日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

遊ぶ学ぶで宇宙エレベーター

 

伝説の国語教師・橋本武さんは“遊ぶと学ぶは同じこと”として、<遊び感覚で学ぶ>ことの大切さを説いた。神戸の灘中学・高校で長く教壇に立ち、3年前に101歳で亡くなった。

教科書は使わず、中 勘助さんの小説『銀の匙(さじ)』一冊を、中学の3年間かけて精読する授業で知られた。作品に桃の節句が出てくれば、端午の節句や七夕にも説き及び、横道に大きくそれる教え方だったという。

記憶にも色々あるようだ。“ひまわりを描いたのはゴッホ”というのは一般記憶。対してエピソード記憶は、個人的な出来事の記憶といわれる。自分の生活史の記憶である。
豊富な一般記憶もそれだけでは“歩くインターネットや百科事典”に過ぎない。

エピソード記憶こそが“人格の芯”を成すとの説もある。青少年の頃のエピソード記憶をよみがえらせることで、認知症の進行を遅らせるのに役立つらしい。

 

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日本のゼネコン・大林組が、“宇宙まで到達可能な円筒形のエレベーター”を2050年までに完成させる、というプランを発表。数年前、なにげなく見たテレビで、経営者の方が少年のように目を輝かして語った。

そのエピソードが頭からずっと離れなかったが、今日のテクノロジーでそれは十分に実用可能なことだという。

日本発の先端素材として近年開発が進む炭素繊維「カーボンナノチューブ(CNT)」は、は軽い上に、鋼の100倍程度の強度を持ち、電気や熱も良く伝えることで、産業応用への関心が高まっている。

大林組は40年以内に、カーボンナノチューブ製のケーブルを使い、30人乗りの宇宙エレベーターを計画。高度9万6千キロメートルに時速200キロ、7日間で到達する。観光客は高度3万6000キロに設置するターミナル駅まで、科学者や研究者はその先まで行ける構想だという。地上から建設していくのではなく、宇宙からケーブルを垂らして建設する。

 

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昨年、(国際宇宙ステーションの)日本が建設の実験棟「きぼう」船外の宇宙空間で、JAXA(ジャクサ)が開発の新装置を使い、カーボンナノチューブの耐久性試験を行っている。

静岡大学工学部は今月、国際宇宙ステーションから放出予定の超小型衛星「STARS―C」を公開したという。将来、宇宙ステーションと地上をケーブルで結ぶ“宇宙エレベーター”の実現に向け、“テザー”と呼ばれるひもを伸ばす実験をする装置だ。

宇宙貨物船で宇宙ステーションへ運び、「きぼう」から放出。親機と子機を分離した後、テザーを伸ばして詳細なデータを記録するものだという。それは“宇宙エレベーター”や、“導電性テザー”による宇宙ごみの回収につながる実験である。

数々の高層建造物に挑んできた大林組。一般記憶では及びもつかない遠大な計画と思われたが、(実現に向け)一歩一歩前に進みだしていることはまちがいない。
エピソード記憶に目を輝かせた経営者の方や私も、その実現の瞬間は存命でないだろうが、今から楽しみでワクワクしてしまう。

 

Windows10よりDOSが宝物

 

先月よりWindows10が勝手に更新され、ユーザーが困っているとの話を訊く。
知人は、Windows8のパソコンを使用中にそれが始まり、長時間の中断を余儀なくされた。

開始直前に通知が表示されるが、更新回避の方法がとてもわかりにくいとか。
昨夏公開の“10”は、パソコンだけでなく、スマホタブレットでも共通のソフトを使えるのが特徴。マイクロソフト社は、旧版利用者に1年間の期間限定の無料配布を始めた。

2018年までに10億台という目標だが、思うように更新は進んでいないらしい。
3月時点で、3億台以上の導入だという。ソフトや周辺機器の対応確認や、データのバックアップの手間があるなどで、アップグレードをためらうユーザーも多い。

半強制的ともとれる自動更新は混乱を招くばかりで、7月30日以降1万7600円の有償となれば、ますます敬遠するユーザーが増えそうだ。

 

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Windows10の伸び悩みとは裏腹に、旧OSで動く往年の名機“PC・98”シリーズが、中古市場では根強い人気なのだという。PCの先駆けのPC・98は、1980年代の16ビットマシンである。

