えているか?」との問いには、5割が増えていると答えている。

スーパーやコンビニなどの従業員の約7割が、客から暴言や脅迫などの悪質なクレームを受けた経験があるという。“悪質なクレーム”をめぐる5万人のアンケート結果では、客を待たせるなと怒り出し、説教が延々と続いたり、聞くに堪えぬ暴言がまかり通っているようだ。

 

 

クレーム対応では、「謝り続けた」、「何もできなかった」が4割を超えた。まさに、クレーマーの温床にも感じる。

<おもてなしの国、世界一心のこもったサービス・・・>。作家・石田衣良さんは、その評判や美名への疑念を雑誌に書いていた。

“最高のサービスの裏には最低の客が隠れている”のではないか。疑いたくなる・・・と。

客としては王様のように振る舞えるが、商品やサービスを提供する側に回れば、下僕のようにさせられる。社会が便利になりすぎて、ますます理想のサービスが求められるようになる。そのことでの弊害や歪みが目立つ。

木枯らしの季節である。“木枯らし”は「凩」とも書く。中国から伝来した漢字にはなく、日本生まれのいわゆる国字である。それは、「風の略形と木」を合わせたものという。日本独自の包み込むようなサービスを、受け手と与える側で大切にしたいもの、と切に願う。

 

今このときがまさに晩秋の旬

 

時を超越して伝えられる文字の情報力は大きい。<ゆとりでしょ?そう言うあなたはバブルでしょ?>。昨年のサラリーマン川柳の入選作品で、お気に入りの句である。

<サラリーマンという仕事はありません>。大きな文字でバブル時代の新聞に掲載されたらしい。風変わりな会社説明会の広告だった。

このキャッチコピーは糸井重里さんの手によるもので、1987年に西武セゾングループ(当時)からの依頼だ。糸井さんいわく、「給与で生活することじたいは“仕事”じゃない。仕事ってのは、もっと具体的なもの・・だと思うんだ」。

 

 

タツを使う時期にはよくある。テレビをつけっぱなしにして眠ってしまうことだ。長年お馴染みだったアナログテレビでは、真夜中に目を覚ますと、テレビ画面にザーッと“砂嵐”が映っていた。正式な呼び名は「スノーノイズ」というらしいが。

わが家では今、居眠りをみこして4時間のオフタイマーを設定している。もし、つけっぱなしの状態でも、デジタル放送の場合は、受信レベルが数値化されていて、一定の数字以下になると何も映らないという。

まさに1(オン)か0(オフ)のデジタル世界であり、その画面に曖昧は許されない。ダメと判定した瞬間にすべてを否定し断罪されてしまう。まるで、味気ない世相を反映しているかの如くに・・である。

 

 

<一年の営みを終えた幹や枝は裸になり、ひっそりとながい冬の眠りにはいろうとしている・・・晩秋という季節のしずかな美しさはかくべつだな>。

山本周五郎さんの短編『晩秋』の中にある老いた武士の言葉である。

<逆さまに行かぬ年月よ。老いは、えのがれぬわざなり>。こちらは、源氏物語後半[若菜 下]にある、光源氏のことばだという。光源氏は、紫式部の物語『源氏物語』の主人公。

年をとるというのは、残された時間が減ること。残された時間というのは、(何かを)残すことのできる生きた証しの時間か。また、人生は“生きた時間”の目撃でもありそうだ。

表現は人それぞれでも、何かを目撃して何かを残す。あとは自身の納得や満足ということもあろう。年末が近づくと、ついこんなことが頭に浮かんでくる。

 

ニヒルな人たちが増えている

 

わかっているのかいないのか、猫も杓子もAI、AIと奉る昨今である。このAIブームの先駆けも、将棋や囲碁でコンピュータが名人に勝利したことがきっかけだった。

さて、今日は「将棋の日」なのらしい。将軍家が将棋を奨励した江戸時代(徳川吉宗の時代)、旧暦の11月17日に江戸城の書院で名手の戦いを観覧したのが由来らしい。

コンピューターソフト“PONANZA”と人間の最終決戦、電王戦が行われたのは昨年のこと。後世に語り継がれる対局だったという。

将棋ソフトと対峙した佐藤天彦名人であったが、名人は71手で投了。ネットの生中継を観覧したファンからは、ため息が・・・。

 

