日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

負けず嫌いは日本人のDNA

 

志賀直哉さんの随筆『自転車』によると、10代の頃は自転車マニアだったという。
ブレーキもない当時の米国製を乗り回し、東京中の急坂を登り下りしたり、江の島や千葉へと遠乗りをしたそうだ。

鉄道馬車や人力車が主な移動手段だった時代だというので、自転車の爽快感は別格だったようだ。<往来で自転車に乗った人に行きあうと、わざわざ車を返し、並んで走り、無言で競走を挑むような事をした>とある。

私も負けず嫌いのところがある。営業では仲間と常に競争で、毎回勝てるわけではない。負けるときは、締め日直前の契約や売上げを、翌月回しへと細工して次のスタートダッシュを図る。

野球より相撲が好きだ。好きな力士が複数選べるので、誰かが負けても他の力士が勝ってくれるから気分がいい。野球はご贔屓チームが負けたらつまらないだけ。負けても応援しながら長時間テレビ観戦をする知人もいるが、信じられないことである。

 

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日本人は日本文化論や日本人論を好む人種らしい。

喜劇王チャップリンさんは日本訪問で歌舞伎を見物した際、剣士が(距離をおき)斬る真似だけという、現実味の乏しい所作が印象に残ったという。

それが、<死の場面になると、俳優たちが急にリアリズムに切り替わる>ということに驚いた。ほんわかムードの殺陣が続き、急に真剣なオチが訪れる展開。外国の人から見ると、文化や国民性のちがいを感じるのだろうか。

和製アニメや漫画の人気で、“かわいい”という日本語がそのまま海外でも使われているらしい。逆になぜ、“かわいい”が外国でウケるのか、古い日本人ではわかりにくい。

かつて、“クール”と日本を評する論文が、米国の外交専門誌に載ったという。
外国人と日本を論じるテレビ番組で、100人の外国人に<日本で何をクールと思ったか?>と問うた。お花見、100円ショップ、温水洗浄便座などが上位に並んだ。
日本人が思うクールのずれがおもしろい。

 

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クールな反面、昔からの“負けず嫌い気質”を、今の日本人はどう受け継いでいるのか興味がある。

一塁手川上哲治選手が失策。ベンチに戻ると、水原茂三塁手から怒声を浴びた。
投手として巨人に入団したが伸び悩み、野手に転じて間もない時期であった。

悔しさをバネに、素振りで下宿の畳を何枚も駄目にした。その修理代を請求されたが、この出費は痛かったという。「打撃の神様」の辛抱の時代であった。

青バット大下弘さんは、1952年に東急フライヤーズから西鉄ライオンズへ移籍した。当時の西鉄は弱かった。

都落ち笑はば笑へ何時の日か眼に物見せむ吾なればこそ>。
大下さんが日記につづった歌である。本拠地の福岡は東京から遠い。
その意地が西鉄を“野武士軍団”に導いてゆく。

正の10を10個集めると100になる。負の10同士を掛けても100になる。
<答えは同じでも、正を積み重ねた100には陰翳がないのだ>と。
歌人塚本邦雄さんの言葉である。