当時、ビジネス用途のほか対応ゲームソフトもたくさん出回り、ピーク時の国内シェアはビジネス向けで8割、個人向けで5割以上あったとされる伝説的なマシンである。

それも、インターネット時代に適応したWindows95の登場と、共通規格のDOS/V機が国内外から多く出回るようになると、シェアが低下した。

近年はウィンドウズPCの全盛期も過ぎ、情報通信の主役がスマホやモバイルに移りつつある。完全に使命を終えたかに思えたPC・98が、ネット通販などでは根強いニーズに支えられ、高値取引が続くのだという。

ヤフオク!”の“PC・98”カテゴリーでは千数百件の出品があったり、動作を保証しないジャンク品でも数万円で売り出されているらしい。

 

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80年代後半から90年代前半のバブル経済期に設備投資された工場設備は、開発コストを抑えるため、当時のPC・98でシステムを組むケースが多かったという。そのまま使い続けている工場こそが、今もPC・98の活躍する現場なのだ。

名の知れた大企業も、古い設備の更新に膨大な費用がかかるため、古いPCを使い続けるケースが多いのだ。そのほとんどが、“N88―BASIC”や“MS・DOS”などのOSで動いている。

PC・98シリーズを専門に扱う修理販売ショップもあり、1千台のPC・98を在庫として抱えている。こういう専門業者に頼るしかない現場のニーズは切実で、PC・98が壊れたため生産ラインが止まり、店に駆け込んで来るという。

30年も前のOSとマシンを大事に大事に使っている反面、最新のOSを無料にしてまで、いやがるユーザーのパソコンに乗せたがるOSメーカー。この矛盾と“皮肉な運命”が滑稽に思えてしかたがない。

 

雨降る季節の楽しき感慨深さ

 

<かつあげ はじめていい?>
母親から突然、こんなメールが届いたとか。『おかんメール2』という本にあった。
<かつ あげはじめていい?>。どうやら、改行の位置が誤りのようだ。

揚げたての料理をわが子に振る舞おうとする、母の愛情深さであった。
“内食(うちしょく)”という言葉がある。外食に対して、家庭で料理をして食べることをいうそうだ。

また、スーパーやコンビニで、弁当、総菜などを買い、家で食べるのを“中食(なかしょく)”というらしい。そして、自宅でお酒を飲むことが“家(いえ)飲み”である。

2009年頃から、居酒屋でにぎやかにやるのも楽しいが、家で落ち着いて飲むのもいいものだ。何より安上がりだ、ということで広がった。

 

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昨年4月、国内の時計メーカーが<1週間に何日、自宅で夕食をとるか?>というアンケートで、20代から50代のビジネスマン400人を対象に訊いた。
答えは“平均5.7日”だった。以前の私は、この平均日と同じくらい、場末の居酒屋を放浪していた。

“毎日自宅で”、と回答した人は50%だった。1990年の調査では13%だったので、バブル時代との生活様式の変化がよくわかるデータである。

深い味わいのことを“醍醐味”というらしい。
乳を精製して作った乳製品のことを醍醐といい、古代日本では、牛乳やチーズのような乳製品が貴族らの間で薬として重宝されたとか。一般に普及するのは明治期以降のことだというから、今は家庭での醍醐味も、たやすく得られるはずだ。

また、“金曜日の帰りが遅くなる人”に関して、90年に75%いたのが35%に半減している。“遅いと感じる帰宅時間”については、90年に多かったのが23時であった。昨年は21時にまで早まっているようだ。“午前様”という言葉は死語になりつつあるのだろうか。

 

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「池には雨が落ち、無数の輪が発生し消滅する」。
話術家・徳川夢声さんは、自宅の庭に降る雨を見ながら、<人間が生れて死ぬ世の中を高速度に見ることができたら、こんな風だろうと思つた。神の目から見る人間の生死がこの通りだろう>と。1942年3月の日記に記した。

日々のありふれた風景も、人々の生活も徐々に変化する。
<海の青が薄くなると、それだけ、空の青が濃くなってゆく・・・>。
井上靖さんの『六月』という詩の書き出しである。

新緑から紺碧の夏空へと、移りゆく季節の境を彩るのも、紫陽花の瑞々しい青である。
青は、濃淡により表情がずいぶん変わる色だ。憂いのある寒色にして清々しい。時には鮮烈でもある。どの青が井上さんの心をとらえたのだろうか。