2273

 

<コンピューターがプロを負かす日は?>。1996年に将棋年鑑で行われたアンケートである。「永遠になし」と米長邦雄さん。加藤一二三さんは「来ないでしょう」とのこと。

コンピュータの勝利に否定的予想が目立つなか、当時七冠だった羽生善治さんは、「2015年」と回答したらしい。

勝負事に熱くなるのは“古今東西”変わらない。ギャンブルも勝負事の一種なのか。世の中にはいろんな依存症が存在する。

身近なところでいえば、コーヒーやタバコ。お酒、サプリメント・・・などと、多岐にわたる。最近ではスマホもそのひとつといえよう。自分の知らないうちに依存していることもしばしばだ。

 

2274

 

数々の夢ある機器を世に送り出したご当人には、その副作用も見えていたのだろうか。アップル創業者の故スティーブ・ジョブズさんである。夕食時には彼の家族の誰もが、コンピューターに触れなかったという。家で子どもたちが機器に触れる時間を制限していたともいわれる。

<食卓を囲んで本や歴史について話すことが大事>だと考えたからである。

英語圏では「ファビング」という新語が広まり、辞書にも収載されたという。それは、フォン(電話)とスナビング(無視)を合成した言葉である。スマホタブレットを見たり返信を打ったりして目の前の人を無視する行為のことだ。

冷めて無感動な印象の人はニヒルといわれる。「ニヒル」はラテン語とのことだ。ラテン系の人は、“細かい物事を気にせず明るい”というイメージがある。その中でニヒルな人がいると目立つことであろう。

日本では“ファビング”の効果か、ニヒルな人がどんどん増えているような気がする。“クヨクヨなんかしない”ラテン系タイプの人がいると、きっとよく目立つことであろう。

 

おもしろい断片を持つために

 

<普通の人は“今”しか見えない。前を見ているつもりでも実際は“バックミラー”を通して見ている>。文明批評家・マクルーハンの言葉だ。凡人は“前”を見る努力が欠かせないようである。

いろいろなモノがそろっていたかどうかで、世代差を感じることがある。子どもの頃、テレビのある家へ、(近所の)テレビのない人たちが大勢訪れ、正座をして観ている風景をおぼえている。

家に電気洗濯機が初めて入った時、妙に感激した。ちゃんと動いているのかと何度も確認しに行った。洗濯といえば、“たらい”に“洗濯板”だったので、ものすごい進歩に感じるのも当然である。

 

2272

 

電気冷蔵庫を初めて使うときは、用もないのに何度も扉をあけていた。すると、中で電気がついているのでまた感動。それ以前の冷蔵庫は、箱の入れ物に氷を入れて、食料を冷やしていた。その氷を買いに行き重かった記憶もある。

モノのない時代を知っていると感動が多い。

待ちかねた16歳。アルバイトでバイク(原動機付き自転車)を手に入れたときもうれしかった。まだシャレたミニバイクなどない時代。中古のカブであった。

のちに350ccの自動二輪車に乗り、自動車へと移行していく。今でもそうであると思うが免許証取得で自動車教習場の料金は高かった。技能の時限を最短でいかないと、料金がどんどんかさむ。

通った教習場では、昼休みに車を借りてひとりで練習できるサービスがあった。教習料金より安く乗れるのだ。それを利用して、どうすれば脱輪をするのか、などの確認ができた。横に教官がいないため、いくらでも失敗の練習ができた。その成果で(時限も)ほとんどダブらず、まわりの人より安上がりですんだ。

 

2271

 

失敗は成功の元なり。まちがっても訂正できる。その方法を知っていればこそ手を出せる。中高年でパソコンの苦手な人は、訂正方法がわからずに怖がる。なにごとも、失敗の許容範囲を知るのと知らないのでは大きなちがいがある。

