日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

雨降る季節の楽しき感慨深さ

 

<かつあげ はじめていい?>
母親から突然、こんなメールが届いたとか。『おかんメール2』という本にあった。
<かつ あげはじめていい?>。どうやら、改行の位置が誤りのようだ。

揚げたての料理をわが子に振る舞おうとする、母の愛情深さであった。
“内食(うちしょく)”という言葉がある。外食に対して、家庭で料理をして食べることをいうそうだ。

また、スーパーやコンビニで、弁当、総菜などを買い、家で食べるのを“中食(なかしょく)”というらしい。そして、自宅でお酒を飲むことが“家(いえ)飲み”である。

2009年頃から、居酒屋でにぎやかにやるのも楽しいが、家で落ち着いて飲むのもいいものだ。何より安上がりだ、ということで広がった。

 

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昨年4月、国内の時計メーカーが<1週間に何日、自宅で夕食をとるか?>というアンケートで、20代から50代のビジネスマン400人を対象に訊いた。
答えは“平均5.7日”だった。以前の私は、この平均日と同じくらい、場末の居酒屋を放浪していた。

“毎日自宅で”、と回答した人は50%だった。1990年の調査では13%だったので、バブル時代との生活様式の変化がよくわかるデータである。

深い味わいのことを“醍醐味”というらしい。
乳を精製して作った乳製品のことを醍醐といい、古代日本では、牛乳やチーズのような乳製品が貴族らの間で薬として重宝されたとか。一般に普及するのは明治期以降のことだというから、今は家庭での醍醐味も、たやすく得られるはずだ。

また、“金曜日の帰りが遅くなる人”に関して、90年に75%いたのが35%に半減している。“遅いと感じる帰宅時間”については、90年に多かったのが23時であった。昨年は21時にまで早まっているようだ。“午前様”という言葉は死語になりつつあるのだろうか。

 

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「池には雨が落ち、無数の輪が発生し消滅する」。
話術家・徳川夢声さんは、自宅の庭に降る雨を見ながら、<人間が生れて死ぬ世の中を高速度に見ることができたら、こんな風だろうと思つた。神の目から見る人間の生死がこの通りだろう>と。1942年3月の日記に記した。

日々のありふれた風景も、人々の生活も徐々に変化する。
<海の青が薄くなると、それだけ、空の青が濃くなってゆく・・・>。
井上靖さんの『六月』という詩の書き出しである。

新緑から紺碧の夏空へと、移りゆく季節の境を彩るのも、紫陽花の瑞々しい青である。
青は、濃淡により表情がずいぶん変わる色だ。憂いのある寒色にして清々しい。時には鮮烈でもある。どの青が井上さんの心をとらえたのだろうか。

つかの間の日常も、人を哲学者にするときがある。そして、雨には人を物思いに誘うようなところがある。私の住む地域は梅雨入りをした。窓外の雨を眺めつつ、“内食”と“家飲み”をゆっくり楽しめるこの季節も、なかなか“乙なもの”である。