つかの間の日常も、人を哲学者にするときがある。そして、雨には人を物思いに誘うようなところがある。私の住む地域は梅雨入りをした。窓外の雨を眺めつつ、“内食”と“家飲み”をゆっくり楽しめるこの季節も、なかなか“乙なもの”である。

 

セコさには反骨のセンスが大事

 

ケチにも上には上がいる。
五代目志ん生さんの『落語黄金餅』のまくらがおもしろい。

釘を打とうと、近所に金づちを借りに行ったら断られた。
その理由は、鉄(かね)の釘を打たれたら金づちが減るから、なのだと。
そこでいわく、しみったれな野郎だ、それなら自分の家の出して使う、と言い返す。

ケチは自分の懐に入れることは好きだが、出すのは大嫌いだ。
<本当なら息を出すのもいやなんだけども、出さなきゃ苦しいからホンの少しだけ出しとこう>。

落語『搗屋(つきや)幸兵衛』の幸兵衛さんは、長屋を回るのを楽しみにしている。
そして、なにかといえば口を出す。

ホラホラお花さん、飯が焦げてるよ。
なに、知ってますゥ?
洗濯をしていて、手が離せません?

両方はできないんだよ、両方は!。
「あくびしながら何か噛もうたって無理なんだ」。

この幸兵衛さんと話題の某都知事を掛け合わせたら、幸兵衛さんはどのように声をからすことか。あの方は、あくびしながらなんにでも噛み付いているみたいなので。

 

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自分の映画を豆腐にたとえたのは小津安二郎監督。
豆腐の対極で、人間の欲望、弱さ、醜さ、哀しみのすべてがドロドロに溶けた煮込みの世界を描いたのが今村昌平監督である。

小津監督に師事し、やがて離れた今村昌平さんは、『にっぽん昆虫記』『楢山節考』、『復讐するは我にあり』などの社会派で濃厚な作品を撮り続けた。
人間の欲と業ほど摩訶不思議で面白いものはない、との視点である。

生涯をかけてうまい豆腐をつくりたい、として、ことさらな味つけを排し、素材がおのずと醸し出す風味を描く小津監督とは対局の作風といえる。

「汝ら、何を好んでウジ虫ばかり書く」。信州蓼科の小津さんの別荘で酒杯を傾けているとき、かつての師からそう聞かれたという。小津さんからは、今村さんの描く人物の対象が理解しがたく、選択の安易さやセコさを感じたのかどうか・・・不明ではあるが。

 

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内心、<このくそじじい、上等だ。おれは死ぬまでウジ虫を書いてやる>と、今村さんは歩む道を固く心に定めたという。そのリアクションでの反骨心はすさまじい。

その発憤から“世界のイマムラ”が生まれたことを思えば、師とはまことに有り難いものである、と今村さんはのちに語っている。
日本人では初めて、カンヌ映画祭で2度の最高賞に輝いてもいる。

手っ取り早く作品を作ることはあり得ない。それでも、反骨心や発奮材料は大きなパワーに変わったことだろう。

明治期の経済学者・和田垣謙三さんは、“手っ取り早くお金を作る方法はないか”と学生から尋ねられた。その答えがふるっている。
<猿の毛を抜きなさい。猿(monkey)から毛(k)を抜けばお金(money)になる>と。

猿の毛を抜くことしか考えず、自分の懐に入れることは好きだが、出すのは大嫌いな御仁の身近には、小言の幸兵衛さんや小津安二郎さんのような方が、ぜひともいてもらいたいものである。

紙も仏もネット通信でゲット

 

インターネット以前のパソコン通信でのネット通販は、今のように商品を選び「カートに入れる」等の方式はなく、Eメールのやりとりで販売店に見積もりを出してもらい、注文していた。のどかなアナログ感覚であった。

アナログといえば、最近おもしろいサイトがあるのを知った。ネットでのポイント獲得方法が単純明快なのである。コンビニやスーパーで商品を購入したレシートを、スマホで撮影してサイトに送信するだけで、ポイントがたまるサービスである。

ポイントサイト「レシポ!」では、日替わりで表示される対象商品に、それぞれの還元ポイントが表示されている。それを購入し、レシートをスマートフォンなどで撮影して送信するというだけの、かんたんなしくみである。

主婦などを中心に利用者も増え、月間の利用者は数十万人規模だという。同様のサービスは他にもあり、何気なく捨てている紙(レシート)の価値観が変わってきそうだ。

 