若手だったイチロー選手が、思うような打撃ができず悩んでいたとき、まったく平凡な二塁ゴロでアウトになった。しかし、ベンチに引き上げるイチロー選手はニコニコしていた。その打席で、今まで「見えなかったものが見えた」という。

理解できないような話だが、説得力がある。<こう打てば凡打(失敗)になるからそうしなければいい>。その打席をきっかけに、イチロー選手の快進撃が始まった。

経営難に陥っていたテーマパーク“ユニバーサル・スタジオ・ジャパン”を崖っぷちから再生したマーケター・森岡毅さんは、<ぶんぶんバットを振る。積み重ねの量がいつかヒットやホームランを生む>と言っていた。体験の裏打ちがあればこそ、整理して具体化ができる。

思い立つが吉日というが、思い立たないときも吉日はあるはず。楽しむことに忙しそうな人は魅力がある。すべての出来事は一番いい事のために起こる、とポジティブな発想があるからだ。

 

 

今週のお題「紅葉」

奴隷契約からもスターの輝き

 

<人が地面に立つとき、足の裏が収まるだけの面積があれば足りる>。でも、立っている場所以外の大地を掘り取れば、足もとが崩れる。“無用の用”と評したのは、古代中国の思想家・荘子である。役に立たないと思われているものが、実際は大きな役割を果たしている。

西鉄(現・西武)の大投手、稲尾和久さんは打席でも頼りになった。巨人との1958年秋の日本シリーズで、登板した第5戦にサヨナラ本塁打を放った。3連敗の西鉄が4連勝で制した球史に残る名勝負だ。

この一打は“球界の神話”とも賞賛。本業の投手としても、7試合中6試合に登板。うち4試合完投で、西鉄の4勝すべてを挙げる。

年42勝など偉業を重ねた稲尾さんも、「投げ過ぎと故障は投手の永遠の課題」と悟る。実働14年の最終年はわずか1勝であった。もし、「熱狂」を病気にたとえれば、「後悔」は薬に見立てられるらしい。(A・ビアス悪魔の辞典』より)。

 

2269

 

足もとの地面が崩れ苦い薬が入り用にならないか。最速165キロの速球を放つ右腕と快音を響かせるバット。エンゼルス大谷翔平選手(24)を、常識や定石では測れまいが、二刀流であるがゆえのケガが心配であった。

昨オフに日本ハムからポスティングシステムを利用し、米大リーグ挑戦を表明。米国内では、大型契約ができる年齢まで待たずに挑戦する23歳(当時)の決断に対する驚きの声が上がった。

一昨年、MLBのオーナー側と選手会側が取り交わした新労使協定に起因する。MLBドラフト対象外の25歳未満の海外選手の契約金と年俸を、厳しく制限するというものだ。それは、“奴隷契約”、“史上最大のバーゲンセール”などと揶揄された。

今季はメジャーで大活躍しても、昨年の推定年俸2億7000万円を大きく下回る。54万5000ドル(約5800万円)という最低保障額でしかない。ベーブ・ルース以来のスーパースター誕生でも気の毒なほど安いのである。

 

2270

 

25歳のとき、ダルビッシュ投手はレンジャーズと6年総額6000万ドル(当時のレートで約46億円)。田中将大投手も25歳でヤンキースと7年総額1億5500万ドル(同約161億円)の巨額契約を結んだ。大谷選手との金額差は一目瞭然。

それでも、メジャーデビューに夢を託した大谷選手はア・リーグの最優秀新人(新人王)に選出された。日本選手では野茂英雄投手(ドジャース・1995年)、佐々木主浩投手
(マリナーズ・2000年)、イチロー外野手(マリナーズ・2001年)以来となる17年ぶり4人目の快挙である。

同一シーズンでの<10試合登板、20本塁打、10盗塁>はメジャー史上初だという。右腕の故障で、年間を通して投手としての活躍は無理であったが、打者・大谷としての実績が地元の西海岸だけでなく米国全土のメディアにも認められた。

