日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

“数字と容姿”は美しいか否か

 

理容室へ行く女性客がいる、と訊いておどろいた。
私は(理容室の)待ち時間がいやで数十年行っておらず、家で散髪をしてもらう。

美容室に通う男性は前にもいた。今は男性専用の美容室も人気だとか。
美容室はシェービングができないため、女性客は理容室で顔や襟足、腕をそってもらうらしい。

<理容師さんは髪を刈り、顔をそるなどして“容姿を整える人”であり、美容師さんはパーマをかけ、髪を結うことなどで“容姿を美しくする人”>という棲み分けがあるそうだ。

インターネットの質問サイトでは、32才の女性理容師さんが回答されていた。<来店の割合は男性のお客さんが7割、女性は3割>。女性客の内訳は<顔剃りだけの割合が40パーセント超、残りの60パーセントはカットのみかカラー、パーマの組み合わせ>。後者も顔剃りをするため<女性のお顔剃り率は100パーセント近く>だという。

 

1614

 

<文章の中にある言葉は辞書の中にある時よりも美しさを加えていなければならぬ>。
芥川龍之介さんは『侏儒の言葉』に書いている。

広辞苑の初版発行から満61年を迎えたという。随分とお世話になった。
インターネットの出現で、今は広辞苑を手に取る機会がほとんどない。

<人の世や 嗚呼(ああ)にはじまる 広辞苑>。橘高薫風さんの有名な句である。。
引いて<なるほど>と納得の嗚呼があれば、<こんなことも知らなかったのか>の情けない嗚呼もありそうだ。

<文章の中にある言葉はネットの中にある時よりも美しさを・・・>と、今はこんなフレーズなのだろうが、美しさからどんどん縁遠くなっていきそうだ。

 

1615

 

アメリカとスペインが戦火を交えた頃の19世紀、アメリカ海軍の死亡率は1000人につき9人の割合だったという。同じ期間、ニューヨーク市における死亡率は1000人につき16人であったらしい。

海軍の徴募官はふたつの数字を比較して、<海軍に入隊するほうが安全だ>と熱弁をふるった。統計学者ダレル・ハフ著『統計でウソをつく法』にある事例だ。
海軍の分母が壮健な者ばかりであるのに対し、ニューヨーク市の分母には病人も高齢者もいる。分母の内容を確認しないとうっかりだまされる。分数は油断がならないものらしい。

10年前、大阪府長崎県など各地の社会保険事務所で、国民年金保険料を不正に免除、猶予する手続きを行っていたことが発覚。本人に無断で国民年金の保険料を免除し、納付率を算出する分母となる“支払うべき人の数”を減らし納付率を上げようという算段であった。

国庫に納まるべき金を不正に免除するのは、国民の財布に手を差し入れるのと結果において大差はないはず。今でもふしだらな議員さんたちは、国民や市民のお金をなんとも思っていないようだ。あのお騒がせ都知事などは、分子と分母の計算さえ眼中になく、見境なしの遣いっぷりである。おそらく、自分の財布を持とうという意志と習慣がないのだろう。