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ネット通販大手・アマゾンジャパンが、僧侶の手配サービスを始めたとき、大きな話題になった。元々、葬儀社紹介サイト運営の「みんれび」が、その2年前に始めた「お坊さん便」だということらしいので、とくに目新しいものではなかったはずだ。

そのサービスを広げるため、アマゾンに「出品」したことが目立つきっかけになったのであろう。売買されるのは僧侶の手配を約束するチケットで、税込み3万5千円。クレジットカード決済もできる。アマゾンとみんれびの手数料を除いた分が僧侶の“お布施”になる。

私も葬儀の際、ネット通信で葬儀社を頼み、そちらから僧侶を紹介していただいた。それまでお願いしていた僧侶は高齢のため辞められた。そのため、紹介してもらい助かった。“お布施”にしても、葬儀社を通しての金額でかなり安くついた。新しい僧侶とは、うちの奥さんがフェイスブックのお友達になり、法事のお願いもそこでしている。

 

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アマゾンがいきなり直接紹介というような捉え方をした仏教界は、神経をとがらせた。言い分は、宗教行為の“商品化”や“ビジネス化”が広がると、宗教法人へのさまざまな税制優遇の根拠が揺らぎかねない、との懸念らしい。

ネット利用者の声では、葬儀社から“僧侶を呼ぶと20万円以上かかる”と言われたところ、<「お坊さん便」で半額以下で済んだ>という例もある。

地方での僧侶は、過疎が進む地元で経済的にやっていけないこともある。檀家の数が激減して、葬儀は年に1度あるかないか。そういう状況では、首都圏に部屋を借り、“出稼ぎ”で「お坊さん便」の葬儀や法事に出かけるケースもある。

実は私も機会があれば、法事でアマゾンの「お坊さん便」を頼んでみたいとも思う。
今の僧侶は若くて立派だが、大きな市の教育委員としても活動されている。こちらの予定が合わねば、お弟子さんを紹介してくれるが、アマゾン経由ならいつでも気兼ねなく、頼みやすい気がするからである。

 

“数字と容姿”は美しいか否か

 

理容室へ行く女性客がいる、と訊いておどろいた。
私は(理容室の)待ち時間がいやで数十年行っておらず、家で散髪をしてもらう。

美容室に通う男性は前にもいた。今は男性専用の美容室も人気だとか。
美容室はシェービングができないため、女性客は理容室で顔や襟足、腕をそってもらうらしい。

<理容師さんは髪を刈り、顔をそるなどして“容姿を整える人”であり、美容師さんはパーマをかけ、髪を結うことなどで“容姿を美しくする人”>という棲み分けがあるそうだ。

インターネットの質問サイトでは、32才の女性理容師さんが回答されていた。<来店の割合は男性のお客さんが7割、女性は3割>。女性客の内訳は<顔剃りだけの割合が40パーセント超、残りの60パーセントはカットのみかカラー、パーマの組み合わせ>。後者も顔剃りをするため<女性のお顔剃り率は100パーセント近く>だという。

 

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<文章の中にある言葉は辞書の中にある時よりも美しさを加えていなければならぬ>。
芥川龍之介さんは『侏儒の言葉』に書いている。

広辞苑の初版発行から満61年を迎えたという。随分とお世話になった。
インターネットの出現で、今は広辞苑を手に取る機会がほとんどない。

<人の世や 嗚呼(ああ)にはじまる 広辞苑>。橘高薫風さんの有名な句である。。
引いて<なるほど>と納得の嗚呼があれば、<こんなことも知らなかったのか>の情けない嗚呼もありそうだ。

<文章の中にある言葉はネットの中にある時よりも美しさを・・・>と、今はこんなフレーズなのだろうが、美しさからどんどん縁遠くなっていきそうだ。

 

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アメリカとスペインが戦火を交えた頃の19世紀、アメリカ海軍の死亡率は1000人につき9人の割合だったという。同じ期間、ニューヨーク市における死亡率は1000人につき16人であったらしい。

海軍の徴募官はふたつの数字を比較して、<海軍に入隊するほうが安全だ>と熱弁をふるった。統計学者ダレル・ハフ著『統計でウソをつく法』にある事例だ。
海軍の分母が壮健な者ばかりであるのに対し、ニューヨーク市の分母には病人も高齢者もいる。分母の内容を確認しないとうっかりだまされる。分数は油断がならないものらしい。