投手の足もとが崩れるかと思いきや、その打撃センスが十分すぎるほどにカバーをして、大きな役割を果たしたからだ。

 

 

今週のお題「紅葉」

無言で取り憑かれて睨めっこ

 

昔を想像して“もし”こうだったら、今はどう変わっていただろうか。そういう状況はいくつもあるはずだ。歴史を変える「紙一重」を考えることは楽しい。

いまも恐竜は繁栄していたかも・・・という説があるらしい。6600万年前、巨大隕石の衝突が恐竜を絶滅に追い込んだとされている。メキシコ・ユカタン半島に、直径約10キロ・メートルもの巨大隕石が衝突した痕跡もあるらしい。

その隕石衝突で地面が燃えてすすが舞い上がり、太陽光を遮り気温が下がったとの学説がある。その環境変化で恐竜は絶滅したというが、具体的な条件の検討では、もし数百キロ・メートルずれていたらどうなっていたのかわからないという。

 

2267

 

当時の地球上の気温は約16~約18度。それで、(月平均)8~11度も気温が下がると、食物連鎖が崩れるなどの要因で、恐竜は死に絶えたとされている。

しかし、この条件を満たすほどの大量のすすが生じるような成分の地層があるのは、地球上の約13%程度であるようだ。もし、衝突地点が数百~約1000キロ・メートルずれていたら、<恐竜を絶滅させてしまう環境変化は起きなかった>との推論になるらしい。

悠久の時を経て恐竜と出会うこともなく、人類が現れることになる。

昔、<旅は憂いものつらいもの>だったといわれる。英語の“トラベル”と“トラブル”は語源が違えど、元の意味はどちらも苦労や困難が伴うものらしい。

日本で“旅行”という新語が広まったのは、交通機関が発達し宿泊施設が整備されてからだといわれる。「楽しみの為に旅行するやうになつたのは、全く新文化の御陰である」。民俗学者柳田国男さんは、昭和2年の講演でこう述べた。

 

2268

 

<汽車に乗れば必ず2人か3人の少年が「雑誌を手にして、物識り貌(がお)に之(これ)を朗誦(ろうしょう)するを見る」>。当時の教育雑誌に残る記述である。人々が音読をする声で、明治期の列車の中はとてもにぎやかだったようだ。

待合室でも、大人や子どもが音読する光景は、特異なことではなかったらしい。もともと、読書とは字の読める人が周囲に読んで聞かせることであったので、そんな習慣の名残りだった。しかし、音読はやがて黙読に主役の座を譲ることになるのであるが。

音読はある種の“解凍作業”のようなものともいわれる。音読に慣れた世代の作家が書いた文章なら、とくに音読にふさわしい味わいが醸し出される。それはあたかも、料理を温め直して、おいしくいただくような感覚なのだ。

もし、今の電車内で音読をする者がいたら、周りからひんしゅくを買うことだろう。逆に、明治の少年がタイムスリップして、<なにも語らず取り憑かれたようにスマホとにらめっこしている>大部分の乗客を見たら、きっと不気味に思うはず・・・だ。

 

 

今週のお題「紅葉」

 

レア物も革新の波に洗われる

 

昨秋、インターネットのオークションで、有名人のサインを偽造販売していた男女の4人組が、詐欺の疑いで逮捕された。

人気女優の写真やカリスマグループの色紙に偽のサインを作成。インターネットオークションで3人の顧客へ販売し、計1万2300円を騙し取った。

容疑者らは、前年の1年間にも1万4000点を、約6000人に販売し3000万円以上を荒稼ぎ。その4、5年前に遡れば、同様手口での被害総額が1億円に上る。

そこまで有名人のサインにニーズがあるというのも驚きだが、偽物か本物なのか判別できないネットオークションで購入すること自体が不可解である。

TV番組の某キャスターも<サインをもらった人がネットで売るなんてあっちゃいけないこと。そういう人がいるから偽物が出てくる>とのコメントを出していた。

 

2265

 

ポーカーのプレーヤーが、無意識に示す癖を“テル”というらしい。通常、手が強い場合は迷わないが、手が弱いと はったり(ブラフ)をかけるかどうか迷う。相手が手札をながめていたり、(こちらの)顔色をうかがうようであれば、手は弱いというしるしになる。

それを逆手に、強い手を隠す勝負師の駆け引きもあるため、油断は禁物らしいが。だから、ブラフをかける時には迷わずに、手の強い時には考えるふりをすることである。

クリスマスが近づくこの時期など、お店のショーウインドーは華やかに飾りつけられる。それを“ウインドードレッシング”というらしい。この言葉は、企業などの業績で(実態より良く見せる)粉飾を表すのにもよく用いられるという。

クレジットカードのグレードはゴールドよりプラチナが上級であり、入手困難なチケットの表現の場合はプラチナチケットと呼ばれる。ところが貴金属のプラチナの価格が低迷しているというのだ。金の24分の1しか採れず、生産コストも高いのになぜなのか。

 

2266

 

2015年1月以降、金との差は逆転したままねじれ状態らしい。プラチナの価格は、似た金属のパラジウムにも抜かれ気味ともいわれる。ディーゼル車の排ガスから有害物質を除くというニーズの後退が背景にあるとの推測もある。

人々が渇望するレア物は歴史をつくり、世界観をも変える。それでも、いつかは輝きが減ずる宿命のようだ。

市場の流通商品がメーカーごとの個性を失い、消費者にとってはどのメーカーの品を購入しても大差のない状態のことをコモディティー化という。一時、光を放った何かも、経済の構造変化やものづくりの革新の波に洗われることだ。

希少な香辛料を原産地から得るために、次々と欧州の船団がインドやアジアを目指し海へ出た。15~16世紀のことである。やがて、航路が開拓され、栽培技術も向上したことで、18世紀には値が下がった。

現在、神器の如くはやされる人工知能(AI)やEVも例外ではなかろう。それも、当たり前のように組み込まれると、輝きは早く失せるような気がする。

 

拝啓 僕はとても残念でした♪

 

加川良さんと最初の出会いはこの歌詞であった。<拝啓 僕はとても残念でした あの日 君がホワイトジーンでなかった事が・・・>。男子が女子へ書いた微笑ましい手紙が、おもしろいほどに歌となっていた。

吉田拓郎さんのオリジナル・アルバム『元気です』(1972年7月)は、拓郎さんのアルバムとして最高のセールスを記録。そのA面の3曲目にあるのが『加川良の手紙』である。

『元気です』は、オリコン・アルバムチャートで14週連続(通算15週)1位を獲得した。アルバムの売れない時代に、1ヶ月間で40万枚を売り上げるというシングル並みのセールスを記録。アルバム・セールス時代の先鞭をつけた名盤である。

 

2263

 

加川良さんと2度目の出会いは『岡林信康コンサート』という2枚組のアルバムである。1970年12月のライブ盤で、岡林さんの名人芸ともいえるトークに、ゲスト陣も豪華であった。

弾き語りの前半には、ゲストの高田渡さんが『生活の柄』を歌い、続けて加川良さんが『教訓1』を歌った。

コンサート後半では、“はっぴいえんど”をバックに岡林さんがメッセージを織り込んだロックで盛り上げた。はっぴいえんどのメンバーといえば、大瀧詠一さん、松本隆さん、細野晴臣さん、鈴木茂さんである。

このふたつのアルバムは今でも自分にとって貴重品である。とはいえ、当時のレコード盤は手元にないが、音楽配信で聴くことができる。そして、どちらのアルバムにも加川良さんが絡んでいるからうれしい。

さて、3度目では実物の加川良さんとの出会いがあった。東由多加さんによる(1968年設立の)日本のロックミュージカル劇団・東京キッドブラザーズの舞台『十月は黄昏の国』(1975年6月)で、加川良さんが主役を演じたからだ。

 

2264

 