10年前、大阪府長崎県など各地の社会保険事務所で、国民年金保険料を不正に免除、猶予する手続きを行っていたことが発覚。本人に無断で国民年金の保険料を免除し、納付率を算出する分母となる“支払うべき人の数”を減らし納付率を上げようという算段であった。

国庫に納まるべき金を不正に免除するのは、国民の財布に手を差し入れるのと結果において大差はないはず。今でもふしだらな議員さんたちは、国民や市民のお金をなんとも思っていないようだ。あのお騒がせ都知事などは、分子と分母の計算さえ眼中になく、見境なしの遣いっぷりである。おそらく、自分の財布を持とうという意志と習慣がないのだろう。

 

温暖化だけと思えば大間違い

 

二酸化炭素が増え、地表の熱が宇宙へ逃げにくく、地球の平均気温が上がってしまう現象が“地球温暖化”である。暑い夏が増え、台風が強くなる。他にもいろいろな現象が起きている。

増えた二酸化炭素は海にもたくさん溶けて、海洋の酸性化が進むといわれる。
ウニが育ちにくく、カキなどの貝類の成長の異変、サンゴの分布も変わるかもしれない。深刻なのは、ウニや貝など殻をもつ生き物。殻を作れなくなる可能性が高いからだ。

海の酸性化で、生き物はさまざまな影響を受け、生態系をがらりと変えてしまいかねない大問題なのだ。海、湖、コップの水でも、空気と接している液体には空気が溶け込む。空気に含まれる二酸化炭素も当然に溶け込む。二酸化炭素が溶けた水は酸性に傾く。

ウニの殻や貝殻は、“炭酸カルシウム”という物質でできている。炭酸カルシウムは、海に溶けている“炭酸イオン”と“カルシウムイオン”が結びついてできる。しかし、海に二酸化炭素がたくさん溶け込むと炭酸が減り、炭酸カルシウムができにくくなる。

 

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骨格を作るサンゴを“造礁サンゴ”という。サンゴ礁の土台となる“岩”はウニの殻や貝殻と同じ炭酸カルシウムでできている。海が酸性化して炭酸カルシウムができにくくなれば、上述のとおりである。もうそこにサンゴは住んでいられず、サンゴ礁もできない。

それぞれのサンゴは小さいが、体を寄せ合い群れとなり、共同で大きな骨格を作る。それは石のように硬い炭酸カルシウムの骨格なのだ。サンゴは外骨格のくぼみに身を潜めて生活している。

サンゴの多くは、褐虫藻という小さな植物を体内にたくさん飼っていて、太陽があたると(褐虫藻が)光合成で栄養分を作り、それをサンゴはもらっている。サンゴ礁には多くの魚なども住みついて、豊かな生態系をつくる。

たくさんの魚が群れ遊ぶサンゴ礁。日本はサンゴが豊富だといわれている。
しかし、(九州南部や沖縄の海でみられる)熱帯・亜熱帯のサンゴが、2030年代には酸性化の影響でいなくなってしまうと危惧されている。

 

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日本沿岸に生息する造礁サンゴは、約400種といわれる。
最低海水温が摂氏18度以上ならサンゴは生息できる。その限界線は、現在の九州、四国沿岸からだという。

今、造礁サンゴがみられる四国、九州の南部、沖縄への海域は、(炭酸カルシウムのできやすさを示す)飽和度が“3”以上で健全である。

それが、2020年代では“3”以上の海域面積が21世紀初頭の半分以下に減り、鹿児島県南方の島々や沖縄だけがかろうじて残る、との予測だ。2030年代では、それもなくなり日本から造礁サンゴが消えるというのだ。

形だけのサンゴ礁が残っても、そこにサンゴがいないと、豊かな生態系を育むことができない。サンゴ礁だけに限らず、海の酸性化で炭酸イオンの濃度が減少し、生き物たちにとって成長に必要な炭酸カルシウムが作りにくくなるのである。

 

負けず嫌いは日本人のDNA

 

志賀直哉さんの随筆『自転車』によると、10代の頃は自転車マニアだったという。
ブレーキもない当時の米国製を乗り回し、東京中の急坂を登り下りしたり、江の島や千葉へと遠乗りをしたそうだ。

鉄道馬車や人力車が主な移動手段だった時代だというので、自転車の爽快感は別格だったようだ。<往来で自転車に乗った人に行きあうと、わざわざ車を返し、並んで走り、無言で競走を挑むような事をした>とある。

私も負けず嫌いのところがある。営業では仲間と常に競争で、毎回勝てるわけではない。負けるときは、締め日直前の契約や売上げを、翌月回しへと細工して次のスタートダッシュを図る。

野球より相撲が好きだ。好きな力士が複数選べるので、誰かが負けても他の力士が勝ってくれるから気分がいい。野球はご贔屓チームが負けたらつまらないだけ。負けても応援しながら長時間テレビ観戦をする知人もいるが、信じられないことである。

 

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日本人は日本文化論や日本人論を好む人種らしい。

喜劇王チャップリンさんは日本訪問で歌舞伎を見物した際、剣士が(距離をおき)斬る真似だけという、現実味の乏しい所作が印象に残ったという。

それが、<死の場面になると、俳優たちが急にリアリズムに切り替わる>ということに驚いた。ほんわかムードの殺陣が続き、急に真剣なオチが訪れる展開。外国の人から見ると、文化や国民性のちがいを感じるのだろうか。

和製アニメや漫画の人気で、“かわいい”という日本語がそのまま海外でも使われているらしい。逆になぜ、“かわいい”が外国でウケるのか、古い日本人ではわかりにくい。

かつて、“クール”と日本を評する論文が、米国の外交専門誌に載ったという。
外国人と日本を論じるテレビ番組で、100人の外国人に<日本で何をクールと思ったか?>と問うた。お花見、100円ショップ、温水洗浄便座などが上位に並んだ。
日本人が思うクールのずれがおもしろい。

 

1611

 

クールな反面、昔からの“負けず嫌い気質”を、今の日本人はどう受け継いでいるのか興味がある。

一塁手川上哲治選手が失策。ベンチに戻ると、水原茂三塁手から怒声を浴びた。
投手として巨人に入団したが伸び悩み、野手に転じて間もない時期であった。

悔しさをバネに、素振りで下宿の畳を何枚も駄目にした。その修理代を請求されたが、この出費は痛かったという。「打撃の神様」の辛抱の時代であった。

青バット大下弘さんは、1952年に東急フライヤーズから西鉄ライオンズへ移籍した。当時の西鉄は弱かった。

都落ち笑はば笑へ何時の日か眼に物見せむ吾なればこそ>。
大下さんが日記につづった歌である。本拠地の福岡は東京から遠い。
その意地が西鉄を“野武士軍団”に導いてゆく。

正の10を10個集めると100になる。負の10同士を掛けても100になる。
<答えは同じでも、正を積み重ねた100には陰翳がないのだ>と。
歌人塚本邦雄さんの言葉である。

 

言葉は武器にも凶器にもなる

 

長年の営業職で、言葉一つが売上げに直結したり、顧客を怒らせた体験もある。
使い方により、言葉は意味や音感が微妙に変わる。

「愛する」の“愛”は“心”が真ん中に配されているが、「恋」の場合“心”が下になる。
<恋は下心で愛は真心>なのだろうか。おもしろい。

命令形になると<汝の隣人を愛せよ>で博愛の精神になるが、特定の相手を<執着して愛せよ>ではストーカーになりそうだ。

「あげくの果て」もよく使われる。<口論が続き、あげくの果てに・・・>などの近隣トラブルは後を絶たない。悪い状況に陥るのが常となる。

それでも「あげく」は、そのように使う言葉ではなく、日本古来の連句の形式から来た言葉なのだという。5・7・5の長句と7・7の短句を交互に並べる連句では、最初の句を発句、最後の句を挙句(あげく)というそうだ。「あげくの果て」とは、“いろいろあってその結果”という意味になるようだ。

 

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非難、叱責するときに使われる「ていたらく」。思わず政治家を連想してしまうが。
“てい(体)”は様子であり、“たらく”は“たり(~である)”の未然形に、“く”を付け名詞化した言葉なのだという。

“く”を付けて名詞化するのは「ク語法」と呼ばれる。<孔子曰く・・・>などの「いわく」は<いわくありげな表情>などと、複雑な事情や理由に対しても使われる。

「おそらく」、「願わく」などもク語法で、「思わく」は、“思惑”と漢字が当てられ、漢語のように使われることもあるとか。

1948年(昭和23年)、68歳の歌人川田順さんが、弟子と恋に落ち世に知られた。
その「老いらくの恋」が流行語になったという。「老いらく」も“老ゆ”のク語法で、“老ゆらく”が変化したものらしい。