主演、加川良さん。音楽は小椋佳さん。脚本は東さんである。そして、その後に看板俳優となる柴田恭平さんと坪田直子さんのデビュー作品でもあった。

加川さんは、青春をテーマにした5枚の組写真を依頼されるカメラマン役である。彼は、フォーク歌手や現代の若者たちをスタジオに集め写真を撮ろうとする。そのスタジオには恋人も呼んでいる。

カメラマン自身の(たそがれていく)青春の一コマも、彼女を通して撮りたかったのだ。夏の激しい若さから遠ざかっていく自分は、“秋のとまどい”を強く感じている。過ぎ去りし時間の追憶にのめり込むカメラマンに、その恋人は絶望する。

昇る太陽よりも夕陽が美しく見える。その光と影の中で立ちすくむその姿。クライマックスシーンでは、演じる加川さんと主人公のカメラマンが一体化する。

このお芝居を最前列で観た。すぐ目の前に、目力のある加川さんがいる。

いつか、生の歌声を聴くチャンスがあるだろうと、時を過ごしたままであったが、惜しくも昨春に加川良さんは69歳で永眠された。拝啓 僕はとても・・・。

 

あの業界までも定額サービス


一見古びているようで、新しい。それが古典の力というものか。2007年、夏目漱石さんの自筆原稿を写真版で完全収録した“直筆で読む『坊っちやん』”が刊行された。その自筆原稿では、ペンの動きが生み出す文章のリズムがある。

その7年前に、作家や評論家らで、原稿は手書きかワープロかをめぐり、文芸雑誌で論争した。書家・石川九楊さんが、ワープロで文章を作ると思考が雑になり、表現力が低下すると主張したのがきっかけだ。

人間の脳はパソコンで文章を作る時より、ペンで書く時の方が活発に働く。こちらは、脳科学者・川島隆太さんの弁。

多くの作家たちは、ワープロの方が“疲れず、スピードも速い”と反論した。文字を書くことに頭を働かせる必要がないから、それだけ余裕を持って作品に集中できる、という考えであるらしい。

いずれにしても今は、青空文庫や定額サービスで多くの本が読める時代になっている。

 

2261

 

人口減少や車離れなどとよく言われるが、日本の自動車保有台数は伸び続けている。旅先など地方へ出てみればそれがよくわかる。大型店舗が郊外にできて中心部が空洞化しているため、車がないと仕事も買い物も難しくなっている。

一方、都心部では駐車料金やその他の維持費が大きいため、車を持つことへの負担が増えている。

数日前、トヨタ自動車が、毎月一定の料金を払うことで、複数の車を乗り換えながら利用できるサービスを、来年から導入すると発表した。それはサブスクリプション(定額制)と呼ばれるサービスで、欧米の自動車メーカーの間で導入され始めている。

国内の自動車メーカーとしてはトヨタが初めてということになる。“カローラ”、“プリウス”などトヨタの販売店が扱う様々な車を、一定の条件のもとで借りることができるのだ。

高級車“レクサス”も対象になる可能性がある。料金には、保険料や整備費なども含まれる見込み。

 

2262

 

トヨタ自動車では、定額制サービスとは別に、来年春から複数の人で自動車を共有するカーシェアリング事業にも本格参入する。

国内のカーシェアの会員は132万人超と、5年前の約5倍に伸びていて、さらなる成長が期待できる分野だ。

新車市場が頭打ちの中、所有にこだわらない層の取り込みを図り、新車販売のみに頼らない収益源の構築を目指す方針なのだ。また開発コストの削減でも、車種を現在の約40車種から30車種程度に絞り込む方針だという。

音楽や映像はスマートフォンの普及で、CDやDVDを買って所有しなくても、気軽に楽しめるようになった。そのことが、各方面へ波及しているように思える。

こうしたサービスの広がりは、“アップル”、“アマゾン”などの大手事業者の相次ぐ参入が後押しをしている。日本人歌手の音楽が多く配信されるようになり、その人気に拍車がかかった。

定額制の音楽配信は、2013年の約30億円から4年後には200億円超に急増するという。