高齢社会に突入した今、ぜひ復活させたい言葉かもしれない。

 

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昨今のニュースでよく耳にするのが、<セコいやつめ!>の「せこい」である。
徳島県では<この山道登るのせこいのー>といえば、体力的に苦しいという意味になるそうだ。精神的に辛いときや、経済的に苦しい状況を示すときにも「せこい」が使われる。

通常の「せこい」は、“ずるい、素早い”などの俗語として、大正末期の用語辞典に記されているという。以後、“けちくさい、みみっちい”と意味が広がった。

セコいお話はさておき、「底力」という言葉には爆発力が感じられて頼もしい。
その意味も、<ここぞというときに爆発する力のこと>だそうだ。

人は誰もが「底力」を持ち、ひとつのものに人生をかけ、歴史を刻むことで生まれるその力が、どんなものにも立ち向かえるエネルギー源になるとか。

とはいえ、私はまだ「底力」を感じた記憶がない。いまだにからだの奥深くに沈んだままなのだろうか。それでも、自分の「底力」を信じ、道を切り開いていくことを今一度、見つめ直すチャンスがあるかもしれない。“言葉”は考えようで、なぜか楽しくなってくる。

 

“下から目線”で得られる全体像


<俺はねえ、人を見下げることは嫌いなんだよ。俯瞰(ふかん)ていうと見下げるじゃないか>。映画監督・小津安二郎さんは語った。ローアングル(低い位置にカメラを置いて撮影する)技法を駆使する、小津さんならではの言葉である。

監督がセンチ単位で指示する位置にコップなどを置き、テーブルに鉛筆で印をつける。
ローアングルだから、その印は映らないのである。

撮影に対する姿勢は、いつも真摯で真剣。格調高く本物志向であり、ほんの少しだけ映る絵画も東山魁夷さんなどの本物だった。当然、静かな現場には緊張感があふれる。
でも、怒鳴るようなことはなく、スタッフを大事にしたという。

巨匠といわれた小津さんは、とても魅力にあふれた人だったようだ。

 

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社会から虐げられ、運命に翻弄される人たちを描き、多くの作品を残したのは作家・水上勉さんである。今年の秋で没後12年になる。

42歳で直木賞作家となるまでに、30種類以上の職業を経験したという。
水上さんの人生は“苦労の百貨店”とも呼ばれ、生み出される作品は自らの苦難の人生の反映だった。

禅寺の小僧になった体験は人生に大きな影響を与えたらしい。「口減らし」のためだった。寺で早朝から炊事や掃除。霜焼けの手を和尚に麻縄でくくられ、目覚まし代わりに引っ張られた。

ごちそうは和尚と奥さんの2人が食べ、自分にはまわってこなかった。毎日、赤ん坊のおむつ洗いもさせられた。そして、寺を脱走。

転職を繰り返すたびに人間観察を深め、文学を密度の濃いものに昇華させた。

直木賞受賞作品『雁の寺』や、金閣寺放火焼失事件(1950年)がモチーフになった『金閣炎上』、『五番町夕霧楼』では、小僧時代の体験が生きた。

 

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数々の問題への怒りと悲しみを書き続けた“社会派”でもあった。
水上さんの作品を読むたび、松本清張さんと共通なものを感じていたが、水上さんは服の行商のかたわら、松本清張さんの『点と線』をむさぼるように読んだという。
飢餓海峡』なども、大好きな作品のひとつである。

実在感のある人間描写も、様々な職業体験で苦労を重ねたことが基になり、リアリティー豊かな文章力が身についたと思われる。

欧米に追いつけ追い越せと、戦後の日本は“上”、“表”、“中心”を目指してきたが、水上さんは“下”、“裏”、“端”から、日本にものを言い続けてきた、とも評される。
水上さんと、その作品の批判的精神から学ぶべき点はとても多い。

<自分の道を歩き続けなさい。その道で見つけた友が“道友”であり、得た幸せが“道楽”だ>という。水上さんの言葉である。

1997年頃から、パソコンやインターネットに強い関心を示したらしい。
PowerBookを持ち歩き、ワープロソフトで執筆もした。
重ねた苦労がにじむ水上勉さんの“下から目線”には、教わるものがとても多い。